目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ 第12章(その一)
目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ
第12章 その一
その日ぼくは瀧口の部屋に呼び出された。三階のトイレのわきにある小さな部屋で、壁がみえないほど返本が積み上げられている。半分は倉庫といったところでおよそ都会生活社ナンバーツウーの部屋というイメージはない。ぼくが入社した頃、まだ瀧口は雑誌づくりの最前線にいて、若い編集者たちと口角泡をとばしてやりあっていた。その頃すでに五十の半ばだったが実に若々しく、その発想も感受性も青年のものだった。
三年前に都会生活の編集長を退いても、ぼくらをよく神楽坂や新宿に連れ出しては議論をふっかけてきたものだった。しかしそれも都会生活社の経営があやしくなりはじめた一昨年あたりからばったり途絶えてしまった。最近の瀧口は急に白髪がふえて、なんだかその後姿がひどく老人っぼくみえ、いま都会生活社を襲っている危機の深さを思い知るのだった。
眼鏡をとり、そのフレームを口でくわえると、ぼくをじろりと見上げた。それはいつもの彼の癖なのだが、なにかその姿がひどく弱々しくみえる。
「君にだね。出向を命じたいのだよ」
彼はそう言ったのだ。一瞬なんのことかわからずぽかんとしているぼくにむかって、瀧口はなにやら力のない声で、新宿のKビルにある古田事務所でいま新雑誌が企画されているが、そのスタッフの一員になってほしいと言うのだった。
ぼくは一瞬こう思った。会社のピンチを切り抜けるために最初に打つ手は減量だった。その第一号にぼくが選ばれたのだと。なにやらいきなり背後から殴りつけられたような気分だった。ぼくは瀧口を師のように父のように仰ぎ尊敬しているのだ。その人から不意打ちをくらったようなショックだった。
「どういうことなんですか。どうもよくわかりませんが」
「新しい雑誌を出そうというわけだよ。ちょっと金をかけて、この軽い時代にふさわしい雑誌をつくろうというわけなんだな。その創刊に君を参加させるわけだよ。君はなかなかいい感覚をもっているからね」
こういう甘い言葉でささやいて追い出していくのだ。これが肩叩きの常套手段だった。
「なんだか瀧口さんらしくないですね。はっきり言って下さい。もう君は都会生活に必要なくなったんだと」
「なにを誤解しているのだ」
「みえすいたお世辞なんかを瀧口さんの口からききたくないですよ。はっきり言ってくれたほうがあきらめもつきますし、素直に従う気にもなれますよ」
「なにを君ははやとちりしているのだ」
と彼はやっぱり沈んだ表情で言うのだ。瀧口はぼくの誤解をとくかのように新雑誌のことをあれこれと話したが、警戒が先立つぼくはかえって疑問を募らせていくばかりだった。
「その新雑誌はうちで発行するのですか?」
「必要ならばそうなるだろうな」
「それじゃあ、都会生活はどうなるんですか」
「それはもちろん存続するさ」
「しかしいまのおっしゃり方だと、なんだか都会生活にピリオドを打とうとしているみたいじゃないですか」
「そういうこともあるかもしれないということだよ」
「しかしいま会社に新雑誌を創刊する余力なんてあるんですか」
「だからこそ新しい雑誌で、この状態を切り開いていかなければならないということでもあるんだ」
奥歯にものがはさまったような煮えきらない説明だった。さっぱり瀧口らしくない。疑問の矢をさらにいくつか放ってみたが、肝腎のことがついにぼかされたままだった。そしてこの話はしばらく口外しないでもらいたいと釘をさされたが、そのことがさらに疑問を深めるのだった。
どう考えてもその奇妙な話は、経営危機を脱するための一つの策のように思えるのだった。思いあたることがいくかあった。このところぼくは全く仕事への情熱を失っていた。どの仕事も投げやりで、先月も見開きのカラー広告を棒にふってしまった。荒れている私生活がもろに露呈したという感じのミスだった。しかしそんなぼくの緊張を失っただらっと気分は、いま編集部に漂っている雰囲気の反映でもあったのだ。だれもが目標を失っていて、なんだかやる気のない頽廃の雰囲気に満ちていた。そんな社内を引き締めるために、ここでだれかを犠牲山羊にする必要があったのかもしれなかった。
