ゼームス坂物語誕生 小宮山量平
ゼームス坂物語誕生 小宮山量平
いま、その本を石つぶてとして、
日本の、平和を、教育を、撃て!
例えば、あの少女が、あの子どものいのちを奪ってしまった‥‥ああ、とうとうここまで来てしまったのか、と絶句する。何が、どうして起こったのかわからない。何を、どうしたらいいのか、考えようもない。そういう絶望に似た呻(うめ)き声が巷にみなぎるのでした。そんな悲痛な合奏が、さながら現代史の年譜を小刻みに辿るかのようにつづいております。
けれども世間の「良識」が絶句を重ねるよりも遥か以前から、それら数知れない事件は発生しておりました。とりわけ偏差値とやらがマニュアル化し、すべての良き家庭が、良い子を育てる砦としてパターン化し始めたころから、イジメも登校拒否も、深く潜行していました。
そんな危機の重層化をいちはやく指弾し、わが事のように心を痛め、暁の鶏のような叫びを奏でつづけていた一無名作家高尾五郎さんによる長年の全作品が、(ゼームス坂物語)(清流出版)と題する全四巻ものシンフォニイとして、一気に公刊されるに至ったのです、その作家に対しても、そんな決断に踏み切った出版社に対しても、思わずも巨(おお)きな拍手を送る歓びを覚えずにはいられないのです!
これ程の作品が世に出ることに微力をと、心を砕くうちにも編集者としての私は老い、容赦もなく訪れる出版界の不況は門を狭め、ひたすらに用心深くベストセラーづくり体質へとのめり込んで行く現状に手を拱(こまね)いて、何の支援をも送りえないありさまでした。けれども「嵐が強い樹を育てる」かのように、思いがけなくもそれらの各楽章を壮大なシンフォニイのように共鳴させるプロジェクトは、一気に実現したのでした。
恐らくこのエールが現れるころには、その高鳴りは、みなさんのお耳にも届いているのかも知れません。もともと作者の高尾さんは、熟達の私塾経営者で、いわゆる「問題児」を一分に引き受けてきた教育実践をふまえての作家活動でした。
今この交響曲を織り成す全四巻四〇編に及ぶ各作品をひもといて、先ず私たちが撃たれるのは、日本の庶民生活の隅ずみにまで浸透している危機の根深さと、それに対する私たちの余りな迂闊(うかつ)さでしょうか、思いがけない何事かが次々と惹起して、私たちが眼を廻してきたあの事件も、この事態も、すでにして、日本の家庭の中でも、教育の現場でも、子ども同士の集いの中でも、幾重にも発生してるばかりか、化膿して腐臭を発してさえいたのです、それを予告する作者の警鐘は、何と早くから鳴らされていたことでしょうか!
そして今、もはや「後の祭り」かとも思える亡国的状況を迎えて、全四巻を一挙に刊行という祝祭にも似たプロジェクトが立ち上げられたことは、長年埋もれていた作品が日の目たというだけに止まらず、より深い意義を思い知らされます。
先ずほっとするのは、これら作品の文学性の高さの清々(すがすが)しさです。ともすれば哀切なメッセージとして奏でられそうな一つ一つの主題が、これはどの苦渋を経て初めて到達される「希望」として明るく語られていることでしょうか。
そして次に、こうした作品こそが「待望の文学」として産み出されるべきではないかと、出版界の現状に熱く呼びかけ、ベストセラー本位の営利主義と鋭く対決する「ロングセラー」方式の極北を指し示すと思える新パワーが出現したと確言できるのです。