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最後の授業
九月が終り、十月に入り、その十月も終り、十一月になりました。いつの間にか、あれほど日本中を騒がせたあの騒動は、きれいに消え去っていました。A町はまたいつもの平穏な日常を取り戻しました。
テレビや新聞や雑誌が、なにか競うようにして展開していた篠田校長に対する攻撃もある時期からパタリと消え去っていました。もともと事件とはこういう騒がれ方をして、そこに報道する商品的価値がなくなると、さあっと消え去っていくものですが、篠田校長に対する攻撃がばたりと止んだのは、篠田校長を擁護する声が静かにマスコミに登場していったからかもしれません。
ある新聞の投書欄に、篠田校長がどのような先生か、どのような授業をしてきたかが綴られた文章が掲載されたのです。するとその翌週には、別の新聞にも別の読者から篠田先生を擁護する投書が掲載されるのです。そしてある教育評論家が、大新聞の教育欄で篠田先生の仕事を紹介したのです。篠田校長はすでに二冊の著書をもっていました。篠田先生は国語の教師でした。国語教育の中心は、子供たちが自分たちの言葉をつくりだすことにあるという思想を実践してきた先生でした。そんな篠田校長の仕事が、良識のある人たちには理解されていったからでした。
A町の人々はもっと早い段階で、あの騒動を捨て去っていました。最初こそどっと押し寄せた取材者たちに、A中学の生徒たちも父母たちも衝撃の深さゆえに彼らの取材に応じていました。しかし次第にマスコミに対してピタリと口を閉ざすばかりか、敵意の目をむけはじめていったのでした。町の人たちにも、はっきりとマスコミの卑しさというものがわかっていったからでした。
もう北アルプスは雪をかぶっていました。蝶が岳から常念岳、さらには大天井から烏帽子岳、蓮華岳、針ノ木岳、爺ケ岳、鹿島槍ケ岳、五龍岳と連なるアルプスの嶺々の白い稜線が、青空の中にくっきりと厳しく描かれています。安曇野にまもなく冬将軍がやってくるのです。
その日、A中学の全校生が体育館に集められました。いつもなら生徒たちはざわざわと陽気な声をあげて体育館に入っていくのに、この日はみんなどことなく緊張して、しずしずと入っていくのでした。校長先生があの事件いらいはじめてみんなの前で話しをするというのです。長く沈黙をつづけていた校長先生はいったいどんな話をするのだろうか。どんなことが私たちにつきつけられるのだろうか。この学校はどうなってしまうのだろうか。だれもがそう考えているのでした。
その校長先生は体育館の入口に立っていました。生徒たちは挨拶をしたり、頭をさげたりしてそこを通り抜けていきます。校長先生もまた一人一人に笑顔でこたえるのでした。
校長先生はその日、さっぱりとした表情をしていました。一時は苦しみに打ちのめされ人のように暗い表情でしたが、いまはまた以前のようにやさしくほほ笑んでいるのです。それはなにか苦しみを突き抜けてきたような、なにかすべてをつつみこむようなやさしい笑顔でした。
この学校の生徒たちは校長先生が大好きでした。校長室とその隣にある会議室は生徒たちに開放されていて、いつもそこに生徒たちがたむろしていました。こんなことは他の学校にはないことでした。夏になると希望する生徒と常念岳に登ることにしていますが、毎年希望者が殺到して、その希望者全員をつれていくためにひと夏に何度も常念岳をめざすのです。とにかくこの校長先生は機会あるごとに生徒たちと深い交流の時間をもったのです。ですからマスコミが激しく校長先生を攻撃していたとき、この学校の生徒たちはその攻撃に同調するなんてことは決してしませんでした。それはこの学校の先生たちも、また父母たちもそうでした。むしろ騒ぎが大きくなればなるほど、生徒も先生も父母たちも、校長先生を守ろうと団結を深めていくのでした。
体育館に入った生徒たちは床に座りこんで、これからなにがはじまるのだろうかといった視線をステージに向けていました。ステージの上には移動式のスチール製の黒板がおいてあるのです。あの事件以来、生徒たちの前に立つことはなかった校長先生が、そのステージに立つのだろうか。体育館はちょっとした緊張がはりつめていました。しかしそんな緊張を打ち消すように、校長先生はそのステージに上がり、生徒たちに挨拶をしました。それから黒板に九月十一日と書きました。
「この日に、なにが起こったかは、みなさんは分かっていますね」
と校長先生は切り出しました。
「そうです。瀧沢隆君がなくなった日ですね。永遠に忘れてはならない日ですね。そして実はこの日は、また二つのことが敗北した日でもあったのです。そのことをこれからみなさんにお話ししていきます。みなさんにとって少し難しいかもしれません。だからその全部がわからないかもしれません。それでもいいのです。しかし九月十一日は、これから黒板に書く二つのことが敗北した日でもあるということを、それぞれが胸に刻んでおいてほしいのです。まず最初の敗北です。それはこういう敗北です」
校長先生はまたチョークを手にして、九月十一日と書かれた横に、大きくこう書きました。
日本の教育が敗北した日
穏やかな微笑を浮かべていた校長先生の顔が急に曇っていきました。あの事件が起こってからの深い苦しみが、いままた先生の顔に影をさしていくかのようでした。