日本が最も輝いていた 1980年代
1980年代の日本ではバブル景気や平成への改元など、経済面・社会面で大きな出来事がありました。また、携帯や家庭用ゲーム機も誕生し、人々の生活にも新たな変化があったといえます。以下では、1980年代の日本で起こった注目すべき出来事をまとめているので、参考にしてください。
バブル景気が起こった
1980年代の後半、日本は「バブル景気」といわれる好景気に突入しました。バブル景気で起きたのが、土地や高級住宅を購入する人が増える不動産ブームです。地価が勢い良く上がるため、価格が高騰する前に不動産を手に入れようとする企業や投資目的の個人が増加しました。また、ゴルフ場やリゾート地などの娯楽施設が次々に設立されます。経済が活気づき、就職活動も超売り手市場になりました。当時、大量に採用された新入社員は、バブル就職世代といわれています。その後、泡(バブル)が弾けるように好景気は終わりを迎えました。当時を知る人々は、「1980年代は日本が一番元気な時代だった」と懐かしみます。
平成に改元した
1980年代の日本で起こった大きな出来事の一つが、年号の変更である改元です。日本の年号は、1989年に「昭和」から「平成」に変わりました。日本では、天皇の交代にともない年号の変更が行われます。1989年1月7日に昭和天皇が病気で亡くなったため、64年間続いた昭和は終わり、翌日の1月8日から平成になりました。なお、近年の日本では、天皇の崩御にともない改元が行われるのが通例です。しかし、平成天皇は存命のうちに譲位する生前退位を行い、年号は「平成」から「令和」に改元されました。2022年現在は「令和」という年号が使われています。
携帯や家庭用ゲーム機が誕生した
1980年代の日本では携帯や家庭用ゲーム機が誕生し、人々の生活面でも大きな変化がありました。1983年に誕生したのが、「ショルダーフォン」と呼ばれる携帯です。重さが3kg以上あったため、通常は車に置き、必要時だけ肩に掛けて使用されました。月額利用料が2万円以上のうえ、1分あたりの通話料金が100円かかり、現在の携帯電話より使用料が高額だったといえます。
その後、ハンディタイプの携帯電話も発表されました。ただし、スマートフォンほど軽量ではなく、通話可能な時間も1時間程でした。
また、1985年に任天堂から発売されたのが「ファミコン」と呼ばれる家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」です。家庭用ゲーム機自体は以前から開発されていました。しかし、低価格で高機能な「ファミコン」は、多くの人々の話題になります。「スーパーマリオブラザーズ」や「ドラゴンクエスト」などの作品が誕生し、国内外で人気を博しました。
1980年代の日本で流行したファッションは、着ている人のアイデンティティーを強く押し出したものでした。以下では、1980年代の日本を代表するファッションである竹の子族・高級なDCブランド・ボディコンについて紹介します。
カラフルな竹の子族
竹の子族は、1980年代に原宿や代々木公園で見られた、独特な衣服を着て踊る人々のことです。原色や派手な大柄の生地を使った服が竹の子族の定番でした。ゆったりとしたつなぎのズボンに、丈の長い羽織物を合わせる人が多かったようです。髪型は男性も女性もパーマをあてたボリュームのあるスタイルが流行りました。服装と同様、鮮やかな色を用いた化粧をし、人々の注目を引くことにポイントが置かれたファッションといえます。
高級なDCブランド
DCブランドは、日本の衣料メーカーが作った高級路線のブランドのことです。Dはデザイナーズ、Cはキャラクターズの略で、1980年代半ばの日本で人気を博しました。DCブランドの特徴は、デザイナーの作風を強く感じさせる個性的なデザインにあるといえます。三宅一生の「イッセイ・ミヤケ」や山本耀司の「ヨウジ・ヤマモト」、川久保玲(かわくぼれい)の「コム・デ・ギャルソン」などのブランドがブームになりました。
バブルの象徴ボディコン
1980年代に流行した代表的な女性ファッションの一つが、「ボディコン&肩パッド」です。体のラインが出やすいタイトなミニワンピースや厚いパッドで肩のラインを強調したスーツが流行しました。「ボディコン」とともに多くみられたのが、前髪を伸ばし真ん中で分ける「ワンレン」という髪型です。「ボディコン」に合うような、水色のアイシャドウと赤やピンクの口紅を用いた派手な化粧も流行りました。「ボディコン&肩パッド」や「ワンレン」はバブル景気の象徴ともいえるでしょう。