しかしそれならばもっと適任者がいるはずだった。いったいなんのために会社にきているかわからない人間が何人もいた。それらの人間をさしおいてぼくが削減の第一号に選ばれるほどの不良分子だとは思えないのだ。そう思って自分をなぐさめてみたものの、みじめな気持ちを追放できずに一人でもんもんとしているのだった。
その次の週の火曜日にまた瀧口に呼び出され、彼の部屋に入っていくと客がきていた。その客に引き会わせるためにぼくは呼び出されたのだ。
「こちらは古田さんだ」
と瀧口が言ったとき、ぼくは思わず息をのんだ。
「いろいろと君のことは瀧口さんからききましたよ」
と男は言ったのだ。ちょっと小太りの、しかし厳しい視線をあたりに放つ精悍な表情をした男だった。この男こそぼくたちの噂にしばしばのぼってきたく『サバンナ』というコミック雑誌をあてた人物だった。するとあの噂はすべて真実だったということになる。それならばこの男はぼくらの敵だった。
「じゃあ、瀧口さん。彼をちょっと貸して下さい」
と言ってぼくを連れ出そうとした。しかしぼくは、
「仕事が残っているんですが」
と敵意をむきだしにして言った。古田は一瞬戸惑いの表情をみせたが、部下をあごでこきつかう人間がよくみせるような口調と身振りで、
「ちょっと二、三十分でいいんだ。うまいワインをちょっとひっかけてこよう」
「そうしたいんですが、キャンセルできないアポがあるんです」
すると瀧口がぼくを叱るように、
「わざわさ古田さんは君に会いにきたんだ。どんな仕事かしらんが、そいつはだれかにたのんで古田さんのお供をしなさい」
と言った。
ぼくが古田のあとについて外に出たのは、別に瀧口に叱られたからではなかった。いま都会生活社になにか決定的なことがおころうとしている。多分この古田を軸にして会社は大きく動いているのだ。それがぼくたちにはなにもわかっていなかった。ぼくたちは薮のなかだったのだ。どんな状況にいまぼくたちが立っていて、どこに向かって流れていこうとしているのかを知るために、この男と接触してみようと思ったのだ。
表通りに出ると古田はタクシーをつかまえた。ひどい渋滞でのろのろと這い進む車のなかで、古田は一人で喋り続けた。豊富な雑誌遍歴に裏打ちされた彼の雑誌論は、なるほどなかなかユニークでぼくの耳を十分にひきつけた。
「ぼくはね、瀧口さんのことをとても高く評価しているんだよ。君たちが考えている以上に都会生活の存在は大きかった。たしかにある時代をつくった雑誌だと思うね。しかしぼくはね、雑誌生命十年説という持論をもっているんだ。十年で一つの生命体の機能は終焉するという持論をね。だからいつも十年サイクルで雑誌を組み立ててきたんだ」
タクシーは銀座四丁目の交差点をわたり、松坂屋デパートの前までようやくたどりついた。そこで車を捨てると、裏通りに入り、ちょっと古びたビルの中にある《アンテンデュビリアン》という舌をかみそうな名のついた店にぼくを連れこんだ。古めかしい絵画や彫刻がそこここに飾られたなんだか奇妙な店だった。
「ワインでいいかね」
と訊いたが、ぼくの返事をまたずに名も知らないワインをたのんでいた。
「いろんな雑誌に手をだしてきたが、いつか大人の雑誌をつくりたいと思ってきたわけだよ。洗練されているが、それでいてエネルギーがある。金をすごくかけているが、それを感じさせない。もちろんヌードがあり、スキャンダルがあり、ノンフィクションがあり、紀行文がある。それらはどこにでもあるようなやっつけ仕事ではなく、たっぷりと時間と金をかけたものなのだ。ちようど何年も寝かしたワインのようにだね。そのワインがいま封を切られる、そのぞくぞくした喜びと興奮をたっぷりとひそませた雑誌をつくりたいという思いをずうっと育ててきたわけだよ」
ワインがこの男の口をさらになめらかにさせたのか、その夢とやらをまるでぼくのなかに投げこむように話していくのだ。
