廃校に地域力がはじけるとき 2 竹内敏
第一章 地域と職員の総合力「ポレポレECOまつり」
目次
4 「粋なおとな」が江戸を徘徊した?!
5 テーマを貫くまつりにする
6 「エコな江戸」が二十一世紀を救う
7 それは「罵倒」からはじまった
8 グラウンドに突如森ができた
9 愉しさ・美しさ・安らぎが世界を変える
4 「粋なおとな」が江戸を徘徊した?!
約一七〇組の幼児クラブの親子が担う「幼児コーナー」やふだん児童館の部屋を利用している自主グループが運営するおとなコーナーも江戸のまちを担います。
「幼児遊び処(どころ)」からは、若い駕籠屋が幼児を乗せて会場を走りぬけます。駕籠屋は大森学園の高校生と品川の青年ボランティアとの合同で運営しています。駕籠は幼児クラブの若いお父さんが制作したものに西野名人がアドバイスして作ったものです。若い駕籠屋が幼児を乗せて会場を一周する姿は実に人の心を暖かくさせます。殺伐とした事件が跋扈している日本の瀕死状態の品性は、このまつり空間だけはみずみずしい品格を取り戻しています。
幼児クラブOGの「ぞう組」サークルは、ヨシズで囲われた「お休み処」でだんごや汁粉を用意して茶店らしさを演出してくれました。そのとなりにはダンボールにペンキを塗って井戸をつくりあげ、長屋の井戸端を再現してくれました。家にいるより児童館にいる時間のほうが長いくらい親子で時間をかけて作ったものです。
約五〇人を越える会員を擁する高齢者の合唱サークルは、「貸し衣装屋」をやりました。眠っていた孫の服や使わなくなった浴衣を吊して貸衣装をしたところ、子どももおとなも大勢の人に大人気。それで江戸のまちを自由に練り歩いたのです。ふだん閑静なグラウンドは、このときばかりは着物姿の「動く花畑」の乱舞と化しました。
会場のあちこちに飾られたのが「紋切り」のデザイン。江戸では家紋とか着物の紋とか浮世絵などに独自のデザインが発達しました。それは、西欧の美術運動にも衝撃的な影響をもたらした「ジャポニスム」そのものです。子ども交流センターでも一時折り紙の紋切りがはやりました。そこで作ったみんなのデザインは、会場入り口にこの紋切りロードが飾られました。紋切りを作った後の折り紙の切れ端は、ベニアくらいの大きさの「赤富士」の壁画の貼り絵としてリサイクルしました。これには多くの子どもたちの協力があり、会場の江戸モードの一端を担いました。異次元にワープしたこの江戸ワールドは、百万都市江戸の「粋」を再現したかのようです。
その隣の「うらら工房」では、「ポチ袋」づくりや木の実を中心としたリースづくり。講師の浦田てるみさんは、自分のコーナーだけでてんやわんや。他のコーナーに出かける余裕がないくらい最後までお客がとぎれません。さらにその隣の「原っぱの会」の守屋名人は、ツバキやソテツの実を使った笛づくりや葦の茎を編んでつくるコースターづくりに余念がありません。西野名人は、得意の竹とんぼづくりで希望を空に託します。夜間に部屋利用している太極拳グループは、小麦やソバを石臼で挽かせてくれています。
「こうりんの会」は、紅白幕で仕切られた茶席で抹茶を振舞っています。毎月一回、学童保育のパワフルな子どもたちに茶道や生け花を教えることをとおして日本の美の精神をさりげなく伝えてくれています。その結果、お茶を運んだり、お手前を披露したりしているのは鮮やかな浴衣を着た学童保育の子どもたちです。二階で活躍のNPO法人「大森まちづくりカフェ」は、折り紙で作ってもらった朝顔をどんどん貼っていき、「朝顔市」のムードを出してくれました。江戸の朝顔は、きわめて高度なかけあわせで奇抜な朝顔をも競ったことで世界的にも注目の生産をしていました。そんな含みをもった「農芸都市江戸」を表現してくれました。
親子のダンスグループは艶やかな衣装をたくし上げ、下駄のタップダンスで連日の練習の成果を披露します。ビートタケシの映画「座頭巾」のフィナーレのような、息をのむ親子のタップでした。幼児の動きのうまさにも注目が集まりました。
さらにまた、食器をリユースするコーナーが前回から新設され、町会で活躍している松本栄子さんらが参入してくれました。お皿の配置や机・カンバンの位置やスタッフの分担など、はじめてのことながらてきぱきと陣頭指揮をとりました。とくに今回は、お店の人も使う容器や食器のことも考えるようになり、ゴミを出さないということではかなり使い捨て容器は激減しました。開桜小PTAの「おやじの会」もゴミ減量には毎回工夫してくれました。奨励してきた「マイ箸」や「マイ弁当箱」の持参も効果が少しずつ出てきました。
曲者が隠れている気配が!
