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明日の海へ船出する糧としての千曲川 小口修平
「千曲川」、永遠の輝き
明日の海へ船出する糧としての千曲川 小口修平
俗に結婚する男女は、目に見えない赤い糸で結ばれているなどと言われているが、良い人間関係もまた同様に思うことが時折ある。
著書の小宮山さんは、出版人として斯界では著名な方。私か初めてお会いしたのは塩沢実信氏(出版評論家)の出版記念会の席であった。
その後、日本出版クラブ加入にあたり、推薦者になっていただき、以来ご厚誼ねがっているが、あるとき「千曲川」と題する小説を書いているとお聞きした。
それが「草の葉」誌に順次掲載されているのを知って驚いた。それは私の家内が、主幹の積氏夫人と知り合いで、例月同誌が贈呈されてきていたからである。
それから暫くして、積氏から「千曲川-そして明日の海へ」(理論社刊)と題した著者の単行本が届き、更に家内に書評をとの要請があった。
ところが、家内の言うに、
「私がお書きするより、同郷人でもある貴方が寄せるのが適任と思うので、そうして下さい」と頼まれた。要するに体よく逃げられたのである。
本題の「千曲川」は、アユの友釣りをする者にはよく知られた川で、この信州一の大河は大アユの釣れるところとして人気があるが、一般には島崎藤村の「千曲川旅情」の詩によるところが大きい。
その河畔の上田市に生をうけた著者が、望郷の念にかられ、幼年期、少年期と、越し方を記した自伝的な小説が本書であって、大正末期から昭和初期にかけての千曲川流域の暮しぶり、上京後、下町の縁せきに厄介になって勉学にいそしんだ頃の交友関係など、当時の生活が偲ばれて懐かしい。
特にその時代は、第一次大戦後の好況から金融恐慌、昭和七年の五・一五、昭和十一年の二・二六事件、社会主義運動の熾烈化、満州事変、支那事変、大東亜戦争へとつながる大動乱の時代であって、軍国主義の暗黒時代を体験した私たちは共感するところが多かった。
そうした中でも特に感慨深かく読ませていただいたのは、苦学生の頃の交友関係と、渋沢敬三の声咳に接し得た記述であった。
ここに私が記すまでもなく、渋沢敬三は渋沢栄一の孫で渋沢財閥の総師であり、終戦時乞われて大蔵大臣をされた方だが、私にはそのような輝かしい経歴より、日本の民族学の発展のため私財をもってアチックミューゼアムを設立され、有為な人材を助成された資性清廉な方として大変尊敬をしているが、著者は少年期に就職した第一銀行で渋沢さんに仕え、そのお人柄に無言の薫陶を受けられたようである。
又、鈴木貫太郎海軍大将(昭和天皇侍従長・終戦時の総理)との、腕白時代の奇妙な出会いや、そのお人柄を示すエピソード。職域の演劇活動をしているうちに、社会主義運動に巻き込まれて警察に留置され、そこで当時、築地小劇場の左翼運動に関係して捕らわれていた干田是也(演出家)と同じ留置場に入れられて、励まされた話とか、そのとき著者のめんどうをみていた縁せきの「お正おば」が身柄引き取りに来て、著者の潔白を証明しようと、警察相手に派手なやりとりを展開するそのシーンなど、勝気で気の良い下町のおかみさん姿が自と思い浮かんでくるようで、なかなか痛快である。
このようにして歴史に残る人々や、善意のある友人、先輩、縁者に恵まれ、人間形成のだいじな少年時代を過ごされた著者は仕合わせ者であったと思うが、それも自ら備わった人徳によるところが大きいものと思う。
私事に亘って恐縮であるが、後のち著者とお会いして何かとお話をしているうちに、これはと思ったことがある。
それは、昭和二十一年から数年間、私は若き日の阿木翁助日本放送作家協会理事長のご支援で、月刊「青年演劇」誌を、友人たちと刊行したことがあるが、その頃小宮山さんは同業の演劇雑誌「テアトロ」の刊行にあたっていたとのこと。
このようなにことから、冒頭に記したように単に同郷ということだけでなく、歩いて来た道、更に出版に対する考え方にも教えられる点が多く、尊敬と共に親近感をもって、おつき合いさせていただいているが、近頃はまた、私の社が、小宮山さんの事務所にも近いため時折、街角でお目にかかる。
お会いしても、ほんの一二分の立ち話であるが、いつお会いしても矍鑠としていて福々しい。「傘寿来青春」というのであろう。第二部の著作にも手を染めておられるようで、拝読するのが楽しみである。
二十一世紀を間近にして、豊穣の海にとっぷりと漬かっていた時代は過ぎたと言われている。過去の歴史を顧み、未来を想定するそんな着実な捉え方が、又、必要になるであろう。
そうした点からみると、妹尾河童著「少年H」とは内容、時代は多少異なりはするが、小宮山さんの労作は、少年期の生き方を通して、明日の海へと船出する糧を与えてくれるだろう。「母なる川」という言葉があるが、かつての日本には国中いたるところに美しい川があり、山があった。小ブナを釣り、野ウサギを追って幼年時代、あるいは少年期を豊かな山や川で遊んで過ごすというのは、日本の子供たちの最も典型的な育ち方であった。