怒涛の配達与太日誌 山崎範子
12月25日
午後4時45分、『谷根千』56号できあがる。団子坂マンションに仕事場が移ってから、納品作業には屈強な足腰が必要なのだが、その労働は三盛社にオンブにダッコ状態。「腰が痛い」「息が切れる」「脚がよたる」といいつつ八千冊の『谷根千』が壁のように積み上げられる。外はもう薄暗く、配達開始は明朝と決め、台帳整理を急ぐ。納品書・領収書に判をおし、請求書を書く。いつもながらのドロナワ作業。夜、ニュージーランドに出奔中の十七歳の友人が突然遊びにきて、「えっ、おばちやん、クリスマスにも働いてるの?」
12月26日
未明、時計屋を営む姉より電話。息子が急性虫垂炎で手術するのだが身動きがとれない、たかが盲腸の手術なんだから勝手にやってくれと医者にいったが、親族の付き添いと、もしものときの輸血要員が必要だと説得された。ついては「おまえ、午前中病院にいってくれ、ちょうどB型だし」と懇願される。実は、人にはいえぬ弱みを姉に握られ頼みを断れず、『谷根千』の配達を気にしながら川口へ向かった。病室へ入り「叔母です」と担当医に挨拶。手術前に「剃毛します」と剃刀とシャボンを持ってきたかわいらしい看護婦に、甥は「自分でやります」とカーテンを閉め悪戦苦闘、シーツを紅く染めた。手術は順調に済み、昼すぎにお役御免。睡眠不足のまま午後から配達。谷中銀座の武藤書店で「年の瀬だというのに静かなもんだねえ」と声がかかる。今回は根津特集。これまで何かとストレートな反応(つまり苦情など)が多い根津のこと、心なしか配達の手が震える。
12月27日
気温は低いが、風もなくまあまあの配達日和。朝一番で自転車を走らせる。新年を前にして谷中墓地は墓参りの人で賑やかだ。あの世の人にもこざっぱりと新年を迎えてもらおうという、その心づかいがうれしい。昨年の夏の終わりに亡くなった三原家の高尾重子さんを偲んで『谷根千』を読んでくださる方もあり。上野桜木の桃林堂で屠蘇散を、東大前のニイミ書店でのし餅をいただく。正月が近い。とっぷり陽が暮れたころ、駒込のフタバ書店に到肴。ここの本揃えはユニークで主張がある。今回入口には、「店長が選ぶ今年のベストテン」コーナーが新設され、堂々とコメント付きで並べてある。おお、その十冊のうち六冊までがわたしの今年のベストテンと、一緒じゃないか、こんなに気のあう人は初めてだぞ、と思いながら一位に輝く未読の『ビート・オブ・ハート』(ビリー・レッツ著、文春文庫)を買って帰った。
12月28日
朝、本郷から神保町へ向かう。本郷通りの棚澤書店のおじさんが店頭ではたきをかけている。ここの建物は明治三十八年にはすでに建っていたという立派な出桁造りで、最近、建物を見にくる人が多くなったんだそうだ。「みんなが見てくれるから、今までは月に一度の掃除を、週に一、二回拭くようにしているんだ。ほら看板もきれいでしょうぅという。今日は年賀状書きで大忙しとのこと。落第横丁にあるペリカン書店の品川力さんは腰を痛めて臥せていらした。神保町すずらん通りのアクセス(地方小出版流通センターの本屋さん)で、百冊の包みをドサツとおろす。ここの棚を物色するのは毎度の楽しみで。本日の掘り出しものはΛ5判の雑誌「中南米マガジン」五百円。ラテン音楽の紹介雑誌だが、中米料理店の店当てクイズ、ラテンの心を持つ女シリーズなどヘンナ記事も多い。『谷根千』とサイズも薄さも同じこの雑誌は、匂いも同じで見るからにマイナー、思わず創刊号から最新の四号までを購入。夕方、12月26日に閉店した小石川の児童書の店ピッピで最後の清算。この小さな書店と谷根千は、手を取り合って仕事をすることはなかったが、お互いの存在が支えで、見ている方向はいつも一緒だったと思う(少なくとも私はそうだった)。ピッピ最後の営業日は満員の大盛況で、閉店時間が迫るとカウントダウンが始まり、ゼロのかけ声で写真のフラッシュがいくつもたかれたんだそうだ。私を含めたこれだけのファンが経営難の力になれなかったのが淋しい。
