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チャタレイ裁判の記録 伊藤整     その本は女性を解放する

ロパートアンリ1

神近市子証言

 福原氏に続いて、午後は神近市子証人が法廷に現われた。大正時代からな女性の社会運動家評論家としての神近さんに、私は数日前証人にお願いする時に初めて逢った。神近さんは著作家組合の一員で、そこの会合で正木氏が、この事件を引き受けるべきか、どうかを相談した時最も熱心にすすめた人であったと言う。神近さんは鼻が高く、眼が女性にしては鋭い。その言葉づかいに少し混っている長崎訛りは、その論理的なものの考え方と合って強い性格かよく現われていた。法廷では先ずその経歴や『婦人タイムス』社長という現職や著書、訳書のことが一通り述べられた。

 正木氏の訊問に対して答えた神近さんの意見は、私の訳書を、人妻である神近さんのお嬢さんが持っていたので読んだこと、起訴状を読んで「不快な感じを抱いた」こと、起訴状は「偏見や何かの目的かあって」書かれたものと思うこと、特に婦人の立場から自分は証言したいと思うこと、等で始まったが、その後は訊問に対する答どころか講演のような積極的な長く続く証言になった。その要旨は、現在まだ日本の女性は隷属的な地位に置かれていて.多くの婦人は「性欲過少症」に陥っていること、そして全婦人の三分の二か四分の三は性欲を殆んど理解していないこと、従って人生を理解していないこと、この点が反面では男性の性欲過多症、即ち放蕩癖となっていること、妻は全き人間ではなく職業的な売春婦という地位に置かれていること、そういう性の無智を救う意味でこの作品は原著者の言うように十七歳以上の少女に読まれていいと確信すること、『デカメロン』に較べるとこの作品は「ずっと清潔であり、健康である」こと等であった.

 更に環昌一弁護人の問いに答えて神近さんは.この性の問題の解決なしに婦人の解放は行われないと確信すると証言し、横暴な男性は「昼問はひどい夫婦喧嘩をしながら夜になると妻をベッドに引きずり込む」というような生活をしている。多分この「傍聴席の中の人たちにもあるのじゃないかと思う」と言って、傍聴人をどっと笑わせたりするユーモアを発揮した。

 神近さんはこの頃からいよいよ調子か出て来たので、ちょうどその時反対訊問を始めた中込検事は運が悪かったと言っていい。中込検事が、性行為を公開しないという社会的約束のことを言うと、神近証人は、勿論街頭では行われないと答えたが、それを追いかけて検事が、「文章や絵画で現わして、同様な感覚を与えるということも、同様な影響かあることだと思いますか、この点如何でしょう」と問うと、待っていましたというように言下に「その点は先程から私の考えを述べているではございませんか」と切り返し、実行は許されていないが「文学の力でそれを与える、いろいろなアイディアを用いて、特に女性解放の上から、あの小説のよう書かれている場合正しいと信じます」実行と「文学的文章の仲介によって表現された場合は違う」と、金森証言で我々が問題としたちょうどそこを明確に証言した。検事の反対訊問は我々が金森証人に試みた以上に無謀で、証人の性格と知識とを無視して、ますます原告に不利な証言を強めさせる役をしたのである。

 更に中込検事は、反対尋問で最も警戒すべき、自分の意見を相手に押しつけるという危いことを強行した。中込君はきっとウェルマンの本を読んでいないのだろう。即ち性的露骨さは現在の事情に即して判断すべきで「現在のことを十年も二十年も先のことから判断しては仕方かないと考えられませんでしょうか」と同意を強いた。これは、神近さんのような、常に社会の進歩ということを念願として生きて来た人にその信念吐露の好機を与えたようなものである。神近証人は「未来を予想しない現在は成立しません」と、言下に断言し、「問題は過去に基準をおくか未来に基準を置くかです。あれを起訴するということは、過去に判断を置きすぎて、将来とのバランスが変になっている」と起訴非難を重ねて行った。すると中込検事も女に言いまくられてはと思ったのか、証言を有利に導くという考えを棄てて、論戦的になり、どこかつまずかせようという風に次々と問題を提出して行った。

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中込──『チャタレイ夫人の恋人』が、どうして起訴されたかがお分りですか?
神近──それはワイセツというように誤読なさったんじゃないですか。例えば文学を読む心構え、或いは習慣をお持ちにならなかったであろうと考えております。
中込──検察官がこの本を誤読するということは、それはまあ私ここで認めるわけには参りませんが、更に検察官クラスの人間が世の中には多い、あるいはそう言っては語弊がありますが、検察官より程度の低い人間が、相当世の中には多いと思いますが、如何でしょうか。
 こう言ってこの時中込検事は暗々に自己の誤読を認めたものと私は考える。更に進んで、神近さんが、ロレンスが官憲のために圧迫されて「苫悶」しまた「苦労」した気持か分る、と述べた時、中込検事は、それを妥協したのだ、と言った。その時に、河出版『ノート』によると、次のような場面が起きた。

中込──苦悶して、妥協したんですね。
正木──(突然起も上った)妥協という言葉の意味が解りませんが、ロレンスが妥協したのは、事実ですか。
中込──英国で削除版が出たということは、言わば……。(弁護人側騒然となる)
正木──削除版はロレンスの生きている前に出てたんですか、その点をハッキリして下さい。
中島──妥協という、言わばロレンスが生前削除したということの実証をあげて頂きたい、事実、確かめておられるんですか。削除版はロレンスの生きてるうちには出ておりませんよ。
中込──仮説です。
正木──仮定では困ります。
中込──それでは削除したものといってもよろしいでしょう。その削除したものがございましたね。
(なお弁護人側騷然とすろ。)
神近──それはですね。私に言わせて下さい。(笑声)ワイルドの『獄中記』が出ていますが、ジイドがその序文で『大陸ではこれが出せるが、イギリスの不寛容が出版させない』と、イギリス人の生活態度とフランス人の生活態度をハッキリ対立させて書いております。大体、イギリス人は、すぐれた文化人、政治家、作家など出していますが、元来が商人であり保守的な国民で、芸術にたいする情熱の点で、フランス人ほど理解していない国民だと、言っているわけです。
中込──結局そうすると、作家はその時代の社会を考える必要はない、良心に生きることか必要だと承われるんですか……。
神近──それは誤解でございます。大芸術家、大科学者は、明日の人間の利益を考えます。しかも、そこにこそ人類の理想があるのだろうと思います。

 この頃はまだ中込検察官も闘志旺盛で、かなり強く論戦的態度に出たのである。しかし、神さんは中込君の言葉が終わるか終わらないうちに、長年考え、長年論じてきた意見の結論をおっかぶせるように述べるという風で、被告側にすれば胸のすくような場面であった。

チャタレイ裁判の記録
序文  記念碑的勝利の書は絶版にされた
一章  起訴状こそ猥褻文書
二章  起訴状
三章  論告求刑
四章  裁判がはじまった
四章  神近証言
五章  吉田健一証言
六章  高校三年生曽根証言
七章  福田恒存最終弁論
八章  伊藤整最終陳述
九章  小山久次郎最終陳述   
十章  判決
十一章  判決のあとの伊藤整
猥褻文書として指弾された英文並びに伊藤整訳と羽矢訳
Chapter2
Chapter5
Chapter10
Chapter12
Chapter14
Chapter15

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