前回のまつり、職員の藤林裕美さん(フーリン)の発案で会場塀際につくってあったジャングルジムは、今回は屋根は空き缶、壁は牛乳パックの「エコ城」に変身していきました。その材料は、学童保育の約六〇家庭から提供された賜物です。設営も父母が助っ人に来てくれました。途中で建設に四苦八苦していると「それはこうしたらいいんだよ」と、NPO理事がすすんで手伝ってくれたり、女子中学生が運営をフォローしてくれたり、学童保育に直接かかわっていない人も協力してくれました。
今回は、会場に怪しい一族がいる気配がしました。それはどうも「風魔一族」が紛れているという情報です。虚無僧や忍者や奥女中や浪人の姿が怪しい匂いを漂わせながら会場を歩いています。変身をするってときめきを与えてくれるんですね。ふだんの硬直した自分が突然異界の世界にワープすることによって、そこから新しいドラマや自分が誕生するってわけです。学童保育を吸収移転することでぎくしゃくしていた父母のわだかまりが、まるでウソのように晴れやかに変移してきたのが分かります。会場片隅では風格はあるが、しかしどこか怪しい易者が「どんぐり占い」をしておりました。どんぐりを引かせてみたり、手相を見たり、水晶玉を睨んだり、なにやら悩みごとも聞いているようです。お客は子どもだけでなく、おとなもいるようでなかにはお札を置いていってくれた人もいたようです。
「大森コラボレーション」は、子ども交流センターにとっては、「大家」の関係にもあたりますが、植木の交換市コーナーを出店。各家庭で余った植木をもちより交換するという植木のプリマを運営しました。そのうえさらに、理事でもある坂井和恵さんらのはからいで施設の管理運営スタッフを重厚にしていただき、まつりを側面から支援していただきました。理事の横山昌祐さん・奥地彰さんらがかかわっている青少年対策大森西地区委員会のみなさんは、恒例の「丸太切り」を担当しています。また、民生委員児童委員大森地区協議会のみなさんも、「会場入口案内係」「食事づくり」など長時問かかる任務を組織的にしっかり担っています。
このように、子どもを中心とした三〇〇〇人近い地域の親子のときめきは、時間が止まっていた校庭を生きた躍動の坩堝へと進化させたのでした。それは子どもだけではなく、地域のおとなの多数がまつりにかかわったという意味では、旧学校という施設が、教師による専門家の手から地域住民の手に広く禅譲・開放されたという意味をもったのです。子どもだけの教育施設というわくをより広げて、おとなをも含めたコミュニティ施設へと進化したということです。そこにはもう、「廃校」というマイナーなイメージは払拭され、むしろ誰でも利用できるオープンな施設の誕生を実感させてくれます。
文化祭前夜のわくわく?
