見出し画像

野ウサギの墓  帆足孝治

 

洗い場のドンコ

 家の後ろの川縁には洗い場があって、うちでは農作業が終わったあとここで汚れた農具や野菜などを洗った。少々の大水では流されないくらいの大きな石を幾つも並べ、その匚に筏のようにスノコを敷いて、ちょうど小さな桟橋のようにしてあった。隣りのうちの裏にも同様の、もっとしっかりした洗い場があって、夕方、お隣り同士でクワや鋤を洗いながら、今日一日の出来事などを語りあったりしたものである。
 
 今とちがって当時の森川はまだ水がきれいに澄んでいたので、よく御飯が焦げついた刃釜や鍋などがそのまま漬けてあったりした。そういうわけで、ここではご飯粒などの餌にありつけるため、石の下にはいつのころからか大きなドンコが棲み着いていて、驚かさないようにそっと近づくと、大きなすけ口のドンコが半身を石の下に隠し、頭だけを出してワグワグとエラを動かしているのが見えた。
 
 玖珠ではドンコのことを「ドンカチ」とか「ドボ」と呼んでいたが、何処にでもいる陽気な底魚だった。私はここで何度もこのドンコを見るうちに、なんとかこのドンコを釣りあげてやろうと思うようになった。家の道具箱から太い銅線をとりだしてこれをペンチで短く切り、これを曲げて手製の釣針をつくった。いかにも粗製な釣針だったが、これに裁縫糸を結びつけ、大きなミミズを切って餌にし、洗い場の石の隙間にそっと落としてドンコの注意を引くように静かに上下させた。
 
 ドンコは一般にすばしっこい川魚の中では一番鈍重な部類に属し、テグスのような高級な釣具を使わなくても、水中で糸や太い針が見えてもお構いなく食いつく。動きが鈍いわりに貪欲なドンコは、目の前にミミズをちらちらさせられると後先を考えずに食いつくので、私のような子供が遊び半分に差し出す釣糸にも簡単に釣り上げられてしまう。どうかするとまだ針がかかっていないのに、食いついたミミズを口から放さないばっかりに釣り上げられてしまったりする。しかし、返しのついていない子供の手製の針では、よほど喉奥まで飲み込んでしまわない限り、あともう少しというところで大抵は口から外れてしまって、ボチャンと釣り落としてしまうのである。もっとも、そこは相手がこの地方の方言で言う 「マアてえ」ドンコだから、これを狙う時は一度や二度失敗しても悲観するにはおよばない。
 
 イダやハヤなどの場合、いちど失敗して釣り落としたりするとたちまち姿をくらましてしまうので、同じ魚をもういちど釣るということはまず不可能だが、ドンコはそこがちょっと違う。危うく釣り上げられそうになったにもかかわらず、うまく針から逃れられてドボンと水中に落ちると、よせばいいのにすぐまた元の棲み家に戻り、再び餌がやってくるのを待つ。だから、釣る方は失敗して釣り落としても、また同じ場所に糸を入れてやると同じドンコが出てきて性懲りもなく同じ餌に喰いついてくる。危ない目にあったばかりなのに、同じミミズを見せつけられるとどうにも我慢ができなくなるらしく、また針のついた餌を食ってしまうのである。
 
 このドンコは体長が二十センチを超えるずいぶん大きなものであったが、実際にはこうしてドンコを釣ったところで、たった一匹ではどうすることもできない。廿辛く煮つけると白身の肉がなかなか美味しいといわれているが、それは何匹か釣れた場合の話であって、たった一匹では料理のしようもない。したがって私は、たとえ釣れてもそのドンコを再び水中に放り投げて逃がすのだが、二、三日たってからまた試してみると、同じドンコが同じ巣に戻っているのがわかる。

野ウサギの墓

 さて、この洗い場に下りる斜面には篠笹がたくさん茂って藪を形成しており、子供のころこの中に野ウサギの墓を作ったことがある。山で捕まえた野ウサギの子を埋めた墓だったが、今となってはもうどの辺だったか分からない。その子ウサギは前の山で捕まえたものだった。
 終戦直後までは、祖父は大層な山持ちで、家から見上げる前の山はほとんどすべてうちの山だったから、ずっと上の農学校の果樹園から下の杉山はもちろん、さらにその下のお稲荷様の脇の畑もみんなうちのものだった。
 
 私は小学生のころからよくここの畑の手伝いをさせられたが、子供だった私が一番役に立つのは草むしりだったろう。もと杉山だったところを切り拓いて畑にした所なのでジャガ芋やニンジンを植えた畑はかなりの斜面になっており、遊びたい盛りの子供にとっては、ここで上ノ市の家並を見下ろしながら、一日中おとなと一緒に草むしりをさせられるのはなかなか辛いものがあった。したがって私はきりのない草むしりに厭き厭きして、何とかこの労働から逃げ出す口実がないものかと、常にあたりに注意を払っていた。
 
