捨てない暮らし 山崎範子
「洗濯物が汚れるんです」
近所の女性がすまなそうに声をかけてきた。ゴミを焼く煙りが、物干しの洗濯物をくぐって通り過ぎていく。耳の遠い母は、挨拶されたと勘違いして、「上等な天気になりました」と応えている。私は母の背後から「ごめんなさい」と顔の前で手を合わせて頭を下げる。はじめから母には聞こえないように、私に何とかにしてね。というつもりだから、彼女は目配せして「では御免下さい」と去っていった。
母は土佐の高知で一人暮らしをしている。今年の夏で九五歳になった。母といっても私にとっては姑にあたる。息子だった夫が三年前に逝き、夫の姉で母にとっては頼りの娘も翌年に亡くなった。悲しみは途方もないが、とにかく立ち直って一人暮らしを続けている。明治の女は強い。
以来、季節ごとに様子を見に行くことになって、母とも母の近隣とも親しくなってきた。六月には居間の絨毯をはがして物置に仕舞い、代わりに物置から出したゴザを敷いた。
庭の草を引き、干して乾かした野菜屑と一緒に焼くのが母の日課だ。鼻を噛んだちり紙もまぜる。灰は柿の木の根元や、花の咲く庭の土に埋める。家の中のペットボトルやトレーのようなものはなく、あっても買った店に返しに行くから、捨てるゴミはほとんどない。母の生活はシンプルだ。掃除は箒で庭先に掃き出すだけだし、床は雑巾で拭き掃除、風呂のついでに洗濯は手洗い。掃除機は物置に仕舞ったままだし、洗濯機のコードは巻かれたままになっている。さっぱりしてとても居心地がよい。
私が初めて高知のこの家に遊びに来たのは三十年近く前だった。県道が近くを走っているので、大型車が通るたびに家がグワーンと揺れた。しかし家のまわりは田圃で、勤めを退職した父は200坪ある庭で畑を作っていたから、まだまだ野中の一軒家という感じだった。
いま、ほとんどの田圃は宅地になり、目の前の山は削られて団地になっている。母は必要としないが、週に2回は燃えるゴミの収集がある。瓶ビールを飲みながら話をする。
「ゴミを燃やすのはもう止めよう」
「なぜ?」
「煙は近所迷惑だよ。干してある洗濯物も汚れるし」
「土に埋めるのはえらい(大変な)ことじゃ」
「ゴミの日に出せばいいじゃない」
次の晩、母はいいことを考えたと暗くなってからゴミを燃やしはじめた。夜なら洗濯物も取り込んでいるから大丈夫、というわけだ。
東京に暮らす私には、ゴミを出さない生活など考えられない。可燃ゴミも、不燃ゴミも、資源ゴミだって毎度ゴミ置き場へ持っていく。反面、焚き火への強いあこがれもある。ゴミ置き場の場所も知らない母の生活を、もうしばらく続けさせてほしいと、近所に挨拶に行った。仕方ないわねぇと了解してもらえたのは、年功によるものにちがいない。
山崎範子著「谷根千ワンダーランド」は来月にも刊行。次なる草の葉ライブラリーが取り組むのは、[note」で出会った小野信也さんか、渡部仁さんか、緒真坂さんか。コロナ禍を打ち破ってくれ!