まつりの中核には情熱をもってテーマに肉薄しようとする職員集団の存在があります。職員の連日連夜の活躍はなんといってもまつりの牽引力です。そこには、まつりの企画は職員、実行は利用者、条件整備はNPO、運営は一緒という三人四脚の見事な構成とチームワークです。それぞれの持ち味を生かすことで、チカラ以上の相乗効果が実現されたのが「ポレポレECOまつり」です。職員の幼児の保育をやっていただいたのが理事の藤本鈴代さんです。地域からのフォローで安心して職務に専念できるのもここならではです。
まつりの一週間前ともなると、子どももおとなもまつりモードにシフトされ、表情がいきいきとなっていくのがわかります。また、建物自体がまつりに向けて刻々とうねりをあげていきます。人と小道具が行き交う空間の各部屋はアトリエと化し、ときめきと緊張の空気が充満しています。それは日暮れとともに、高校や大学の文化祭の前夜のような興奮と錯覚に陥ります。それは老いも若きも青春と希望を共有しているかのようです。職員も仕事というより共同作業をともに担っているような感覚です。
またまつり終了には、砂埃が日なつ一階廊下と階段の清掃を理事の斉藤十四男さんの指揮のもとで大森学園の高校生がしっかりやってくれました。
5 テーマを貫くまつりにする
「ポレポレECOまつり」は、一つの児童福祉施設としては異例の規模のまつりでした。ふつうの児童館の職員数は五~六人の少数職場ですから、やれることには限界がありましたが、ここで展開されたワンダーランドは私の経験値をはるかに越えるものでした。この規模は複数の児童館ブロックでとりくむくらいの規模でした。
地域通貨「ポレマネー」を流通させる
まつり一週問ほど前に特設される「ポレポレ銀行」は、木の実などを集めてポイントを通帳に記秡して「預金」し、10ポイントためると「ポレマネー」を発行するという児章館内特設銀行です。そこで得た地域通貨「ポレマネー」は、まつりや「駄菓子屋すみちやん」で使えます。本格導人は二年目からでした。最初の頃のポレマネーは、どんぐりを金と銀に塗ったものでした。次からは、葉っぱや江戸のデザインをパウチしたカード式のものに進化していきました。おそうじや片づけなどみんなのために役立つ仕事をするとふだんでもポイントをためることもできます。ポレマネーは、「カネ」によって人間が支配従属され、分断されてしまう現状に対する問題提起でもあります。
幼児連れの家族が休日にどんぐりや松ぽっくりを拾いに行ったり、学童保育にお迎えに来るおじいさんが道すがら木の実を拾ってきたり、高学年は自転車で海側の公園の松林から大量の松ぽっくりを拾ってきたりして、「ポレポレ銀行」に頂けます。そのうちに、「預託」された木の実を使って、工作をしたり、飾り付けをしたり、まつりや日常活動の中で大いに活用することができました。
新鮮などんぐりの一部は、どんぐりコーヒーやどんぐりクッキー・だんごなどにして食べてみました。また、会場には、ポレポレ銀行に染まった木の実や職員が休日に森から拾ってきた珍しい木の実も展示されました。
ポレポレ銀行に集まった木の実は、クヌギのどんぐりが多い年があったり、椎の実が多い年があったり、その年によって傾向があるのも新発見でした。だんだん子どもたちの好きな木の実の傾向もわかってきたのも面白かったです。また、かつては拾ったままの泥つきの木の実をそのまま持ってきていたことがありましたが、今回は洗って持ってきてくれました。
食べて買って終わりのまつりにしない
「子どもまつり」にテーマ(ねらい・目標)をもって臨むというスタイルを当初から堅持していたことは重要なことでした。というのも、私がいままで体験してきた「子どもまつり」はふつう、なんでもごちや混ぜの内容で、職員のなかに「まつり」のねらいや目的・到達目標といったものは充分論議されたことがありませんでした。職員はこまねずみのように忙しく動き回り、自分の得意分野で職人芸を発揮するというスタイルはありましたが、「それでどうするの」「どこまで到達したか」とかの論議ができませんでした。
それは、イベントがアイディアとサービスの範囲を越えず、職員の一方通行的な忙しさで終わっていました。どうも「施設から地域を眺める」ところでとどまり、「地域を巻き込む」という傲慢な発想に陥ってしまう気がしてなりませんでした。しかも、「まつり」といえば、「食べて、買って、遊んで」終わりというのが通例でした。そして、ゴミの山。その大半は、使い捨ての食器でした。
そういう食欲を満たすまつりだけではないイメージのまつりはできないものか、というのが最初の発想でした。そこであるとき模擬店のない、つまり、食べ物のない自然素材を中心とした子どもまつりを実験的にやったことがありました。そこで発見したことは、それでも充分まつりは可能だという手応えでした。そこで学んだことは、お客に媚びないこと、児童館としての年間目標を貫くこと、日常活動の集約として行動をつなげること、子どもの目線に近い遊びをきわめること、獲得すべき「テーマ」をもつこと、参加することで感動するものがあること、子どももおとなも「学べる」まつりは可能であること、ボランティアの成長につながること、自然素材を重視した遊びは充分通用すること、金をかけなくても効果は可能であることなどでした。