1980年代の日本では、アイドルやロックバンドなどのアーティストが多くのヒット曲を出しました。歌番組や8cmCDシングルも誕生し、歌謡曲全盛期だったといえるでしょう。以下では、1980年代に話題になった歌手や曲を紹介します。
アイドル
1980年代の日本では、社会現象になるほどのアイドルブームが起きました。1980年には、「青い珊瑚礁(さんごしょう)」がヒットし、松田聖子が有名になります。また、ローラースケートを滑りながら「パラダイス銀河」を歌った、光GENJIも話題になりました。ほかにも、1982年にデビューした小泉今日子(こいずみきょうこ)、中森明菜(なかもりあきな)などは「花の82年組」といわれ、人気を博します。1980年代に誕生したアイドルは、その後も人気のある歌手が多いといえるでしょう。
ロック
1980年代はロックバンドの活動も盛んでした。チェッカーズは、チェックの衣装が印象的な男性7人組です。1984年には「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」などがヒットし、ブームになりました。女性のロックバンドで話題になったのはプリンセス・プリンセスです。5人組のグループで、「プリプリ」の愛称で親しまれ、「Diamonds」や「世界でいちばん熱い夏」などの曲が流行りました。
その他のアーティスト
1980年代はアイドルやロックバンドのほか、シンガーソングライターやフォークグループなどの楽曲も人気でした。1980年に「贈る言葉」を発表したのが海援隊(かいえんたい)です。「贈る言葉」は、その後も卒業式でよく歌われるようになります。シンガーソングライターの寺尾聡(てらおあきら)は、1981年に「ルビーの指輪」を大ヒットさせました。また、1988年に長渕剛(ながぶちつよし)が歌った「乾杯」は、新しい出発を祝う曲として、結婚式や退職のお祝いの場でも歌われます。1980年代に話題になった曲は、その後も長年に渡り愛されているといえるでしょう。
1980年代は、日本で数多くのアニメが誕生しました。1980年代に誕生したアニメは日本国内だけでなく、海外にも広まり多くの人に愛されるようになります。以下で紹介するのは、1980年代に誕生したアニメの中でも特に人気のある作品です。
ドラゴンボール
「ドラゴンボール」は、主人公の「孫悟空」が願いを叶えられるドラゴンボールを探す旅から物語が始まります。本作で描かれるのは、「孫悟空」の子ども時代から大人になるまでの冒険やバトル、友情などです。人気の理由は、バトルシーンに迫力があるのはもちろん、夢や家族愛、師弟愛などが感じられるからといえます。1980年代半ばの放送開始から長年にわたって多くの人に見られており、親子でファンという人もいるでしょう。
タッチ
「タッチ」は主人公の上杉達也(うえすぎたつや)が野球の全国大会である甲子園を目指すアニメです。幼なじみの浅倉南(あさくらみなみ)と達也の双子の弟である和也(かずや)を交えた3人の恋愛模様も描かれています。1980年代に放送されたアニメですが、その後もたびたび再放送され多くの人に感動を与えました。岩崎良美が歌った主題歌「タッチ」もヒットし、カラオケの定番曲として多くの人に歌われています。
北斗の拳
「北斗の拳」は、荒廃した世界で主人公のケンシロウが恋人のユリアを探す旅をするアニメです。道中、強敵が立ちはだかりますが、ケンシロウは北斗神拳を使い相手を倒していきます。ケンシロウの強さや魅力的なキャラクターはもちろん、多くのセリフも名言として有名になりました。「お前はもう死んでいる」や「我が生涯に一片の悔い無し」などのセリフは、1980年代以降に作られたアニメでもオマージュされています。
1980年代は、大物俳優やアイドルが主演を務めた邦画やアニメ映画が話題になりました。以下では、1980年代に人気があった邦画とアニメ映画を紹介します。
実写映画
1983年には、大物俳優の高倉健(たかくらけん)が主演を務めた「南極物語」が大ヒットを記録しました。「南極物語」は、南極にある昭和基地に置き去りにされた15頭の犬と2名の隊員が体験した悲劇と苦悩を描いた映画です。また、渥美清(あつみ きよし)が演じる寅さんが主人公の「男はつらいよ」シリーズも人気を博し、毎年新作が公開されました。ほかにも、1980年代はアイドルが主演を演じた映画もヒットしています。薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」は1981年を代表するヒット作で、その後も主演を変え、たびたびリメイクされました。
