ウォールデン 酒本雅之
人間蘇生の思想──ウォールデンを読む
訳題について述べることから始めたい。この訳書はアメリカ19世紀の思想家ヘンリー・ソローHenry David Thoreau(1817-62) の主著Walden or Life in the Woods(1854年)の全訳だが、周知のとおり、従来の邦訳ではほとんど「森の生活」という訳題が定着している。つまり副題のほうがなぜか選ばれてしまっているというわけだが、この作品が自然愛好者のいささか風変わりな自然生活の記録として、少なくともわが国では読まれる傾きがあるのも、訳題のこのありようが微妙にかかわっているからではあるまいか。そう言えばソロー自身もこの副題には問題を感じたらしく、1862年3月に出版社ティックナー・アンド・フィールズに手紙を書き、「ウォールデン」の増刷の際には副題を「削除」してほしいと申し入れている。理由を彼は述べていないが、ともかく著者自身によって撤回された副題を、しかも主題として維持しつづけるのは、少なくともあるべき形ではないだろう。この訳書の底本に用いたプリンストン大学出版部の新しいソロー全集(刊行中)の定本版でも、むろんWaldenとあるだけで副題はない。
それにしてどうしてソローは、1845年7月からの2年2ヶ月を、人間社会の外に出て、「どんな隣人からも一マイル離れ」たウォールデンの森でひとり暮らしをしなければならなかったのだろう。少なくとも彼の中に、人間社会とは別の原理で生きたいという抑えがたい欲求が働いていたことだけは間違いはあるまい。1837年、アメリカ社会が長い不況のトンネルにはいる最初の年に、ソローはハーヴァード大学を卒業し、ごく限られた期間教師をつとめたことを除けば、ほとんど定職につかず、生まれ故郷のコンコードに腰を落ちつけてしまう。むろん単なる引っこみ思案のためではない。今でさえ小さな田舎町といった趣のコンコードには、少なくとも19世紀の第二・四半期に関する限り、アメリカの文化状況を構成する中心の一つがあった。エマソン、オールコット、ホーソーンなど、清新な頭脳と感性をそなえた知性たちが町とその近郊に住み、近代国家へといっきに上昇し始めたアメリカの活力にそれぞれわが身にひたしつつ、開けゆく世界の展望の限りなさ、測りがたさに魂の奥底まで揺さぶられていた。
人間存在の外に広がり、内に深まるこの無限空間の意識を核として、やがて「超越主義(Transcendentalism) と呼ばれる新しい思想が熟成するが、大学在学中からエマソンの主著「自然」(Nature)に親しみ、卒業の年にはエマソン自身と親交を結ぶようになるソローは、いわば超越主義の源流に深々と身をひたしていたと言えるだろう。やがて彼はエマソンを中心とする超越主義者たちの仲間に加わり、あるいはのちにおびただしい言葉で埋めつくされる「日記」Journal の最初のページを書きしるすことになる。
だが町の一般の住民たちにしてみれば、ソローの内面で着実に進行していたこの醗酵過程が見えていたはずもなく、大学を出たのに定職もつかないただの風変わりな怠け者の姿しか見えなかったとしても不思議はない。その彼が町はずれの池のほとりに手つかずの小屋を建て、ひとり暮らしを始めたという。彼らの好奇心はさぞかしそそられたに相違なく、森の暮らしが始まってまだまもない頃に、すでに暮らしの細部に及ぶ詮索が繰り返されたらしい。ソローが「ウォールデン」の執筆を思いたった最初の動機は、町の住民たちのこの好奇心に応えるための講演原稿としてだった。小屋に住み始めてから一年もたたぬ頃の「日記」に、早くもそのための草稿とおぼしきものの断片が書きこまれている。