これらの体験を生かしたまつりを実現しようというのが「ポレポレECOまつり」の発想でした。これはまだ、職員全体で充分消化されたものではありませんでしたが、それを感覚的ながらきちんと受け止めてくれた職員集団があったというのも欠かせません。実はそういう「まつり」を以前一緒に取り組んだことがあったのが副館長の山田由美子さん(ヤマちゃん)でした。お互いに考えていること、やろうとしていることが「阿吽」の呼吸で想定できる、そういう同志がいたことが弾みをつけたことになります。
6 「エコな江戸」が二十一世紀を救う
幼児クラブのお母さんの会話の中に、「ここは(子ども交流センター)エコなんだよ!」という言葉が使われたことがあります。「ゴミを捨てるとき分別する」「自分たちで出したゴミは持ち帰る」という意味合いで語られます。
「エコロジー」は開館以来のコンセプトでもありました。それは単なるエコな作法というより、循環や社会を実現するための考え方を基礎にしていくということです。そしてそのモデルは、すでに江戸にあったというのも大発見でした。
江戸研究家石川英輔さんは、「日常生活のために本当に必要なものはごくわずかだということ。そして、それを見極めて必要なものだけを選んで暮らせば、見かけが質素なわりには生活水準を下げずに暮らせるし、江戸時代の先祖は、きわめて洗練された方法で、それに成功していたということである」と拒摘しました。
日本の国土の七○パーセント近くが緑であるというのは、先進資本主義国の中でもひときわ輝く誇りです。しかし、そうした豊かな自然に恵まれた日本であるにもかかわらず、経済効率第一主義のために自然を駆逐し、目に余る環境破壊を見過ごしてしまいました。地方と農林業には、過疎という地域存亡の危機が迫っています。
そういうときこそ、有限の資源を循環させて百万都市を担った「江戸」の生き方は、現代人の生きるべき方向を指し示しているのではないかと思ったのです。究極の環境都市「江戸」に学ぼう! そこにこめられている自然と人間とのほどよい関係と知恵を学ぼう、というのがポレポレECOまつりのねらいです。
7 それは「罵倒」からはじまった
とある保育園の父母から「バザーをまつりの中でやらしてくれないか」という申し出がありました。バザーの主催は近隣の保育園・学童保育父母会が中心になって近くの公園で開催する怛例の行事でした。そういう活動は近年どんどん少なくなってきていてそれを敬遠する父母会が多くなっているなか、バザーで父母の結束を強めたいという趣旨もあるようでした。それには二つ返事で了解しました。
こうして、まつりの方向も取り組みの準備段階からまつりの実行委員会である「よいしょの会」を開催しました。
ところが、バザーの内容をよく聞くと、食事を提供する模擬店があったり、そのためにまつりの開始時間もお昼前にしてほしいということがそこでわかったのです。「バザー」のイメージがお互いに違っていました。児童館側としては、中古物品のリサイクルのイメージでした。しかし、その父母側は、「模擬店も恒例行事でずっとやってきたので従来どおりやっていきたい。場所だけ貸してくれればよい、それ以上のことはむずかしい」ということでした。模擬店がだめだとか、ポレマネーは絶対だとかいうことは言ってなかったのですが、説明を一面的にとらえて相手を糾弾するような感情が噴出しました。また、幼児をかかえていた保育園の父母からは早く議事をすすめてほしいという怒りも飛ぶなど、会議は険悪の一途をたどるばかりでした。
そのときでした。
「いままで黙って聞いていたけど、あまりにも一方的じゃないですか。私も保育を頼んできた側ですが、同じ地域の人間として一緒に協力してやっていこうという姿勢がまず大事ではないんですか。そういう趣旨のまつりでしょ。そのうえでできること、できないことをお互いに出せばすむことでしょう? そんな喧嘩腰ではまとまらないじゃないですか」
と、ダンスの先生が語気強く発言しました。定期的に児童館の部屋利用をしている親子のダンスグループでした。すると、その発言をきっかけに会議の雰囲気が一変し、それ以降とんとん拍子に議事が進んでいきました。
結局、当初の案だった午後開催を変更し、模擬店のためにお昼をはさんで早めに開催すること、地域通貨を利用できる店と利用できない店とをカンバンで明示すること、ゴミはできるだけ持ち帰ることなどを合意して当日を迎えることができました。