PM10時、夜の店の配達に繰り出す。昼間は開いていないスナックや居酒屋に『谷根千』を置いて回る。大晦日まで頑張んなくちゃ、というのと今晩で今年は終わり、という片が半々くらいか。
千駄木の居酒屋兆治に行くとマスターが一人酒。朝7時までやっているこの店は12時すぎから混んでくるという。「この間TVの取材でなぎら健壱がきたよ。谷中銀座の鳥肉店の小林さんと。すずらん通りの惣菜店のキョシさんとうち。うちのお汁粉サワー・青汁サワー・味噌汁サワーが珍しくてうまいからってさ」という。「ちょつと気持ちの悪い飲み物ですね」と私。
12月29日
朝一番で上野明正堂書店へ。アメ横の人混みにくらべて店内は静か、歳の暮れに本を買う人はやはり少ないのか。気を取り直し稲荷町から浅草、浅草から山谷堀公園を通って南千住の大洋堂書店に向かう。日本堤二丁月の城北福祉センター前は大鍋に炊き出し、廃材と毛布が山のように積まれ、入り口前にはブルーシートで屋根をこしらえて年越し準備中。コゲ茶色っぽい上着をきたおじさんがまわりにおおぜい集まっている。その人垣の外側に年越し作業に背を向け山谷通りを向いて立っている機動隊の姿もある。ナンでこんなところに機動隊がいるの?「おまえら、こんなところに何しにきたんじゃい」とおじさんの一人が機動隊のジュラルミンの楯を蹴っ飛ばしはじめた。酔っ払っているので蹴った拍子にヨロヨロとなる。機動隊の若者は楯を隣の隊員に預けて、おじさんを両手で受けとめた。気になりながら南千住、三ノ輪を抜け町屋の埼玉屋書店へ。町屋駅近くの団地一階に並ぶ三軒の店、左から「酒のいせもと」「煙草のえのもと」「敦煌のたきもと」。今日はじめて気付いたけれど何だか面白い。三河島から日暮里まで戻ってくる。寒くて暗い、早く帰ってあったかい鍋でもつくろう……。しかし、数時間後、節々が痛くなり鍋どころではない。あまりのつらさに夜中熱を計るとナント四十度、その数字にめまいがしてダウン。二日間続く高熱を下げるために三十年ぶりに座薬を使った。
山崎範子特集
どこにでもいる少年岳のできあがり
高知の正月、そして一年更新の仕事はじめ
生き物飼い方
生き物の飼い方 おかわり
生き物の飼い方 三杯目
地蔵になった哲学者
愛しの自筆広告
谷根千編集後記傑作選・一
谷根千編集後記傑作選・二
いま、私の目に見える景色
印刷所の男たちが版下を谷根千に変身させる夜
配達は愉しい
夜の本郷に写植カバが鳴く
つれない説明会
蟲のいる町
ステンドグラスのある風景
捨てない暮らし
山崎範子さんに聞く、谷根千・映画フィルムをめぐる25年
追悼 ヤマサキカズオ『谷根千』を陰で支えてくれた人
根津診療所発祥の路地 山崎範子
この街にこんな人 『谷根千』の先駆者木村春雄さん
新聞聞配達の後を追う
怒濤の配達与太日誌
林町にあった小さな文化財 蔵の活用法を考えよう
事務所探し顛末
サトウハチロー特集のさいごに
偉大なるアオ 高田榮一さんと爬虫類 山崎範子
D坂シネマの夜が更けて
奥本大三郎さんと千駄木を歩く
ヤマサキという人 森まゆみ
谷根千に終刊の日が
草の葉ライブラリー
山崎範子著 「谷根千ワンダーランド」
三月に刊行