ところがソローには、実は世俗から自由になったその時間で、何はさておいても果たさねばならぬ「個人的なある事業」があった。39年に兄のジョンとボートでニューハンプシャー州のホワイト山脈まで旅したときの記憶を、のちに急死した兄への鎮魂の思いもこめて回想し、結局最初の著書「コンコード川とメリマック川での一週間」A Week on the Concord and Merrimack Rivers となる作品にまとめる「事業」だ。それにもかかわらずソローは、小屋暮らしの後半の時期にはすでに「ウォールデン」の第一稿と呼べるほどのものを書き上げていたらしく、その一部を47年2月にコンコードの文化講座で講演している。このときにはおそらく決定稿の「生計」の章にあたる部分の一部が読まれたが、ほぼ半年後の9 月初め、森の暮らしを終えたときには、ひとまず書き終えられていたようだ。もっともこの第一稿は決定稿の半分ていどの分量しかなく、それ以後もこれを完成稿としてしばらくはわずかな手直しがつづけられた。
ソローがこれらの文章を聞かせたい、読ませたいと願っていた相手は世間一般ではなく、時間と空間を共有している具体的な「あなた」、いわば顔の見える相手だったということは注目しておいていい。「ウォールデン」の中で彼は繰り返して、読者の範囲を身近な人びとに限定しようとつとめている。「ぼくが語りたいのは……ニューイングランドで生きている……あなたがたのことだ。……この町でのあなたがたの……状況……、それがどういうものか、こうまで現状がひどいのは仕方がないことなのか、少しは改善できないものかというようなことだ」彼が時間を惜しんで、ともかくも書き上げたその動機には、ほかならぬ「この町」の「あなた」の現状を「改善」しなければという、ある種の切迫した思いが働いていたことは確かなようだ。
身近で見かける人びとの生きかたの「低劣(meanness)」がソローにはなんとも見るに堪えず、ウォールデンの森での自分の暮らしを語ることで、こんなふうな生きかたも可能だよと提案してみたかったのだ。森での暮らしは従って単なる自然相手の営みではなく、人間社会のありように対峙する新しい生きかたの創出であり、ウォールデンはそのための場として、人間社会の対極に位置する象徴的空間にほかならなかった。
新しい別の生き方もあることを隣人たちに気づかせたいと願うソローの熱意は、たとえば次のような一節からも切々として伝わってくる、「人びとは選択の余地などないのだと……思いこんでいる。……どんなに古くからのものだろうと、証拠もなしに信用できる……生きかたはない。……昔の人が無理だ言っていることでも、やってみればできると分かるものだ」。そしてウォールデンの森での自分の暮らしを、新しい生きかたへの一つの提案として語ろうとソローの思いは、第一稿のあとを次々と重ねられた改稿のたびに広がり、深まって行ったと思われる。
森を出てから一年後ソローは改稿に着手し、二度にわたって書き直すが、しかしこれは「一週間」の出版後、あまり時をおかずに刊行するための修正にすぎず、質量ともに目だった変化は認められない。だが幸か不幸か、「一週間」の売れ行きが惨憺たるもので、出版社も「ウォールデン」に背を向けてしまい、ソローは刊行のめども立たない原稿をかかえて途方に暮れることになる。
だがプリンストン大学出版部版「ウォールデン」(1971年)の編者シャンレーも言うように、この刊行の遅れは作品にとっては紛れもなく「幸運な遅れ」だった。「ウォールデン」が単なる生活実践の報告から、象徴性豊かな作品に熟成するのは、1852年の第四稿から54年の第八稿にいたる全面的な改稿作業によってだった。とくに52年から53年にかけての第五稿では、作品の後半部分が新たに書き改められ、章分けがなされ、さらにつづく第六稿では、多くの材料が新しく付け加えられ、その結果叙述の順序にかなりの組み換えが必要になった。