しかしその後のNPOの理事会では、まつりの趣旨をふまえて盛り上げようとする気持ちや地域で活動している人と一緒につながろうとする姿勢がない団体は参加を断るという結論を全会一致で決定しました。結局、三回目の「ポレポレECOまつり」からは近隣の保育園・学童保育の父母グループの組織参加はなくなってしまったわけです。
それは同時に、働く父母会が地域貢献の核として地域から信頼を得るチャンスがありながら、その機会を逃したのではないかと思えてなりません。というのも、私たちは「働く親はジコチュウが多い」というまわりからの批判を払拭し、これをきっかけに見直してもらういい機会として期待をしていたからです。また、いずれここの学童保育に入室する父母も何人かいるわけですから、参加してもらうのは大歓迎なのでした。同時に、相手がやれそうだという気持ちになるような私たちのプレゼンテーションの未熟さも露呈したことでもあります。
一方、感情的になってしまった会議の背景には、この地城にドラスティックに進行した学校の統廃合や学童保育の吸収にまつわる地域のねじれ現象があったように思います。また、公立の保育園・学童保育の職員と父母との関係もますます乖離していく現状にあったように思われました。その意味で、父母のやり場のないフラストレーションがあったことも感じられました。
それは同時に、子ども交流センター学童保育室も当初はそうした風が吹いていたのは言うまでもありません。ちなみに、そのころの父母はまつりの趣旨についてはあまり合意がすすまず、父母も一部だけでとりくむというのが初期の実態でした。
「なぜみんなイライラ、ギスギスしているのか。なぜ他人に攻撃的になってしまうのか」というのが開館前後の父母の印象でもありました。同じ父母からでさえも「怖くて言いたいことが言えない!」という声も届きました。
私たちは、子どもを「預ける側」「預かる側」という平行関係ではなく、そこを自立・共生の双方向の関係に成長し合える学童保育をめざしていましたが、さっそく頓挫の危機に遭遇したのでした。その危機は二年ほど繰り返されていました。それは職員の志気にもかかわることでした。スワヒリ語で「のんびり生きようよ」という意味合いである「ポレポレ」という言葉が、皮肉にも切実な響きをもつものとなったのでした、
こうして、「ポレポレECOまつり」は、多難なスタートを内包していたのでありました。
8 グラウンドに突如森ができた
「ポレポレECOまつり」は、はじめから江戸をテーマにしていたわけではありません。年間の児童館事業コンセプトとしては、開館当初から「自然体験」というものにこだわってきました。
開館した2004年度だけでも行事、クラブ活動、日常活動のなかには、「平和の森公園」探検、葉っぱの葉脈写し、木肌写し、藍染め、木の実拾い、環境カウンセラーの「めだかの学校」、サケの孵化と放流、ハゼ釣り、虫探し、冬探しビンゴ、路地裏探検、蕎麦殻の枕づくり、麦踏み体験、サツマイモ・エダマメ・ひょうたん・ブロッコリー・里芋等の植栽・収穫、桑の実ジャムづくり、ドクダミ茶づくり、菜種油づくり、手打ちそばづくり、菜の花料理など、多彩で精力的な収り組みがすでに始まっています。
しかし、第一回、第二回「ポレポレECOまつり」のテーマは、「遊びの森ワンダーランド」という遊びと自然とが融合したような、ややファジーなテーマをもったスタートとなりました。それはまた、まだ職員集団として論議を充分尽くしたわけではない事情も反映していたと言えなくもありません。「森」「木」「葉」というようなキーワードにこだわりながら、「自然」というものの存在意味を考えるとともに、そうした自然素材に直接触れることを通して子どもといっしよに「職員自身も学んでいった過程」でもありました。
まつり一か月前のこと、区内の「平和の森公園」へ丸太や枝をいただく相談に行きました。すると、私のぶしつけな申人れに対して、間伐したクスノキや近くの公園で処分するケヤキの丸太などをすぐさまトラックで運んでくださいました。子どもまつりで「森を作りたい」という意図を察知した所長の即決の判断に頭が下がりました。今までは、万が一の事故や責任の所在ばかりに汲々とする行政の対応に辟易としていたところもありましたので、初対面にもかかわらずてきぱきした前向きの対応に感銘しました。「役所も捨てたものじゃないな」と見直した瞬間です。それは同時に、事故を起こさないための万全の措置を取ろうという気持ちをいっそう鼓舞させてくれました。
「どんな森になるのか」心配していたまわりの不安と期待が交錯する目線のなか、まつり会場のグランドには、突如森が出現したのでした。三~四メートルくらいある立木だけでも少なくとも四〇本はありました。枝葉はトラックの1台分くらいありました。また、直径四〇~八○センチくらいもある丸太も届きました。それはさっそく休憩コーナーのイスとなりました。
そこに集められた大量の枝葉は、まつり終了後も工作の材料になったり、年末にはリースづくりやお正月の飾りにもなったり、焼き芋の燃料になったりするなどおおいに貢献しました。
植物にも個性があった!