 ある日、いつものように叔父と一緒にニンジン畑の草とりをしていて、何とはなしに顔をあげたら、何と目の前に可愛らしい子ウサギがいるのに気がついた。一瞬、私は何か起こったのか分からずに呆然とその子ウサギを見つめていた。何処から出てきたのか、その子ウサギはお稲荷様の下の坂道にしゃがんで、目の前で草むしりをしている私を見ていたのである。私はおもわず、すぐ向こうで下を向いて一心に草をとっていた叔父に「ウサギが出たアー」と叫んで知らせた。
 
 その声に驚いたのか、子ウサギはくるりと向きを変えてヒョコンヒョコンと坂道を上り始めた。私はこの子ウサギが出たのを幸い、これを追って坂道をかけ上った。子ウサギは大して慌てる風でもなく、ヒョコンヒョコンと跳ねるように上へ上へと登っていくので私は息を切らしながらその後を懸命に追った。私は、叔父が下の方で「ウサギを下から上に追ったんでは捕まらんぞ!」と叫ぶ声を聞きながら、なおも真剣に子ウサギを追い続けた。
 
 ウサギは前足が後ろ足に比べてうんと短いので、斜面をかけ下るのには不向きだが、駆け上がるのは得意だということは言われるまでもなく知っていたが、下から上ヘ逃げていくウサギを追っているのだから仕方がない。ウサギはみるみる私を引き離して、私が坂道の上までたどり着いた時にはもうその姿は何処にもなかった。短い時間だったが、私はこんなにきつい坂道をこれほど真剣に走り上ったことはかつてなかったので、ほとんど息が詰まってしまい、心臓はまるで破れるかと思うほど激しい鼓動をうち、ただ、ハアハアと喘ぐばかりで、なかなか呼吸を整えることができなかった。
 
 せっかく見つけた野ウサギだったのに、逃げられてしまったのでは仕方がない。やむなく再び畑の草むしりに戻ろうと坂道を下りかけて驚いた。見失ったばかりのあの子ウサギがどうしたのか、またヒョコヒョコと下りてきたのである。何処から来たのか近所の家で飼っていた犬も一緒に姿を現した。それで私は合点が行った。何でもないのに子ウサギがわざわざ人のいる所ヘノコノコ出てくる筈がない。その子ウサギは犬に追われて下ってきたのであった。きっと親ウサギの留守時に棲み家を襲われでもしたのだろうか。私は、今度こそ逃がさないぞとばかりに、その子ウサギを追いかけ始めた。
 
 ところが、私より先に犬がこれを追い回し、あれよあれよと見る間に、とうとううちの杉山の中に追い込んでしまった。そのころの杉山はよく下刈りがしてあり、落ち葉も子供たちがよく薪に拾って帰ったので地面は綺麗になっていたから、私はほとんどウサギより速く走ることができた。子ウサギは私に追いつかれそうになると一瞬立ち止まり、今度は突然向きを変えて、惰性で急には止まれずに行き過ぎそうになる私を尻り目に、今走ってきた方向へ逃げ始める。私は、そうはさせじとまたこれを追いかける。子ウサギがまた向きを変えて懸命に脱出を図る、というようなことが何回続いただろう。とうとう私と犬は哀れな子ウサギを杉山の中に倒れていたスギの木の陰に追い詰めた。
 
 犬がワンワンと激しく吠え、私は今にも子ウサギを喰ってしまいそうに興奮している犬をなだめすかしながら、そっと倒木の下に手を伸ばし、すっかり怯えて倒木の陰にうずくまってしまった子ウサギの耳を掴んだ。そのとき子ウサギは驚くほど大きな声でキイキイと鳴いて足をハタハタさせてもがいたが、私は構わずウサギを持ち上げて胸に抱き取った。そして、すっかり嬉しくなった私は叔父のところへその獲物を見せに坂を下っていった。
 
 せっかく追い出した獲物を私に横取りされてしまった犬は、私の胸に抱かれた子ウサギを見上げながら、なおも激しく吠えつつも尻尾を振りながら私について坂を降りてきた。哀れな子ウサギは犬と人間に散々追い回された揚げく、とうとう捕らえられてしまったのですっかり気が動転してしまったのだろう。捕まった当初は私の胸にまで激しい心臓の鼓動が伝わってくるほどドキドキしていたが、どうしたはずみか鼓動がだんだん小さくなっていき、それと同時に心臓麻痺でもおこしたのだろうか、目を閉じて私の胸の中でぐったりしてしまった。
 
 昔は田舎では肉を買って食べるという習慣がなかったから、たまに捕れる野ウサギは貴重な蛋白源だったが、私か捕まえた子ウサギはあまりに小さく、それにすぐ死んでしまったので、私はとても食べる気はしなかった。私が死んだ子ウサギを何時までも抱いていたので、叔父は笑いながら、「どこかに埋めてやったらどうか?」と言った。それで私はそっと裏にまわり、誰も見ていないのを確かめてから裏の洗い場の篠笹が茂ったところに穴を掘ってそっと子ウサギの死骸を埋めた。そして小さな石をのせておいたが、今ではすっかり様子が変わってしまって、もうどの辺だったか分からなくなってしまった。


いいなと思ったら応援しよう!