二年あまりに及ぶこの改稿の過程で、ソローは森での暮らしを素材としながら、それ以後の材料も加え、実際には「2年間の経験を1年にまとめ」て、次第に実録から虚構へ、一つの主題に貫かれた詩的世界へと織り上げて行く。
その主題をひとことで言うなら、「絶望を内に秘めて暮らしている」現代の人間を蘇生させるための戦略の提示だ。ソローの見るところ、現代の人間は「人生の大半を卑近な必需品や慰みものを得ることだけに」使おうとしている。彼らには、本当に欲しいものに辿りつくには、まずそのための手段を確保することが、どうしても欠かせないと思えてならないのだ。彼らのこの思いこみに対してソローは、彼らの「必需品」がはたして本当に必需品なのかと問いかける。彼の考えではものの値段は、その「ものを手に入れるときに……交換しなければならない……いのちの額」だから、手段でしかない「必需品」の獲得に生涯の大半を使い果たして、いざ念願の目標を前にしても、すでに体力も知力もあらかた使い果たし、いのちの貯えが尽きかけている。ソロー独特の言いかたで言えば、本来彼らは「屋根うら部屋へ直行するべきだった」のだ。
ソローが繰り返して生活の「簡素化」(simplify)を力説するのも、手段の比重を可能な限り軽減して、目標との対面を一刻も早く成就させたいからだ。「最も迅速な旅びととは徒歩で旅ゆく人」だというソローならでは逆説も、こういう文脈での発言であることは言うまでない。そしてウォールデンでの森の暮らしが、これまた言うまでもなく、生活のこの「簡素化」の実践だった。
「簡素化」という戦略もさることながら、隣人たちをその頑迷な思いこみから解き放とうとするソローの感性と思考の伸びやかさは実に魅力的だ。「人びとは選択の余地などないのだと心の底から思いこんでいる。しかしきびきびした健康な本性なら、太陽がうららかに昇ったことを覚えているはずだ。偏見を捨てるのに遅すぎることはない」。「うららかに」昇る太陽とは世界が「健康」だった頃の原風景の象徴だろう。ソローがかって熟読したエマソンの「自然」冒頭の一句、「太陽はきょうも輝いている」を連想させずにはおかない隠喩だが、しかし「太陽」は「朝」とともに「ウォールデン」では遥かに重要な役割を果たしている。「太陽」の降りそそぐ「朝」の「うららか」な風景の中に目ざめれば、人間はいっさいの偏見から自由になって、曇りのないまなざしを取り戻すことができる。「朝」とはソローにとって、正気に返り、真実と向き合う時間のことだ、「朝がめぐりくるたびにぼくはぼくの生活を、《自然》そのものと同じぐらいに簡素で……清浄無垢にしてみてはと晴れやかに勧誘されるのだった。……朝は英雄時代を連れ戻してくれる。……朝は一日のうちで最も注目に価する時、すなわち目ざめの時だ」
こうしてソローは朝を迎え、目ざめた者の視点から、生活をあるべき形に組み替えようとする、「ぼくが森へ行ったのは、慎重に生きたかったからだ。生活の本質的な事実だけに向きあって、生活が教えてくれることを学び……たかったからだ。……ぼくは生活でないものは生きたくなかった。生きるということはそれほどに貴いことだ。……ぼくは深々と生きて生活の精髄をしゃぶり尽くし、……生活でないものはすべて追い散らし」たかった。生きることを疎かにすまいというすさまじいほどの執念だが、この引用を支えているのは「慎重に生きる」という一句だろう。ソローはこの表現を「ウォールデン」の中で繰り返し使っているが、目標に向って「直行」するには一瞬たりとも漫然とは生きたくないという思いに駆られているのだ。