「日本人というのはもともと精神的な民族だったわけだね。ところがこの経済的成功がすっかり物質的な民族にしてしまった。もともと書物というのは精神的なものだが、経済的成功が書物さえも物質的にしてしまった。根はひどく深いわけだよ。だから売れる本、売れる雑誌というのは物質的色彩を濃厚に塗りこめなければならなくなった。しかしぼくはね、あえてこの状況にさからってみようと思うのだね。物質的民族となった日本人に精神というものに目をむけさせる雑誌だ。こう言うとなにやら道学者めいてきこえるが、そうではなくて、こういうスタイルの雑誌がいま最も新しい仕事だと思うからなんだ。時代の先端を先取りしていくことであり、十万二十万と発行部数をのばしていくことでもあるんだよ」
「そういうことはあるかもしれませんね」
とぼくは深入りすまいと、どうとでもとれるような相槌を打っていた。
「古典主義と言ってもいいだろう。新古典主義とでも呼ぶかな。岩波文庫の世界の復活だよ。いまやあの古典文庫はさっぱり人気を失ったが、ぼくはあれこそもっとも新しい現代の問題だと思うのだね。ヘロドトス、ホメーロス、トウーキュディデース、ガリア戦記に、プルータークの英雄伝だ。あるいは史記列伝や孫子や孟子の世界だ。こういう世界は少しも古くはないわけだよ。そのなかにものすごいスケールで新しい世界が横たわっている。そういう生活をいまの時代に復活させてみようと思うのだね。もちろんそのままではなく、当然そこに現代の切り口がなければならない。例えばホメーロスの世界の特集を組むとき、陳腐な発想だがヌードから入っていく方法だってある。あるいはスポット的広告なスタイルで入っていったり、どっしりとした映画的手法で蘇らせる方法だってある。いずれにしてもその切り口がシャープでなければならないわけで、作り手たちの腕のみせどころとなるわけだね。そのためにはそのページを現地で製作しなければならないと思うのだ。たとえばニューヨークを特集するとき、あの大都会の空気とか肌ざわりとかにおいをぺ一ジのなかにしみこませるには、マンハッタンでもブルックリンでもいい、そこに仮設編集部といったものをつくって、そこで製作していかなければならないと思うのだね」
彼は青年のように目をひからせて語っていく。その言葉もきらきらと輝いている。次第にこの男の印象がぼくのなかで変化していくのだった。しかし心を許してはいけないのだ。この男はぼくたちの敵なのだ。
「雑誌というのは、どうしても締切りというやつが仕事の質を浅くしてしまう。月刊雑誌ならば一か月でなにもかも完結させなければならないわけだからな。ところがニューヨークを特集するには、とても一か月では絵にならない。準備に一か月、取材に一か月、編集に一か月をかける。まあ、三か月あればいいだろう。三か月のサイクルだな。そのぐらいの時間があれば相当密度の濃いものが出来上がるはずだ」
「その雑誌は三か月ごとに発行する季刊形態になるわけですか」
「そうじゃない。三か月サイクルにするということは、編集のチームを三つ作るということなんだ。それぞれのチームが三か月ごとに紙面を作っていくんだ」
「なるほど」
「しかしもっと密度の高いものにするには、この三か月という時間も短かすぎる。雑誌のもう一つの柱であるノンフィクションや紀行文はとくにそうだね。安っぽい創造は当然のことながら雑誌を安っぼくしていくからね。舌にのせたとき、痛烈にして豊譲なる味がぱあっと口のなかに広がっていくような、刺激と緊張に満ちたページを作っていかなければならない。そういうものを作りだしていくには、これはもう葡萄酒づくりと同じなんだね。そこでぼくは三年前から七、八人のノンフィクションライターを集めて、それぞれにテーマをあたえて書かせていたんだよ。それがようやく一編また一編と仕上がってくる。たっぷりと時間と金をかけただけに、なかなかいい仕上りをみせている。それだけでも二、三十万の読者を稼げるだろうな」
「その雑誌、どのくらい刷るんですか」
「そうだな」
と言って吉田はにやりと笑い、
「どのくらいだと思うかね」
と逆に訊いてきた。