アニメ映画
1980年代にはスタジオジブリが誕生し、映画界に残る傑作を発表しました。1986年には「天空の城ラピュタ」、1988年には「となりのトトロ」と「火垂るの墓」が公開されます。その後、1989年に公開された「魔女の宅急便」により、スタジオジブリの知名度は一気に広まりました。
また、1980年に初めて「ドラえもん」の映画が公開されます。「ドラえもん」はシリーズ化され、子どもたちに夢を与えてきました。1980年代に誕生したアニメ映画は、子どもから大人まで多くの人を魅了しています。
1980年代の日本は、「バブル景気」と呼ばれる好景気に突入した時代です。利益を得た人々の間で、不動産ブームが起きたり華やかなファッションが流行ったりと生活に大きな変化が起きました。年号も昭和から平成に変わり、1980年代は時代の大きな変わり目だったといえるでしょう。現在のブームと比較してみたり、今後の流行を予想してみたりなど、参考にしてください。
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1980年代前半を振り返る
モスクワオリンピック不参加の一方、自動車生産台数がアメリカを抜いて世界第1位となった1980年。自民党の党内抗争によって大平内閣不信任案を可決成立し解散総選挙となった最中に大平正芳首相が急死し、鈴木善幸内閣が成立します。他方、国鉄静岡駅前地下街ではガス爆発が、新宿駅西口ではバス放火事件が発生。川崎市で予備校生が両親を金属バットで殺害する事件が発生するなど、家庭内暴力や校内暴力などの社会問題の深刻化が目立ってきました。また、詰め込み教育の反省から、いわゆる「ゆとり教育」が始まった年ともいわれています。プロ野球ではロッテオリオンズの張本勲氏が史上初の3000本安打を達成する一方、長嶋茂雄氏が読売巨人軍監督を辞任し、読売巨人軍の王貞治氏が現役引退しました。
中国残留孤児が初来日を果たした1981年。神戸ポートアイランド博覧会(通称:ポートピア'81)が開催され、福井謙一京都大学教授が日本人初のノーベル化学賞を受賞し、大相撲では千代の富士貢が横綱に昇進しました。大きな事件としては北海道の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故発生。他方、歓迎とともにローマ法王ヨハネ=パウロ2世やマザー=テレサが初来日された年でもあります。寺尾聰氏の「ルビーの指環」がミリオンヒットを果たし、テレビアニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」が大ヒットし、バラエティ番組「オレたちひょうきん族」放送が開始された一方で、22年半続いた「スター千一夜」が放送終了し、ピンク・レディーが解散しました。
500円硬貨が発行された1982年。日本電信電話公社からテレホンカード、NECからはパーソナルコンピュータPC-9801、ソニーからは世界初のコンパクトディスクプレーヤーとCDソフトが発売されました。中曽根康弘内閣が発足、中央自動車道が全線開通し、東北新幹線ならびに上越新幹線が開業します。しかし、ホテル・ニュージャパン火災や日航機の墜落事故などの悲劇も発生しました。タモリ司会の「笑っていいとも!」と「タモリ倶楽部」の放送が開始され、女性デュオあみんの「待つわ」がミリオンヒットを記録。プロ野球ではロッテオリオンズの落合博満氏が最年少三冠王を達成しました。
中曾根首相とアメリカのレーガン大統領との「ロン・ヤス関係」が話題となった1983年。一方、ロッキード事件の公判で、元首相の田中角栄被告が実刑判決となります。中国自動車道が全線開通、東京ディズニーランド開園、ファミコンの発売もこの年です。さらに、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」が最高視聴率62.9%を記録し、テレビアニメ「キン肉マン」のヒットと「キン消しブーム」が起こりました。他方、日本海中部地震や三宅島大噴火といった大きな災害も発生しました。