生活でないものは生きたくないというソローの宣言の背後では、これぞ生活と呼べるもの、つまり「生活の本質的な事実」に寄せる彼のいちずな慕情が、当然のことながら勢いよく燃えさかっていたはずだ。そのことは「事実」を求め、ほんものに迫って行くときのソローのひたむきな姿勢からも疑う余地はないだろう。「ひとつ腰を落ちつけて、意見、偏見、伝統、妄想、外見にぬかるむ泥土のなか……へ足を踏みいれ、ぐいと踏みこみ、……実体の名にふさわしい確固たる岩底を探り当てたら、そうだ、こいつだ、間違いないと言うことにしよう。……活きることになろうと死ぬことになろうと、ぼくが切望するのは実相だけだ」。「確固たる岩底」という比喩が端的に語っているように、ソローが欲しいのは、どんなに逆流にも揺らぐことのない「確固たる」真実だった。
このことは、2年2ヶ月を経て彼が森をあとにしたときにも一貫している、「ぼくが森を出たのは、森へはいったときに劣らず、ちゃんと理由があってのことだった。たぶんぼくにはほかにもいくつか生きてみるべき生活があり、これ以上今の生活だけに時間はさけないと思えたのだ。ぼくらは驚くほど苦もなく、しかも知らずしらずのうちに特定の道すじに嵌りこみ、踏み慣れた道を自分で作ってしまう。森で暮らし始めて一週間もたたぬまに、ぼくの足はもう小屋の前から池の岸までひとすじの小道を踏み開いていた」
生活の「本質的な事実」だけに向き合いたいと森へはいったはずなのに、「一週間もたたぬまに」その生活がきのうの安易な繰り返し、つまり「踏み慣れた道」になってしまう。ところがソローには、「ぼくらは日々新たな経験と特質を得て、遠くから、冒険と危機と発見から、わが家に帰りつかねばならない」という思いがある。彼が森を出たらも、一つの生活習慣への停滞を嫌い、つねに「冒険と危機と発見」にわが身をおいておきたかったからだ。
人間蘇生の思想──ウォールデンを読む (その二)
「発見」を願うからには、ソローの目には、「あらたな経験」待ち受けている未知で多様な世界が見えていたに相違ない。現に彼は、「ぼくにはほかにいくつか生きてみるべき生活」があると言っていた。生活を単一な軌道に限定されてしまうことは、ソローにはきっと息苦しいことだったのだ。そう言えば彼は、ニューヨークから故郷の母に宛てた手紙の中で、「ぼくが呼吸するには大陸全部が必要です」と訴えている。そして「ウォールデン」の中でもさりげなく、「ぼくはぼくの生活に広い余白がぜひとも欲しい」とも語っている。
むろん「余白」とは限りないものでなければならない。埋められてしまえばおしまいというようなものではなく、埋めても埋めても尽きないものでなければ、ソローの必要には応じきれまい。彼が「ウォールデン」の中で、「人間の能力が測られたためしはなく、彼の可能性を判定することは……無理だ」とか、「一つの中心から引ける半径の数ほども生きかたはあるものだ」などという発言を繰り返すのも、彼の目に見えているにちがいない多様で豊かな世界、つまり「大陸全部」を、生きてみたくてたまらないからだろう。最終章の冒頭で彼は、「ありがたいことに、ここだけで世界がおしまいというわけではない」と、いかにも嬉しげに語っている。
ソローが、「九人集って一人前とは仕立て屋のことばかりではない。……この分業というやつはいったいどこまで行けば終わるのか」と、現代社会における際限のない「人間」の分割を嘆き、現代人は「道具の道具になりさがった」とその卑小化を批判するのも、あたら豊穣な人間存在を無残に限定され細分されてしまうことへの口惜しさがなんとも抑えがたいからだ。
