最後のラブレター
仲代さん、いきなり宮崎恭子さんが書かれた最後のラブレターから書きはじめていきます。
この手紙に不思議なことが書かれています。その最後のくだりに──次元を超えて「思いの濃い魂のための世界があるかもしれません」──と。宮崎恭子さんの唯一の著作「大切な人」を何度も読み返すうちに、私は次第に「思いの濃い魂のための世界」にのめりこみ、やがて恭子さんとの魂の対話から、次のような草稿が生み出されていくのです。
第一幕
寝室。二十八年前に亡くなった恭子のポートレートと、その脇に置かれた小ぶりの花瓶にさされた深紅のバラが、冷たい寝室を救っている。達矢、うとうととまどろんでいるが、眠りは浅い。かたりとドアが開く音がする。彼は半身を起こして、ドアに目を向ける。恭子が立っている。
達矢
そこにいるのは君か
恭子
ええ、私
恭子ですよ
達矢
ああ、恭子か
君に会いたくて眠りにつくが
さっぱり君はあらわれない
こちらから君に会うのは
夢をみることしかないんだからな
そちらからは
いつでも会いにこれるんだろう
もっと頻繁に会いにきてくれよ
恭子
そんなに頻繁にあらわれたら
迷惑でしょう
達矢
迷惑なものか、
毎日でも君に会いたい、
いまおれの心身は最悪だよ
さっぱり明日が見えなくなった
もうおれは九十を超えたんだ
いまさら
なにができるのかという思いに
沈みこむばかりだからな
恭子
それよ、そのことで
あなたとちょっと
深刻な話しをしたいと思ってるのよ
達矢
深刻な話か
おれはいまその深刻の底を
のたうち回っている
深刻な話しはもういいよ
君とは深刻な話をしたくないな
恭子
あなたのそんな姿が
私のなかに突き刺さってきて
たまらなく苦しいの
だから今日はそのことを話したいの
達矢
いいだろう
君の話をきこう
何を話したいんだ
恭子
いまあなたをもっとも
苦しめているのは
能登半島を襲った大地震
能登演劇堂を
打ち立ててくれた
人々はいまなお
明日が見えない
絶望の底に
沈み込んだまま
あなたは
能登の人たちに
ころういうメッセージを
投じたのですよね
今、寒さに耐えて
今日一日が精一杯で
過ごしている皆様に
何か出来る事はないか
私も無名塾も一丸となって
大切な能登のために
出来るだけの事を
していくつもりでおります
この状況下に並べる言葉が
思い付きませんが
とにかく生きて欲しい
お互い元気で
皆様と再会したいなあと
祈るばかりです
これだけのコメントしか
だせなかった
あなたのくやしさ
あなたの無念さが
つらく、悲しく
響きわたってくる
達矢
おれが二十歳
いや十歳でもいい
若かったら
まっさきに
能登にかけつけだろう
絶望の底に沈み込んだ
能登再興に
奮闘しただろう
しかしもう九十だ
九十の老人には
丸太一本もかつげない
老醜をさらすことを
やめろという声がする
恭子
それですよ
そのことをあなたと
話したかったの
北斎ですよ
(恭子、北斎の声調になって)
わしは、な
六歳から物の形状を写す癖があり
五十歳ころから絵を描いていた
だがな
実にとるに足らぬものばかりだった
七十三歳にしてようやく
獣や、虫や、魚や、草木や、花が
うまく描けるようになった
だから八十歳になったら
いよいよ良い絵が
描きことができるようになり
九十歳で奥義を極め
百歳になれば
神の領域の絵が描かれ
百三十歳になれば
一点一画
生命をもった絵が
描けるのじゃあ
達矢
まてよ
まてよ
もう十年も前になるか
おれは平櫛田中さんを演じた
そのセリフが
よみがえてきたぞ
桃栗三年、柿八年
梅はすいすいで十三年
わしはいまや九十九歳
枯木の枝に花はちらほら
まだ実は見えぬ
嵐ふくなよ、二十年
さきにきっと実が成る
この眼で見たい
きっと実が成る
この眼で見たい
七十、八十は、はなたれ小僧
男の仕事は百から百から
いまやらねばいつできる
わしがやらねばだれがやる
恭子
そうですよ
平櫛田中さんは
百歳になったとき
三十年分の
クスノキの大木を
三本も購入している
田中さん
百三十歳まで仕事を
続ける気だったんですよ
こんどはあなたの出番です
能登を襲った大地震は
挑戦する人生を
果敢に生きてきたあなたに
天があなたに与えた
あなたにしかできない
仕事なんですよ
演劇は大震災に
打ち倒されたままでいいのか
演劇はこの悲劇に
なにもできないのか
演劇は悲劇の半島に
希望の光さえ
差し込むことができない
無力な存在なのか
世阿弥は亡霊を登場させることで能舞台を完成させました。シェクスピアは亡霊を登場させることで、その劇を重層的に組み立てていきました。これらの亡霊は過去を語る存在でしたが、いま私たちの前にあらわれた恭子さんは、悲劇の底に沈み込んでいるわれらを導く、未来を語る亡霊となってあらわれてきたのです。恭子さんはおどろくべきことを語りはじめます。