見出し画像

チャタレイ裁判の記録        論告求刑 もしこの一線が崩れれば法体系が揺らぐ

あんり3

 社会的観点よりみた本書の猥褻性

 検察官は本件『チャタレイ夫人の恋人』のような出版物について、その猥褻性を論ずるにあっては、社会的な観点からもこれを考察しなければならないものであることを繰り返し明らかにしておるものであります。

 この点につまして、まず注目をひきましたものは、すでに証拠として提出済の昭和二十五年五月三十日附読売新聞編集手帳欄記載の一文であります。勿論これは前述検挙に先立つ約一カ月前に現れたものでありますが、同文に日く「ちかごろのベスト・セラーの一つはD・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』であるという。しかしこういう作品がベスト・セラーになるということは、どう考えても、日本の文化の誇りとすべき傾向ではない。なるほどこの作品は批評家が『人間関係の図式をさらけだし、男と女をわけて現代人があらねばならぬと念じた』『独創性ある』『作品』であるかもしれないが、しかし文学作品の開くべきひとつの世界としては、なお公刊を保留すべき重大な問題を含んでおる。訳本はオデッセイ版を底本としたらしいが、これはイギリス本国でもまだ公刊を許されていないのではあるまいか。文学作品として扱う前に、いわゆる社会の通念からこの種の描写のものを公刊すべきかどうかについては事前に慎重な検討がほしかった。ここに描かれてある男女の世界を中学生に読ませてよいという人はおそらく作家の中にもそう沢山はいないだろう。おそるべき小説である。これが公刊されてよいならば、ハコヤノヒメゴトも覚悟禅でも大手をひろげて公刊できる位のものだ。石中先生とか、裸者と死者を取り上げた警視庁がなぜこの書を取り上げないのか。文学作品の発禁にコリゴリだというのであろうか。そうだとすればいまの警視庁の文化感覚とその尺度はいよいよなんの権威にも値いしないということを自ら証明するにひとしい。このような本は発禁にするかそれとも私版として、特殊の文学研究者にだけ頒布すべきであると思う。文学と名がつけばどんなものでもOKであり、外国のものならなんでもフリイ・パスという前例をここでつくるということは、日本の文化の自主性も独自性も自ら否定するにひとしい」。この意見はおそらく新聞に現われた最初の批判であったと思料されるのであるが、これと符節をあわせ同新聞六月五日附文芸欄に、英文学者中野好夫氏の風紀と出版と題する一文が掲載されている。

 本書が文芸作品なるレッテルを以て広く善良な家庭に浸透し不知不識の間にその性的道義心を侵害するの危険を多分に包蔵するものであって、この点について前出沢登哲一証人は「あの描写の細かさにおいては結果的には我々が預っている若い生徒なんかには読ませたくない描写であるということを痛感しました」と言い、ついで「カストリ雑誌あたり今の高等学校の生徒なんか生意気ですから案外馬鹿にして読まない、現実には良い文学でありこういう風に出版されていると少なくとも高等学校の自らインテリの卵なりと任じている連中には非常に魅力で、ある一部のものには悪い影響があるということはこれははっきり言えると思います」と前述文芸書なるが故却って恐るべき影響の存することを指摘しこれを読ませることの不可とする理由については「読ませるというと、これで性交の経験のない者がただ性的な挑発だけを受けるのであって、性というものは一つの花をさしたり遊戯みたいな感じをもって面白半分にやりやしないか、こういうもので本当にこの好き合った二人なら結婚まで持っていったのだというような純粋な感じを却って逆にこわされやしないか、大部分の生徒が考えているのはプラトニックラブでそれに対する憧れです。性の交りというものはこんなものだということは却って嫌悪を感ずる、そんなものならかまわずやってしまえというような風になる者もあるのだろうと思います」と本書が性的堕落を招来する危険性ありと指摘し、かように本書によるが如き刺戟は極力これを避くべきものであるという点につき東まさ証人は「私共の立場としては、そういうものを出来るだけなくしたいと思っておるものでございますが生徒はそういう習慣から離れさして生活を致しておりますのでやはり同じ刺戟を繰り返すことになりまして、そういうものを与えることは少年達のために非常に悪いことであると思います。又刺戟を与えることになると思います」と同証人が院長の職にある国立交野女子学院における収容の少女について言及しているのであります。