「自然」が人間社会の対極としてソローによって捉え直されるのは、まさにこの一点においてだ。彼は初期の「日記」の中で人間と自然をすでに対比的に捉えている。「人間が自然の中へはいりこんでくると、とたんに彼は自然と対立し、あたら連続している自然を断ち切っては、自然に形式と輪郭を与えてしまう」。ソローが「ウォールデン」の中でひたむきに対面を果たそうとしている「実相」とは、いっさいの「形式と輪郭」を免れて、本来のままで完全無欠に存在している具象世界だと、もしかしたら言えるのではあるまいか。
朝の「うららかな」日差しの中で目ざめれば、世界が「健康」だった頃の原風景が見えると前に述べたが、具体的にソローの過去にそういう瞬間が顕現した例を求めれば、たとえば次のような「日記」の一節はどうだろう、「むし暑い日にのたりのたりと波打つ池の水に身をまかせていると、ぼくはほとんど生活の苦労から自由になって、実在の世界に生き始める」。あるいは「ウォールデン」の「ひとり暮らし」の章もこんなふうに書き出されている、「実に気持ちのいい夕暮れだ。全身が一つの感覚となって、ありとあらゆる毛穴から歓喜を吸いこんでいる。ぼくは「自然」中を、その一部と化して、異様なほどに伸びのびと歩きまわる」。
「ウォールデン」は三分の一ほどのページを人間社会の批判に費やしたあと、「さまざま音」の章で、「すべての事物やできごとが比喩を使わずに語る唯一豊かな……言語」へと向きを変える。つまりものそれ自体が語る言語、人間のように抽象化や概念化に損われていない無垢なるものたちの世界へだ。「ぼくは……日の当たる戸口に坐り、マツやヒッコリーやハゼノキに囲まれながら、ひっそりと静まりかえったぼく一人の天地の中に……うっとりと夢想していた……。ぼくのまわりでは鳥たちが歌い、家の中を音もなく飛び交っていたが、……そういうときには、ぼくは夜のトウモロコシのように生長した」
ウォールデンの森はこれら無垢なものたちとの出会いの場所だった。商業主義にからめとられ、それ以外の生きかたなど夢想したことさえない世間とはまったく別の原理でいきづいている別世界と、今こそ念願の出会いを果たすためのいわば聖空間だ。「ウェールデン」冒頭の一句、「ぼくはマサチューセッツ州コンコードにあるウォールデン池のほとりの森の中で、どんな隣人からも一マイル離れて一人で暮らした」という書き出しは、この場所が世界のどことも接点を持たない聖別された空間であることを疑問の余地なく明示している。
もっともウォールデンを単なる別世界だと言ってしまうと、いささか正確さに欠けることになるかもしれない。たとえば、「隣人たちが良いと呼んでいるものを、ぼくは大部分、真底悪いと信じているし、もしもぼくに後悔することがあるとしたら、それはおそらくぼくの良い振舞いだ」などという逆説めいた発言からすれば、ウォールデンは人間社会から最も遠い距離にある対極だと言うべきかもしれないが、ともかくウォールデンは人間社会の外にあり、そのことを、ソローがまだ森で暮らしていた1846年夏のあるできごとが、鮮やかに例証してくれることになる。
このときソローは、修理を頼んでおいた靴を受け取りに町へ出かけていたのだが、途中で人頭税不払いの罪で逮捕されてしまう。いわば原理の異なる二つの世界の、起こるべくして起こった正面衝突だが、不払いの理由は、ソロー自身の説明によると、「議事堂のまん前で男や女や子供たちを牛馬のごとく売り買いする国家……の権威を認めなかった」ということだ。どうやらソローの視界にはアメリカ国家という人間社会は影も形もないらしい。