ポレポレ銀行に預託されたどんぐりには、コナラ・ウバメガシ・シラカシ・アラカシ・アカガシ・シイノキなど、いろいろな種類があることを肌で知りました。同じどんぐりにも、大きさ・帽子・色・お尻・かたちなどが違うこともじっさいに比較することもできました。また、「樹木の皮」も触りながら、すべすべ・ざらざら・ごつごつ・黒っぽい・赤っぽい・灰色っぽい・焦げ茶色っぽいなど、多様であることも知りました。
「葉っぱ」にも、鋸歯がある・鋸歯がない・半分鋸歯がある、ざらざら・つるつる、切れ込みが深い・切れ込みが浅い、葉の先端・基部のいろいろなかたち等々、たかが葉っぱなどとあなどれないくらいの個性があることも知りました。植物を同定する際の指紋のような役割をするのが葉っぱだということも大発見でした。
これら自然が持つ多様な個性を知っていくと、自然を見る目が変わっていきます。自然一般ではなくみどり一般でもなく、固有名詞でつきあうようになります。植物それぞれの個性的な性格が見えてきます。それはまた、人間もそうであるように季節によって装いが変移していくというのも見所です。そうしたことで、学童保育や幼児クラブの活動では、近くの公園や「平和の森公園」への探検や遠足が必然的に多くなっていきました。
それは、「子どもといっしよに自然を探検するということは、まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性にみがきをかけるということ」を職員自身も体感していくことになりました。それはまた、地球温暖化に対する子ども交流センターなりのとりくみを積み重ねていくことでもあります。
そのうちに、これらの自然とじょうずにつきあいながら、自然エネルギー100パーセントの生活や文化を創造していった時代が日本にもあったことに行きあたったのでした。そうです。それは世界的にも画期的な「植物国家」「環境都市」、江戸でした。
9 愉しさ・美しさ・安らぎが世界を変える
このまつりは、食べたり、買ったりで終わりではないというのが「売り」です。
子どももおとなも楽しく遊んでもらったり貴重な展示物を見てもらったりして、まつりの滞在時間をゆっくりしてもらい、そのやりとりのなかでいつのまにか自然・環境・生き様とかをしぜんに感じてもらうということが大きなねらいです。これからも、人の賑わいから「まち」や「人」を暖かく感じてもらうこと、幼児から高齢者まで集うことで異世代の持ち味を共有・共鳴しあうこと、しっかり生きようとすると孤立しがちな個人やグループが励まされる場とすること、「まち育て」につながるような出会いやきっかけが生かされることなどを実現したいと思っています。
文化人類学者辻信一さんは「愉しさ・美しさ・安らぎが世界を変える」として「スロー快楽主義」を宣言しました。
そのなかで、「祭りは人間が生きることと、動植物が生きることとをひとつなぎにして、生きるという快楽を祝う祭礼だった」と指摘していますが、「ポレポレECOまつり」のめざすものは、まさしく人間が「生きる」ということが自然と共生することにあるというメッセージのまつりでもあるということです。そして彼は「周囲のおとながゆとりをもって安心感や自己肯定感を育てられなければ、子どもの好奇心やチャレンジ精神など生きる力は生まれない」と、おとなのスローな「ゆとり」の大切さを強調しています。
このまつりに象徴される輝きは、人の気配を失った校舎からの「復活祭」でもありました。それはまた、呼吸の止まった施設からの「ルネッサンス」でもありました。それはまた、子どもの歓声というものを忘れてしまった砦からの「雄叫び」でもありました。それはまた、無機質になってしまった部会の「孤独からの脱却」でもありました。
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