  本件猥褻文書販売罪の主観的要件

(略)次に本書が出版にあたってなされた新聞広告並びに本書下巻に挿入せられたアンケートについて言及せざるを得ないのであります。例えば昭和二十五年四月十六日発行の毎日新聞並びに東京新聞中の広告の一部をここに引用したいのであります。即ちその文に日く「戦争のため性的不具になった夫に嫁ぐ貴婦人チャタレイと坑夫の家に生れた森番メラーズとの恋愛を描いたこの小説は、死を五年後に控えたロレンスが全く発表を予想せずに書いたものだけに、その愛欲描写はかつて何人も試みなかったほど大胆であるために各国ともこれが出版の可否をめぐってはげしい論争の渦を巻き起こした」と記載されて居り、かかる内容の広告は他にも多数あることすでに提出した証拠によって明白であります。この広告によりますればそこにあるものはロレンスの思想を紹介せんとするに非ずして単にその筋書とその愛欲描写の大胆な点に存するものと読みとる読者も多数あったと考えられます。しかも広告のいうが如くこの愛欲描写はかつて何人も試みなかったほど大胆であることはすでに検察官が指摘した処で明白である、本書の由来を知ると否とに拘らず福原麟太郎証人も云う如く戦後我国の好色文学流行の波にのった出版であると断定せざるをえないのであります、この点から見ても被告人小山の出版の意図が那辺にあるか想像するに難くないのであります。

 次に我々は本書下巻に挿入されたアンケートそのものについてもこれを検討せざるをえないのであります。即ちその内容についてはすでに提出せる証拠によって明らかでありますがその第三問に日く「本書中の性行為の描写をどう感じましたか? l、美しい 2、いやらしい 3、猥褻」としてすでにアンケートを披見することによって相当露骨なる性描写の存することを予知せしめ、又第四問には「あなたは本書を読みながら性的興奮を 1、感じた 2、感じなかった」としていわゆる官能刺戟の内容を有するものなることを予告し両者相俟って本書がきわめて性的描写の強度露骨なる内容を有する旨低俗な読書の好奇心に訴えた跡が窺われるのみならず第五問の「あなたが若し検察官だったら本書を 1、発禁にする 2、一部分削除する 3、そのまま出版させる」というが如きあたかも本書が発禁に直面してあるが如き危険な性的描写を含有している点を一般人に広告したとしか受取れない点等からすれば、このアンケートがいやしくも被告人小山の承認のもとに挿入せられていた以上、同被告人の本書に対する猥褻性の認識に関する証拠として絶対に看過し能わざるものであります。さればこそ小山も「アンケートを入れることについて重大な決意を致しました。それはこのアンケートをとって一応発禁にせよというのが五十パーセント以上になるとすれば出版社としては重大な考慮をしなければならんということなんです」と申し述べて居るが、果して世の読者がことに警世的な意味において読ませたとする低俗な読者がこの発禁にせよということに同調してその旨の回答をするのでありましょうか。また仮に一部にロレンスを理解するものがあったと致しますればその者が本書の発禁に賛成するでありましょうか。本書十五万余部の読者より五十パーセントの発禁支持の場合を予想するが如きは絶対にありえないことである、かかるアンケート挿入の真意の那辺にあるかははぼ想像するに難くないのであります。しかも本件『チャタレイ夫人の恋人』が発行販売以来近々二カ月にして実に上下十五万五百部を販売するに至ったことは前記高村明証人及び工藤房太郎提出の販売一覧表によって明白であります。かかる難解な書と称せられるものが多数販売せられることについて小山、伊藤の両被告人は如何なる措置をも講ずることなく販売されるがままに委ねていたという事実からみましても、両名の云うが如く極めて良心的な企画出版であったとは到底解せられずその点よりするも両名の責任は強く非難さるべきであります。