現実にはその夜のうちに誰かが税金を払ってくれて、ソローは翌朝釈放される。その足で彼は靴を受け取ると、早速「森に戻ってフェア・ヘイヴン岡の上でのコケモモの午餐になんとかうまく間に合った」。つまり自分自身の世界に首尾よく帰りついたという次第だが、このときの体験がきっかけで書かれた彼の論文「市民の抵抗」Resistance to Civil Government (1849)は、コケモモ摘みに出かけるくだりをこう結んでいる。「ぼくはコケモモの茂る野原のまんなかにいた。この野原は2マイルの距離にあり、このあたりでいちばん高い岡の一つにあったが、ここまでくれば国家の姿などどこにも見えなかった」。
ソローの「市民の抵抗」が、民衆の自由と権利を擁護しようとするさまざまな運動に従事する人たちに愛読されたことはよく知られている。インド民族運動の指導者ガンディーやアメリカ黒人運動の指導者キング牧師などがその顕著な例だが、ぜひとも強調しておきたいのは、ソローの思想が単なる社会改良思想の次元にはなく、きっぱりと社会の対極に移行して、抽象化とは無縁な豊穣な存在をまるごと生きようとするその生きかたが、人間社会にあるべき姿をめざす彼ら社会運動家たちを根源的に支えていたということだ。
もっとも、社会運動家たちの目が未来にそそがれているのに対して、ソローの「実相」の世界、「自然の……一部し化して……伸びのび歩きまわる」というありようは、遥かな過去のどこかでたしかに味わったことのある至上の幸福感の記憶として慕われている。再度の引用になるが、「健康な本性なら太陽がうららかに昇ったことを覚えている」はずなのだ。「ウォールデン」の全面的な改稿に着手する直前の頃の「日記」でソローは、彼にもたしかにあった過去の至福をこんなふうに回想している。「この大地がこのうえなくりっぱな楽器で、ぼくはその楽音に聞きいる聴衆だった。……あの頃ぼくが感じた驚きは今でもはっきり思い出せる。……ぼくの心に言葉では尽くせぬほどの、実に魅惑的で甘美な天来の歓喜、ぼく自身が高まり広がり行くような感覚が訪れていた」。
「ウォールデン」の最初の章でソローはある喪失について語っている。「ぼくはずいぶん昔に猟犬と栗毛のウマ、それにキジバトを失くして、今でもその行方を探している」。これはおそらく、「あの頃」の「天来の歓喜」の喪失を嘆く象徴的表現だろう。さきほど引用したのと同じ日の「日記」の中で、彼はさらにこんなふうに述懐している。「ぼくの現在の経験は無であって、過去の経験こそすべてだとぼくに思える。……以前にはぼくが成長すれば自然も成長するように思えた。ぼくの生活は陶酔だった。ぼくが感覚を失っていなかった青春時代にはぼくの全身が生きていて、からだには言い表しがたい充足感が宿っていた」
ウォールデンの森での暮らしは、失われたこの「陶酔」、あるいは「充足感」を取り戻そうとする遡行にほかならなかった。ソロー自身が「かつてぼくがアルカディアにいた頃に」という言いかたで語っているように、今では失われた青春の日々への再訪だった。
「アルカディア」の所在が人間社会の外にあることは繰り返すまでもないが、それをソローはウォールデンの森という場で探り当てようとする。むろんこの森は、エマソンの場合のような精神の比喩としての自然であるはずはなく、たとえば多種多様な動植物がそれぞれに独自ないのちを生きている具象世界だ。紙幅の都合で例を限るが、たとえば「冬の池」の章でカワカマスは「さながらおとぎえ話のなかの魚のような……稀有な美しさ」をそなえ、「巷で鳴りものいりで評判の、死骸みたいなタラやハドックなんかとは」大違いだ。あるいは赤アリと黒アリとの壮絶な戦闘場面では、「彼らが戦ったのはぼくらの先祖と同じく主義のためで、……この戦闘の結果は……バンカー・ヒルの戦いの結果に劣らず……忘れてはならぬ重要なものとなる」。
