ゴッホは殺されたのか
ゴッホとテオとヨハンナ
1
かつて私はゴッホについて次のように草したことがある。
《ゴッホの絵を見るたびに、弟テオに宛てた膨大な手紙を読むたびに、彼の思想が私のなかに流れ込んでくる。彼の最後の手紙はこうだった。
この最後の手紙はさまざまな読まれ方をしているが、私はいまこのくだりをこう読んでいるのだ。弟テオとともにはじめた世界を転覆させるためのプロジェクトづくりも、すでに十数年の月日が過ぎ去っていった。しかし依然として光の出口がみえてこない。それどころかプロジェクトは危機に瀕している。耳を切り落としてしまうばかりの幻覚と幻聴が周期的に襲いかかってくるのだ。崩壊の日が刻々と迫っているのが全身で感じられる。こんなおれにテオは金を送ってくる。テオに子供が生れた。テオはその生活を支えるに手一杯なのに、いつまでおれは彼に金を無心する手紙を書きつづけるのか。おれが生きることはテオの家庭を崩壊させることだ。いよいよ踏み出さなければならなくなった。このプロジェクトを決着させなければならない。
彼はポンドワードの銃器店で拳銃を購入した。テオを生きた芸術家の画を扱う画商から、死んだ芸術家の絵を扱う画商にするために。本物の画商になるには死の商人となって、画家に悪魔のように、ささやかなければならぬ。早く死ね、劇的に死んでくれ、その死が早ければ早いほど、その死が劇的であれば劇的であるほど、あんたの絵が売れていくと。事実その通りだった。いままた自殺した画家の絵が、高額で取引されているという話を耳にした。どこまでいっても結実しないプロジェクトを決着させるために、テオを死んだ芸術家の画商に格上げするために、ゴッホは麦畑のなかで決然と胸に弾丸を撃ち込んだ。たしかにその一撃は、彼の最後の手紙からそう読み取れる。しかしゴッホは同じ手紙のなかでこうも書いている。
テオは死んだ画家の画商にはならなかった。兄の死に引きずられるように半年後に世を去った。テオもまたゴッホと同じように、三百年生きる、三百年かけてその思想に結実させるという創造者だったのだ。二人が企んだプロジェクトは、三百年どころか人類が存続するかぎり生きつづける。》
2
二〇〇八年、それまで誰にも書かれたことのなかった一冊の本が読書社会に投じられた。小林利延著の「ゴッホは殺されたのか」(2)である。なんとゴッホに弾丸を打ち込んだのは弟テオだったというのだ。それが荒唐無稽なる絵空事きものではないことを、小林氏は殺人事件を追跡する捜査官や検事のように、二十八もの検証によって、犯行はテオによって行われたという推論を組み立てている。
もう半世紀も前になるが、みすず書房から全六巻にわたる「ファン・ゴッホ書簡全集」が刊行された。ゴッホが弟テオに、母親に、妹に、友人のラッバルトに、ゴーギャンに、ベルナーレに差し出した八百通もの手紙の全文が編まれている。そのゴッホの手紙とはどのような意味をもっているのか、例えば、ヘンリー・ミラーはこう書いている。
この「ファン・ゴッホ書簡全集」は私の内部に住み着いていて、ゴッホのストーリーを書いてみたいという思いはくすぶっていたのだ。ゴッホの生涯は、人々の創造力と想像力をいたく喚起させるのか、彼について書かれた本はおびただしい。日本語で書かれた本だけでも数十点あり、英語で、オランダ語で、フランス語で、ドイツ語でとさまざまな言語で書かれた本ともなると数百点にもなるのだろう。もはやゴッホは書き尽くされている。それなのにゴッホを書かねばならないという思いはふつふつと私の内部でくすぶっていたのだ。
それは一八九〇年の六月のことだった。挫折、挫折の連続で、絶望のドン底に沈んでいたゴッホをテオが訪ねる。そのときゴッホは二十七歳、テオは二十三歳だった。そこで兄弟は、今日の言葉でいうならば、絵画プロジェクトを組み立てるのだ。兄フィンセントが制作部門を担い、弟テオが財政営業を担当するという役割で。そのプロジェクトは直ちに始動して、翌月の七月に最初の五十フランが、テオからフィンセントに送付されている。そして兄も描き上げた作品を弟に送付するのだ。
兄弟は十年後にともに没するのだか、そのプロジェクトはそれまで途切れなく続き、制作担当のフィンセントは実に一千点を超える絵画を弟に送付している。そして財政営業担当のテオは、今日の日本円で換算すると六、七千万円の金を兄に送付している。このプロジェクトが生み出した一千点を超える作品は、二人の生存中に売れたのはたったの二、三点だった。日本円に換算するとたったの五、六十万円だった。
ゴッホの絵は、弟テオとともに創造されたのである。したがってゴッホを描くとき、この弟テオの視点に立ったストーリーが不可欠なのだが、おびただしい数のゴッホ本の大半が、そのストーリーは書かれていない。例えば、アーヴィング・ストーンが書き上げた「Lust for life, The Novel of Vincent van Gogh」(邦題──炎の人ゴッホ)は大ベストセラーになり、それが映画や演劇になってゴッホブームを全世界に巻き起すのだが、その八百ぺージになんなんとする大作は、ゴッホの葬儀の場面を描くと、その後の顛末はたった一ページで片付けて、その大長編小説のピリオドは打たれている。
大半のゴッホ本は、テオの存在、テオのストーリーはこんな風に片付けられる。ゴッホの遺体が村の墓地に埋葬された、それでゴッホのドラマは終わったのではないのだ。兄とともに組み立てたプロジェクトを結実させようとするテオに、まるで悪魔に引き裂かれるようなドラマが襲撃するのだ。テオは精神病院の格子のはまった独房で、兄の後を追うように、あるいは兄に引きずられるように、三十四年の生涯を閉じる。フィンセント・ヴァン・ゴッホを描くときそのドラマも書かねばならないのだ。
その後にさらに大きなドラマがある。ゴッホ兄弟のプロジェクトを引き継いだヨハンナのドラマが。世界にはおびただしい数の画家がいるが、その大半の画家たちの作品は、彼らが生命を閉じるとゴミとなって捨てられ焼却されていく。もしそこにヨハンナがいなかったら、一千点にも上るゴッホの絵もそうなっただろう。深い知性をもった、強い意志をもったヨハンナという女性によって、絵画によって世界を顛覆させるというゴッホ兄弟の壮大なプロジェクトは結実していったのだ。
フィンセントの生涯を、テオの視点から、さらにヨハンナの視点から描くとき、それまでだれも書かなかった新しいゴッホ像が書けるのではないかという思いが、何十年とくすぶっていた私にとって、小林利延氏が投じた「ゴッホは殺されたのか」の登場は、私の内部に想像と創造の火炎瓶が投げ込まれたようなものだった。
(注)
1 ファン・ゴッホ書簡全集 宇佐見英治訳
2 小林利延「ゴッホは殺されたのか」
3 ヘンリー・ミラー「わが読書」田中西二郎訳
4 アービング・ストーン「炎の人ゴッホ」新庄哲夫訳