幻想ポロネーズ
村松の朝は早い。夜が明ける前に起きて、MTBを駆って多摩川に向かって走らせる。公安警察は毎日、村松邸に覆面の警察車両をはりつけているが、MTBに乗って外出する村松への尾行はなかった。まして夜明けのツーリングを追いかけてくるほど警察は暇ではないということだろう。
多摩川の堤に出ると、上流に向かって走っていく。それが格子のなかに閉じ込められていたとき一番やりたかったことだった。自由と解放の飛翔だった。
そのツーリングから戻ってくると、汗をシャワーで流して、グランドピアノの前に座る。村松が父親に言った「けりをつける」とはこのピアノのことだった。
武蔵刑務所に移送され、監獄のなかの監獄である懲罰房に拘置された。あのとき彼の手には皮手錠がかけられ、両手がもがれたような拘束状態におかれていた。そのとき彼のなかに旋律があふれ出てきて、手錠をかけられたその手の指が鍵盤を叩いていた。記憶の底に封じこめていた楽譜を次々に取り出し、その拘束された十本の指がその旋律を奏でていたのだ。
そのとき彼のなかに恭子の放った言葉がじわじわと湧きでていた。恭子はこう言って村松とピアノを決別させたのだ。
「世界を征服するためには一流の才能がなければ駄目なの、あなたの才能もやっぱりママと同じように、二流の才能でしかなかったの、二流の才能はどこまでいっても二流、ずるずるだらだらとピアノを引きずり、人生を屈折させ腐敗させていくだけ、あなたはそんな腐った生き方をしてはいけないの、あなたには世界を征服する方法はいくつもある、だからこれできっぱりと音楽を捨てなさい」
しかし本当にそうだったのだろうか。ママが診断したようにおれの才能はなかったのだろうか。人はその人がもっている度量でしか他者を理解できない。ママは敗北したピアニストだった。二流の器のなかにおれを入れて見ていたのではなかったのか。だからおれの隠された才能が見えなかったのだ。おれはやがてママの器を突き破り、世界を征服するピアニストに成長していく。その才能を持っていたのではないのか。あの懲罰房のなかでふつふつと湧き上がってきたその疑問に、監獄の門を出たらまず挑戦してみようと思ったのだ。
その疑問に挑戦するために選び出したのは、ショパンのポロネーズだった。恭子はその才能が本物であるかどうかを見るには、ショパンのポロネーズを弾かせてみるとすぐわかると言った。そんな持論を持っているためか、村松にもしばしばそのポロネーズに弾かせた。村松はすでに小学三年生のとき小学校の体育館で、全校生徒に向かって「軍隊」という標題がつけられた第三番のポロネーズを弾いている。五年生のときは文化センターホールで千人もの聴衆の前で「英雄ポロネーズ」を弾いている。村松にとっていわば手慣れた曲であったが、「幻想ポロネーズ」と呼ばれる第七番ははじめての挑戦だった。
恭子はこの曲を弾かせなかったのだ。この曲は小学生のあなたが弾く曲ではないと言った。死の影におびえ、もだえ苦しむように刻み込まれたショパンの送別の曲。この曲は人生を深く生きたときはじめて弾けるのよ、と。しかし村松は、すでに人生を深く生きてきたのだ。監獄のなかで四年近い月日を送った。その監獄では病棟の看護夫となり、数人の死者を送り出してきた。いつも死の影を縫い込めて生きてきたのである。もう村松にはこの曲に立ち向かえるのだ。
村松の指は錆ついていた。恭子が椅子をグランドピアノに投げつけた日から、一度も鍵盤を叩いていない。その錆びついた指を鍛え直すことからだった。メトロノームを鳴らし、指の徹底的なトレーニングだった。その激しい機械的なトレーニングのなかで、鍵盤を叩く音がかつて恭子のもとで特訓されてきた音とちがっていることに気づくのだ。音が重くなっている。音に影あるのだ。音に傷があり、苦悩があるのだ。