ソローの「自然」の中の住人たちはどんな格付けからも自由であり、それぞれに内在するいのちを存分に生きている。右の引用でアリたちが「ぼくらの先祖と同じ」目線で捉えられていること、あるいは「動物の隣人たち」という章題からも、ソローの「自然」の充実した賑いが察せられるだろう。むしろ抽象化され、卑小化された人間のほうが、「自然」の住人たちに自分を重ね合わせ、一体化して、おのれの蘇生を図るべきではないか。
「高尚な法則」の章の冒頭でソローは、釣った魚をじゅずつなぎにして暗い森の中を帰ったときの経験を語っている。「一匹のウッドチャックがぼくの行手をそっと横切るのがちらりと見えた。ぼくは野蛮な歓喜が不思議にうずくのを感じ、彼をつかまえて生のままで貪り食いたいと激しく望んだ。……空腹だったわけではない。彼の表わしている野生が欲しくてたまらなかっただけだ」。ウッドチャックを貪り食って彼の「野生wildness 」をわがものにしたいということの欲求は、明らかに「自然」との一体化を願う思いにつながっている。晩年のエッセー「散歩」Walking(1862年)の中の一句、「野生こそ世界の救い」には、ソローが提示しようとする人間蘇生のための処方が簡潔に要約されている。
むろん「野生」とは粗野で野蛮な性質のことではない。自分を何かの軌道に限定されることを激しく拒絶し、「おのれの存在の法」に全面的に従いつつ、完全に解き放たれた具象として生きるそのありようのことだ。だがその「野生」が身にそなわるにはどうすればいいのか。
ソローがすすめるのは、この世界の中で「迷子」になることだ。彼に言わせれば、人間はごくさりげない散歩のときにさえ、何かなじみの目じるしを頼りにしがちだ。すでに知りつくしているものを目じるしにすれば、安全ではあっても、きまりきった道しか歩けない。「冒険と危機と発見」に通じる道を歩こうと思えば、まずいっさいの既知の目じるしとは縁をきり、「完全に迷子」になることが必要だ。それでようやく「自然の広大さと不思議さがつくづくと分かるねようになる」。同じことをソローはこんなふうにも言っている、「ぼくらは迷ってからでないと、つまり世界を失ってからでないと、自分自身が見えてこないし、……世界の無限の広がりも、かいもく分からぬこととなる」。「迷子になる」とは「踏みなれた道」に執着せず、大胆に無垢な一歩を踏み出して、原初のままの世界の多様と充実に出会うということだろう。
こうして「自然の広大さと不思議さ」と一つに溶け合い、どんな固定や停滞とも無縁な具象として、伸びのびと自在に生きるための戦略が完成する。そしてその時に合わせるかのように、「ウォールデン」の世界も、「冬の動物たち」、「冬の池」から「春」の章へと、次第に蘇りのきざしを見せて行く。張りつめていた池の氷がゆるみ、水面が徐々に現れ、鳥の啼き声が聞え始める、「ウォールデンはどんどん溶けている。……風になびくリボンみたいなこの水面が日差しを受けて輝く光景は壮麗そのもの、喜びと若さみなぎる池の素顔だ。……冬と春との対照はこんなにも鮮やかだ。ウォールデンは死んでいたが、春には息を吹き返す」
むろん溶け始めたのは池の水だけではない。森から村へ通じる切り通し土手の砂と粘土が、冬にはあれほど凍てついていたのに、今は溶けて、流れて、さまざまな形を作りながら斜面をくだる。そしてなぜかソローの目には、それらの形が葉飾りに見えた。「春の日が一日でやってのけた仕業」で、しかも「とつじょとして出現」したのだ。
ソローの考えでは、大地は理念を孕んで陣痛に苦しんだあげく、それを葉の形で表出する。まるで大地の「造りぬし」は、「一枚の葉の特許権」しか取っていなかったみたいだ。内側にある「湿った分厚い葉lobe」、外側にあれば「乾いた薄い葉leaf」の違いがあるが、大地の産み出すすべてのもので、この葉の形をとらぬものは一つもない。「鳥の羽毛や翼は……薄くなった葉、……氷でさえ初めは繊細な葉の結晶体、……木そのものが全体ととして一枚の葉にほかならず」といったぐあいだ。そして切り通しの土手のこの葉飾りは、「自然」の「すべての働きの原理」を例証してくれているようで、ソローはさながら世界創造の現場に居合わせてでもいるかのような「感動」を味わったと告白している。
