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イエロー・ブリック・ロード 高尾五郎 Yellow Brick Road

 若潮埠頭橋を渡り、赤煉瓦の通りを抜けて広場に出たとき、シェパードをつれたあの子がぼくの目のなかに飛び込んできた。その子に会いたいと思いカラコルムGTを飛ばしてきたのに、実際にその子の姿を見ると、やばい、どこかに隠れようという思いが駆け抜けていった。一瞬どうしょうかと迷ったが、その子もぼくに気づいて真っ直ぐにかけてきた。
「ハーイ」
 と女の子はバラのような笑顔で言った。ああ、とぼくは自転車をとめると、まぬけな声を上げていた。
「この前の怪我、大丈夫だった?」
「ああ、あれなんともなかったよ」
「よかったわ、あなたと会えて。ねえ、あなたの名前なんていうの」
「ぼくは村野繁というんだ」
「じゃあ、シゲルって呼んでもいいわね。あたしはキャサリンっていうの。だからキャシーって呼んでいいわよ」
「キャシーか」
「この犬はね、ジローっていうのよ」
「ジローか」
「よろしくでしょう、ジロー」
 そのかしこそうな犬は、ぼくを見上げた。
「君は日本語がうまいね」
「そりゃあそうよ。アメリカでは小学校から日本語を学んでいるのよ」
「ああ、そうなのか」
「それに、日本とアメリカは、目と鼻の先じゃない」
「まあ‥‥‥」
 太平洋という巨大な海がはさまっているけど、まあ日本とアメリカは兄弟の仲だということもあるわけだから、それはそうだけどとあとにつづけてみた。
「君はいまどこに住んでいるわけ?」
「LAよ」
「エルエイ?」
「ロスアンジェルスよ。ロスアンジェルスのことLAっていうの」
「そうなのか。そうすると日本にきたのは観光とか‥‥‥」
「そうじゃないの。ママにつきあっているのよ。ママは日本に好きな人がいるわけ。十日に一度とか、多いときには一週間に一度、その人に会いにくるのよ。そのときあたしも連れてくるわけ。ママにはもちろんパパがいるのよ。パパももちろん愛しているわけ。でもその日本人も愛しているわけなのよ」
 それって不倫してるってことって言葉がのど元まで出かかったが、こんなことを口にすべきじゃないと飲み込んだら、なんとその子はぼくの心のなかをのぞいたように、
「不倫っていうか、ママって、クールなのよ」
「クール?」
「ママはどっちも欠けてはいけないって言うの。どっちも愛している。どっちかを失ったらママの人生はないというわけなのよ。ママってクールな女性なのよ」  
 ぼくのクラスの女の子だって、ずいぶんませた話をしている。この子はぼくと同じ年だと言ったけど、それよりずっと年上のように思えた。
「ねえ、シゲル。あたしのママとその男の人をみてみたくない。ママたちはね、いつも窓際のテーブルに座るのよ。だから外からもみえるの。ふたりが話している様子で、もうすぐ話は終わるなって判断するわけ」
「その間に、君はこのジローを散歩させているわけなのか」
「そうなの、うちのママはいい娘をもったと思わない?」
 ぼくたちは埠頭に向かった。そのときふとこの女の子はアメリカ人だから、アメリカ人ならば、ぼくのお父さんとお母さんのイエブリ論争のことが分かるかもしれないと思い、
「あのさ、うちのお父さんはあのレストランの名前、ぜったいにエルトン・ジョンからいただいたものだっていうんだけどさ」
「エルトン・ジョン?」
「そう、エルトン・ジョン」
「その人って、どういう人なの?」
「ほら、グッバイ・イエロー・ブリック・ロードだよ」
「なに、それ?」
「えっ、グッバイ・イエロー・ブリック・ロードって歌、知らないの?」
「へえ、そんな歌があるの、あたし聞いたことないわ、どんな歌なの、ちょっと歌ってみて」
 ぼくはその歌を完璧に歌える。というのはぼくの家でイエブリ論争が起こってからというもの、お父さんはがんがんエルトンのCDをかけるので、ぼくもエルトンにはまってしまって、その歌を完璧にそらんじてしまっていた。しかし歌ってみてと言われても、エルトンとならば一緒に歌えるが、アカペラで歌えったって無理な話しだった。するとその子は奇妙なことを言った。
「ああ、それっていい曲ね」
「思い出した?」
「あ、黙ってて、もっと歌ってみて」
 その子は立ち止まって、ぼくの背中に顔をすりつけ、ぼくの体のなかで鳴っているエルトンを聴いているかのようだった。その子の体が揺れ、そのリズムを口ずさんでいたが、やがて歌いだした。ぼくの体のなかでエルトンが歌う「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」ががんがん鳴っている。もうぼくもたまらず歌いだした。
「ああ、最高、もう、ぜったいに最高、これって完全にはまっちゃうね」
「君の英語、やっぱ本物だよね。そうだよな、本物のアメリカ人だもんな」
「シゲルの英語だって、ちゃんとした英語だよ」
「ぼくの英語ってぜんぜん嘘っぽいよ。だってさ、ぜんぜん意味なんかわかんないで歌ってんだからさ」
「ええっ、意味がわかってないで歌ってるの?」
「ただエルトンの真似しているだけだから」
「あたしこの曲、ぜったいに手に入れる、エルトン・ジョンだよね、あたしこんな歌があったなんて知らなかった」

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