小学生のとき叩いていた音は、軽く、明るく、透明だった。しかしいま彼が叩く音は、どんな弱音を弾いても軽くはない。村松が最初に取り組んだのは、第二番のポロネーズだった。その曲には「シベリア・ポロネーズ」という標題がついていた。戦争に破れた祖国ポーランドの兵士たちが捕虜となり、鎖につながれて流刑の地シベリアに送られていく。その情景をショパンは描いたということを村松ははじめて知った。標題によってその曲をとらえることは意味のないことだと恭子はよく言っていた。しかしそのとき村松は、監獄に囚われていた我が身を「シベリア・ポロネーズ」に重ねているのだった。
七曲によって構成されているそのポロネーズに次々に取り組んでいったが、彼のなかに鮮烈によぎっていくことがあった。彼は子供のとき「軍隊ポロネーズ」を華麗に弾き、「英雄ポロネーズ」も完璧に弾き放った。彼のその演奏に聴衆は賛嘆の拍手を送った。しかしそれは小さな子供が、高度な曲芸を見事に演じたそのパフォーマンスに対する拍手であった。事実、そのとき村松が弾いたショパンは、子供が演じるサーカス的曲芸としてのショパンだったのだ。村松はそのことがはっきりとわかった。軍隊ポロネーズも英雄ポロネーズも、まったく異なった相貌をみせて、彼の前に立ちあらわれてきたのである。
もはやそのショパンは技巧で征服していくものではなかった。複雑なゲームを攻略していくような快感と感覚で弾くものではなかった。ショパンはそのポロネーズのなかに、人生の悲しみや嘆きや祈りを縫い込めているのだった。彼の指が鍵を叩いて縫い込んでいくその音は、重く、影があり、傷ついている。いま彼の弾くショパンは、恭子とともつくりあげたあの子供のショパンではなかった。刑罰を受けた人間の、礫刑を背負った人間の、その礫刑を背負って、さらなる高き山に登っていこうとする人間の縫い込むショパンだった。
その七つのポロネーズを磨き上げると、彼はたった一人のコンサートをした。恭子はこの地上を立ち去る前に、それが彼女の最後の創造であるかのように、家屋を全面的に改築した。二台のグランドピアノが鎮座するレッスン室はさらに広げられ小さなコンサートホールのようになっていた。まるで恭子はこの小さなホールで、息子が再びピアノに立ち向かう日がくることを予告したかのようだった。
そのホールに村松が紡ぎ上げた七つのポロネーズが響き渡る。最後の曲、第七番の「幻想ポロネーズ」を弾きはじめた。恭子が彼に弾くことを禁じた曲だった。ショパンの白鳥の歌だった。生命の終焉がすぐそこまで迫っているからなのか、暗い陰鬱な霧が辺りに立ち込めているかのようだ。絶望と苦悩でもがきもだえるかのような重苦しい音が連なる。しかしその重苦しい霧も晴れ、魂は解き放たれ、自由に溌刺と躍動していく。その幻想の飛翔もやがて静寂のなかに沈み込んでいこうとする。その一瞬、叩きつける和音の一撃によってこの曲は終る。村松はその最後の和音を叩きつけた。
ぱちぱちと打ち鳴らされる拍手が聞こえてきた。恭子が叩く拍手が。手を叩いているママに村松は言った。
「ママ、どうだ、これでわかったか、あんたは間違っていたんだ、おれはあんたを乗り越えることができたんだ、おれは世界を征服するピアニストにだってなれたんだよ」
監獄には多くの裏社会の組員がいたが、しかし最近では指を詰めるなどという風習は急速に廃れているようだった。それでも何人か小指を切り落とした男たちに出会ったが、そのなかの一人が言った。
「指を落とすときだな、刃物ばかりに目がいくが、肝心なのは指をのせる台だよ、指をきれいに落とすには、まな板が一番だな、それもヒノキにかぎる、ヒノキのまな板は、ころりときれいに落としてくれる」
その教示をうけていた村松はヒノキのまな板を購入していた。その夜、村松はヒノキのまな板に薬指をのせ、鉈でざっくりと一撃で薬指を切り落とした。