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現代音楽への警鐘 池辺晋一郎
このCDを聴いて、僕はほとんど、茫然自失。こんな作曲家が、現代にいたんだ‥‥‥。しかも、三善晃門下、僕のオトウト弟子に!
実は、ゴーストライターとしての新垣君の「交響曲第1番HIROSHIMAを、今に至るまで僕は聴いたことがない。この〈連梼〉は、僕の新垣作品初体験である。
日本の現代作品では滅多に聴けない息の長さに、まず驚く。第1楽章で、冒頭の低いうねりが次第に高音域へ移行していくそのいわば我慢の持続。やがてきれぎれに始まるフルートの主題に、未聴の世界への期待感を抱く。それを受ける弦は、入魂のテクスチュア。クライマックスの金管の咆哮、コーダのトランペット・ソロ、それにつづくフルート・ソロの暗く孤独で断片的な歌、低いハープの響き‥‥‥細部まで精緻で、モチヴェイションがたしかなエクリチュール(書法)に感嘆する。
第2楽章冒頭は、どこか日本的。暗澹たる金管のコラール、そして低いフルートの絡み、そのあとの弦のテクスチュアも実に微細。第3楽章も、始まりのフルート・ソロから木管全体へ広がる、その息の長さ。突然のスネアのロールをきっかけに空気が不穏になり、ピッコロが叫び、高まり、そしてテンションの高い沈黙! ヴィオラ(だろうか)の断片を受ける「息音」部分は、現代音楽的。
とはいえ、シューマンを想って聴いた。あるいは時にシベリウス。そして武満‥‥‥。古典といってもいいが、そんな概念をどこか超越している。時代を達観していると換言してもいい。
ラヴェルのように始まるピアノ協奏曲〈新生〉も〈流るる翆碧〉も、シューマンを、また武満を想起させる。だがどの作品もシノプシスが明確で、作曲者の魂から生まれた音たちが、まちがいなく脈々と息づいている。
数値的な方向を偏重するあまり「心」を忘れて久しい現代音楽に対し鳴される、これはまさに警鐘といっていいだろう。
作曲者によるノート 新垣隆
交響曲〈連祷〉-Litany一
私は2年前、佐村河内守氏のゴーストライターを務めていたことを公表した。様々な混乱と困惑を呼び起こし、当然のこととして今後の音楽活動は難しいと思った。だが多くの方々の支援によって再び音楽を通じて社会と関わることを許された。私を助けてくれた多くの人々に私は音楽をもって応えなければならないと思う。
「ヒロシマ」から「フクシマ」の間
私たちがこれまで生きてきた「戦後」という時──広島と長崎に原爆が投下され、焦土と化した日本がやがて奇跡的に復興し、繁栄し、そしてまた新たな問題や混乱を抱えた中で起こった3・11を「記憶」として留める、そのための共有されるべき音楽空間とは何か、ということをずっと考えていた。
曲は3楽章に分かれるが、全体でひとつの大きな「ソナタ」を形成する。
第1楽章
冒頭、静かな、悲しみをたえた折りの旋律、作品令体の基調をなす。
その「ラメント」は自ずと様々な楽想を呼び起こす。アレグロ部においてそれらが疾走した先にこの章のもうひとつの中心となる「希望のテーマ」が現れる。幸福に満ちた旋律は、永遠に続いていってほしいと願いつつも、やがて以前の楽想が呼び戻され走馬灯の如く駆け抜けていき、飽和状態に達した畤、音名による暗号、2つの地名のローマ字より取られた「H-F-Es(S)-A」がホルンセクシンより提示され、この作品があるテーマを内包するものであるということを刻む。更に楽章の最後に、戦前より活躍し、プロレタリアの立場からやがて戦時体制に協力し、その悔恨からふたたび帝国主義に抵抗する姿勢をとった作曲家、大木正夫 (1901-1971 )の交響曲第5番〈ヒロシマ〉(1953)へのオマージュを込めたシーンがある。
第2楽章
ここではまず、前の第1楽章(全体の中での序章でもある)に現れた数々のモティーフ(動機)が「動かない時間」の中で現れては消えてゆく。方向竹を見失いさまよう悲痛な旋律、粒子のような音の動き、土俗性を帯びたモティーフ、そして第1楽章の冒頭部で不吉な予告として現れたホルンの低温の動きが戦闘性を持った本来の姿をみせる、といったようなもの。それにしてもやはり時間は(実は)動かない。宙吊り状態が限界点を迎えたところで─一作品全体の中間地点にあたる──「連祷-Litany」と題された弦楽合奏によるもうひとつのラメントが現れる。作品のタイトルはこれに由来し、この部分は2014年に公開されたドキュメンタリー映画「日本と原発」に寄せた音楽からの引用である。
その後、「Variation」と題されたシーンにより、音楽はようやく動きだす。軽やかな風に乗って、しかしやがてそれらはうねりを増し、金竹のファンファーレによるクライマックスを迎える。ふたたび「暗号」が今度は低音楽器によっても強調され、またふたたび音楽はある地点で淀み、この楽章の前半で現れた「粒子の音楽」が今度はひとつのチェロ・セクションによるハーモニクス音に置き換えられて、やがて消えてゆく。
第3楽章
フルートを中心とした竹楽によるコラールから始まる。ここで突然時間軸が捻れ始め、様々なテーマが脈絡なく同時に現れ、混乱状態に陥る。ふと時間が静止する。もしかしたらこの作品の中で唯一ある状況の音楽的描写であるかもしれない。
重い沈黙から、かろうじて何とか音楽は──「Litany」の続きとして──再開する。その嘆きは第1楽章冒頭への回帰となり、そのかつて一番静かだった部分が最も狂暴な貎となって──この作品では大太鼓が不穏を表すものとして大事な役割を担う──現れ、ふたたび静寂を迎える。・‥‥‥ただし今度は徴かな希望を見出だすものとして。
静かに「連祷」のテーマは、その希望と共に紡がれ、遂にあの「希望のテーマ」をも呼び戻す。けれどもその時、実はあるベース音の上に、かつての「HIROSHIMA」と題されたものの冒頭部にそれはある。もう一度大木正夫の〈運命の扉を叩く〉テーマを呟く。希望か、それとも……時間は遡行し、HIROSHIMA以前に回帰する。
交響曲第一番HIROSHIMAの復活のドラマ
『FAKE』 森達也
残酷なるかな森達也 神山典士
新垣隆氏はペテン師を創造したのか
佐村河内守氏はペテン師だったのか
華麗に舞った高橋大輔
ヴァイオリンのためのソナチネ
魂の旋律 古賀淳也
交響曲第一番HIROSHIMA 佐村河内守
天才とペテン師 神山典士
巨大な作品 野本由紀夫
21世紀の日本に可能な交響曲の姿 長木誠司
現代音楽への警鐘 池辺晋一郎
ピアノのためのソナタ
バイオハザード・シンフォニー
ピアノ協奏曲
ライジング・サン
吹奏楽のための小品
ぼくらのマーチ
交響曲連祷 Litany