 以上申述べました処により被告人両名の猥褻性の認識については遺憾なく立証せられたものと信じるものであります。またこの両名の共謀であることについても凡そ出版が著述者及至翻訳者の協力によるに非ざればこれをなしえないという一般的常識の上になお被告人両名においてこの内容について詳細に協議した点等より致しまして法律的に見れば被告人両名は共謀の上、猥褻性の認識を以て本書の発行販売を行ったという結論に到達するのであります。

  本件検挙並びに起訴について

 以上本書の猥褻性について詳論し又はその社会的影響についても当時の言論機関等による批判並びに一般良識人等の本書の本質についての意見によりこれを明らかにした次第でありますが、尚この際この点に関連して本件の検挙並びに起訴について申述べたいのであります。即ちすでに現れました如く本書が極めて社会に悪影響を与える内容を有する文書でありその描写記述についても未だ曾て見られないこのような露骨詳網な表現を致して居ったものであります。この書が文芸作品の名において世に与えられていた関係上、出版後暫くは社会的考慮をも観察しておったのでありますが、固より世評概ね本書を否とするのみならず無条件に広く公刊して疾風の如き売行に対しましても発行者翻訳者側においては豪も顧みる処なくむしろ好調の波を利用していたように見受けられたのであります。その描写記述についてはおそらく文芸書は勿論カストリ雑誌等と称する好色的出版物の記述と比較致しましてもまさに前人未踏の驚くべき露骨詳細な記述であることが明らかでありまして、もし客観的情勢を無視して検挙を怠るにおいては検閲制度の廃止を機として終戦後極めて困難なる状況下においてもなお法の命ずる処にしたがって極力維持して参りました一般的猥褻文書の基準は抹殺されてしまうのみならず、今後におけるこの種文書の取締の拠点はあとかたもなく粉砕されてしまうが如き膚がありましたが故に、最後の一線を劃する意味においても之を放置する能わずとして断固検挙の手続きをとるに至ったものであります。而してこの検挙取調に対しまして小山並びに伊藤の両被告人は本書の猥褻性について始終一貫これを否定し争っているが、本書が猥褻性を帯有すると認めらるべきことは以上論述した通りであって本書の翻訳発行の経緯、その社会に与えた影響等を考慮し正に起訴すべき事件なりとして公判請求したのであります。若しこの一線にして崩れんか将来この種文書の取締に至大の影響を与えること火を見るより明らかであり検察官が終始一貫公訴維持に努力をつくしたことの主たる点は本件が単に個々の事件にとどまらず将来幾多同種の案件に影響することを認識するが故であります。裁判所におかれては、斜上の諸点を御留意の上公正なる判断を下されんことを特に切望する次第であります。

被告人両名に対する情状法律の適用請求

 以上論じたところによって本件猥褻文書販売被告事件の公訴事実につきましてはすべての点についてその証明十分であると思料致します。さて翻って被告人両名の情状につき按じますに被告人小山久二郎は、東京都内における優良な出版業者であり従来数々の良書等をも世に送ったことはこれを認めるに吝かではありません。又被告人伊藤整も大学等において英文学を講じ尚その翻訳又は著述等も存することはすでに明らかになった処であります。ただ惜しむらくは時代の風潮に乗じ今回の如き出版を協力して行いもって社会に多大の有害な影響を与えたことは許し能わざる処であります。殊に被告人心中のこの種出版を営利に利用した行為は特に強く責められなければならないのであります。
よって被告人両名に対して各刑法第一七五条及び第六十条を適用し
被告人小山に対して懲役六月
被告人伊藤に対して罰金十五万円
を相当としてこの求刑を致します。

画像1

チャタレイ裁判の記録
序文  記念碑的勝利の書は絶版にされた
一章  起訴状こそ猥褻文書
二章  起訴状
三章  論告求刑
四章  福原神近証言
五章  吉田健一証言
六章  高校三年生曽根証言
七章  福田恒存最終弁論
八章  伊藤整最終陳述
九章  小山久次郎最終陳述   
十章  判決
十一章  判決のあとの伊藤整
猥褻文書として指弾された英文並びに伊藤整訳と羽矢訳
Chapter2
Chapter5
Chapter10
Chapter12
Chapter14
Chapter15
Chapter16

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?