凍っていたものがいっせいに溶けて流れて作り出す葉模様は、ソローの目には世界の解放と蘇生の象徴だと見えたのだろう。この「象形文字の解読」は、「ぼくらが人生の新しい一葉を……めくる」ためになされることをソロー自身が明言している。「新しい一葉をめくる(turn over a new leaf)」とは、むろん葉模様を語る文脈を意識した洒落だが、その前に、「生活を一新する」ことを意味する英語の慣用表現だ。ソローは溶けて流れる砂と粘土の一瞬の形状に、世界と人間の蘇生の予型を読み取ろうとしたのだ。「人体が溶けた塊となれば、流れ行く末端が手や足の指となる。もっと優しい天の下なら、人間のからだはいったいどこまで広がり流れ出て行くものやら」。
春はソローにとって、自然がいっせいに溶けて流れ始める季節だ。一つの生き方をたった一つの可能性と信じて疑わぬその呪縛から、人間の心を春の朝の暖かい日差しが解き放ち、無数の可能性に充満する究めがたく「測りがたい」世界へと送り届けてくれる。「快い春の朝には万人の罪が許されるのだ。これほどの日なら悪徳に対しても休戦しよう。これほどの太陽がしっかり燃えつづけている限り、どんな罪深い悪人でも帰ってきて構わない。……春が始まるこの最初の朝には日差しが……世界を造り直してくれて」いるからだ。
「ウォールデン」は森の暮らしの物語ではない。手段の獲得をぜったい不可欠な必要事と決めこんで、本当の目標には見向きもしない人間社会のありように、しぜんの多様で充実した世界を対置させて、人間の目ざめと蘇生をなんとか成就させたいという願いが、作品全体を流れる主旋律だ。「夜明けはまだまだこれからだ。太陽など所詮は明けの明星でしかない」という結びの一句は、未来にかけるソローのこの思いの深さを雄弁に語ってくれている。
以上、「ウォールデン」に関する訳者の読みを、紙幅の許す限り述べてみた。ソローの思想は晩年にやや変化を見せるが、今はそのことに触れる余裕がない。なおソローは原典を通じて、コンコードのことを「村village」または「町town」と呼び、ウォールデンのことを「池pound」または「湖lake」と呼んで必ずしも統一性を持たせていないが、この訳書でも原則として原典の記述のままに従った。ソローの生涯については巻末の「略式譜」、および旧著「支配なき政府──ソーロウ伝」(国土社、1975 年刊行)を参照してほしい。最後に、「ちくま学芸文庫」編集部の熊沢敏之氏と渡辺英明氏には心から謝意を述べておきたい。両氏の親身なお世話がなかったら、この訳書はおそらくはるかに難産だったにちがいない。
ヘンリー・D・ソロー特集
森の生活 神原栄一訳 荒竹出版 1983年刊
市民の反抗 飯田実訳 岩波文庫1997年刊
ザ・リバー 真崎義博訳 宝島社 1993年刊
コッド岬 飯田実訳 工作舎 1993年刊
市民としての反抗 富田彬訳 岩波文庫 1949年刊
メインの森──真の野生に向う旅 小野和人訳 講談社学術文 1994年刊
ウォールデン・森の生活 今泉吉晴訳 小学館 2004年刊
市民の反抗 飯田実訳 岩波文庫 1997年刊
森の生活・ウォールデン 神吉三郎訳 岩波文庫 1979年刊
ウォールデン 酒本雅之訳 ちくま学芸文庫 2000年刊
森の生活・ウォールデン 真崎義博訳 宝島社 1980年刊
森の生活・ウォールデン 佐渡谷重信訳 講談社学術文庫 1991年刊