東証1部ダウ平均株価が初の1万円台を突破し、日本の平均寿命が男女とも世界一となった1984年。ロサンゼルスオリンピックでは柔道の山下泰裕氏が金メダルを獲得し、同年に死去した俳優の長谷川一夫や冒険家の植村直己氏らと同じく、国民栄誉賞を受賞。福沢諭吉の1万円札・新渡戸稲造の5千円札・夏目漱石の千円札といった新札が発行されました。電電公社民営化3法が成立とともに電気通信事業の国営と独占が終わった一方、国内研究用ネットワーク「JUNET」の運用が開始され、日本のインターネットの礎となります。高級ディスコ「麻布十番マハラジャ」がオープンし社会現象と呼ばれるほどの人気を博し、アニメ映画「風の谷のナウシカ」が劇場公開されヒットしました。そして、オーストラリアからコアラが贈られ、コアラブームが起こった年でもあります。
1980年代後半を振り返る
G5がプラザ合意を声明し、円高時代の到来となった1985年。国際科学技術博覧会(通称:つくば万博)が開催され、関越自動車道が全線開通。日本電信電話公社と日本専売公社が民営化され、それぞれ日本電信電話株式会社(NTT)と日本たばこ産業株式会社(JT)となりました。一方、日本初のエイズ患者が認定され、国民的歌手坂本九らを含む乗客520人が死亡する大惨事となった日本航空123便墜落事故が発生しました。他方、プロ野球では阪神タイガースが球団設立51年目にして初の日本一に輝き、「トラキチ」が流行語となります。また、日本人初のスペースシャトル搭乗者として、毛利衛氏・向井千秋氏・土井隆雄氏の3人が選ばれた年でもあります。
急激な円高によるプラザ合意不況によって、輸出産業の担い手である中小企業の痛手が深刻化した1986年。一方で、男女雇用機会均等法が施行され、東京など都市圏の地価暴騰が発生し、経済や産業の構造が大きく変化した年となりました。他方、学校でのいじめ問題での自殺、アイドル歌手岡田有希子飛び降り自殺を少年少女が後追い自殺する事件が続出、さらには同年の自殺者数は戦後以来最多となるなど、自殺が大きな社会問題として表面化します。そして、伊豆大島三原山の大噴火が発生し、全島民避難となりました。上野動物園のジャイアントパンダのトントンが誕生し、ファミコンソフト「ドラゴンクエスト」がヒットしました。
日経平均株価が終値ではじめて2万円を突破した1987年。安田火災がゴッホの「ひまわり」を53億円で落札するなど、土地や証券の投機が経済全体に波及し、1991年まで続くいわゆるバブル経済が始まります。ただし、ニューヨーク株式市場で大暴落、いわゆる「ブラックマンデー」の影響を受けて、各国の株式市場にも深刻な影響が波及しました。国内では、国鉄が分割・民営化されたJRグループ各社の開業や、竹下登内閣が発足します。また、利根川進マサチューセッツ工科大学教授がノーベル医学生理学賞を受賞しました。
リクルート事件が世間を賑わせた1988年。日経平均株価が終値ではじめて3万円を突破し、外資準備高が大幅に増加し西ドイツを抜いて世界1位となりました。また、青函トンネルの開業、瀬戸大橋の開通、そして東京ドームが完成しました。一方で秋以降は、昭和天皇の容体急変が報道されたことにより、国内全体での自粛ムードに突入した年ともなりました。大相撲では横綱千代の富士貢が53連勝を達成し、ソウルオリンピックでは背泳ぎで金メダリストとなった鈴木大地氏などが活躍しました。
昭和天皇崩御による「平成」への改元で始まった1989年。また、国民的漫画家の手塚治虫、戦後を代表する女性歌手の美空ひばり、さらには松下電器産業(現・パナソニック)創業者の松下幸之助が死去。国内では消費税が導入され、海部俊樹内閣が発足し、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤容疑者が逮捕された一方、世界では中国で天安門事件が発生し、「ベルリンの壁」が事実上崩壊して東欧で民主化運動が活発となります。礼宮文仁殿下と川嶋紀子氏の婚約が決定し、吉本ばなな氏の小説がヒットする「ばなな現象」が起こり、『「NO」と言える日本』(石原慎太郎・盛田昭夫共著)がベストセラーとなりました。
いかがでしたでしょうか。夢中になった出来事、すでになつかしいフレーズ、今では大切になっている思い出などありましたでしょうか。こうして流行のトピックスとともに駆け足で振り返ってみると、1980年代とは、集約や集権によって描かれていた共同幻想が変化し始めた年代であったように思えます。因果律の世界、大きな物語、二項対立の神話など、近代のイズムがもたらした利益と弊害の狭間で、個人が次なる世界のために躍動を始めた時代であったように見えてきます。
(テンミニッツTV)