雨の遠征
「あなた……」
とつい口をついて出かかるときがある。しかし空っぽの部屋にただよっているのは、ひんやりとした空気だけだった。邦彦は家を出ていったのだ。二人を残して。自分の心を整理して邦彦と笑って別れたはずなのに、智子はいまでも彼の影を追っていた。新婚生活のなんと甘かったことだろう。アメリカでの生活は楽しかった。あんなに愛しあっていたのに。彼女のなかに甘く懐かしい思い出が、なにか胸をしめつけるようによみがえってくる。
邦彦を憎もうとした。彼は若い女性と恋に落ち、裏切っていったのではないか。そんな男のあとをいつまでもうじうじと追うことはないのだと。しかし智子は彼を憎むより、自分の愚かさを呪うことのほうが先だった。彼を失ったのは自分が愚かだったからだと。私がそれだけの努力をしていなかったのだと。
その日、智子は久しぶりに妙子と会った。妙子はいつもの明るい声で言った。
「さびしい顔しているわね。孤独を一人で背負ってるという顔よ」
「あら、そんな顔しているのかしら」
「そうよ。もう立ち上がれないっていう顔よ」
「そんなことないわ。せいせいしているんだから」
「またそんな強がりを言って。あなたは一人でしまいこむからいけないのよ」
「宏美にも言われるの。お母さんの沈みこんだ顔はきらいだって」
「宏美ちゃん、ちゃんとみているんだ」
「すごくよくみているのよ。なんでもわかっているの」
「五年生だったわね?」
「そうなの」
「あの子とっても頭のいい子だし。みんなみているはずよ」
「そうなのね。あの子もすごくつらいはずなの」
宏美もまた邦彦を失ってしまったのだ。子供は父親という幹の下で大きくなっていくというのに。その幹を自分のために失ってしまった。宏美もときどきお父さんとつい口に出して、あわててのみこんでいる。そんなとき智子の胸は罪の意識できりりと痛む。
「例の塾の話はどうなったのかしら」
「いまとてもそんな気分になれないわ」
「おかしいわね。あなたはあれをするために離婚したようなもんじゃないの」
「そんなことないわよ」
「でも、それも大きな原因だったんじゃないの」
「それもそうだけど。でもいまそんな元気ないの。見通しもたたないし、離婚した女になにができるのか、たった一つの家庭もつくれなかった女に、そんなことができるわけがないって思うばかりよ」
「でもそんなこと最初からわかっていたことじゃないの。それを承知で離婚しましょうなんて切り出したんでしょう」
「いますべてに自信がないのね。私って挫折していくだけの女のような気がするの。教師で挫折して。結婚に失敗して。挫折するだけの人生。この先なにをしても駄目のような気がするわ」
「よくいうわよ。だからあなたは甘いっていうの。甘いからそんな風にしか自分をみれないの。あなたはほんとうの挫折というものを知らないからよ。ほんとうのどん底というものに落ちたことがないからなのよ。あなたにはまだまだ落ち方が足りないのね」
「そうかしら」
「あなたがもう一度立ち上がろうとするならば、もっとどん底に落ちていかなければならないのよ。あたしからみたらそんなもの挫折なんてものじゃないの」
「あなたと話していると、生きていく勇気がでてくるわ。そうなのね。そういうことなんだと思うわ。自分が甘えているってよくわかる」
「ヘんな納得の仕方をしないでよ」
と言って、妙子は明るく笑った。なにか智子まで明るくしてしまう笑いだった。
智子がその痛手から完全に立ち直ることができたのは、邦彦が家を出てから半年ほどたってからだった。邦彦が世田谷のマンションであの松沢という女性と同棲をはじめて、なにやら二人は来年の春にも正式に結婚するという噂を耳にしたときだった。
それを聞いたとき、彼女のなかにあった邦彦への思いがぷつりと切れた。彼女はずうっと心の底で彼が帰ってくるのを待っていたのだ。しかし、もうさようならだった。じめじめとした心ともさようならだった。挫折ともさようならだった。彼女は新しく生きなければならないと思うのだった。
その頃智子は、叔父の貿易会社の正社員となっていたが、それでも過に一度は藤沢に朝からでかけていって、彼女がつくった講座の授業をしたり、さらに「登校拒杏を考える会」の運営委員もしていて、そちらの活動もなかなか忙しかった。
その活動のなかで羽鳥典子という小学校の教師と出会った。典子にもちょうど宏美と同じ年の明彦という男の子がいて、その子もまた学校にいけなかった。彼女の一家が戸越に住んでいたこともあって、急速に親しくなっていったのだ。
「自分の子供が学校にいけなくなったとき、教師をこのまま続けていっていいのだろうかと思ったわ」
と典子は言った。
「よくわかるわ」
「自分の子供をきちんと育てられないのに、どうして他人の子供を育てられるんだろうかってね。私は教師失格ではないのか。教師という仕事をやめて、自分の子供をきちんと育てることからはじめるべきではないのかって」
「そう思うでしょうね。きっとそう思ってしまうわよね」
「自分の生き方が問われるようになるのね。子供は子供なりに苦しんでいるんでしょうけど、親のほうも大変なのよ。自分の生き方といったものから考えたりしてしまって。ほんとうはそんなとき親が一番しっかりしていなければならないのに、子供以上におどおどしてしまうのね」
「そうなのよ。親の方がおろおろしてしまって」
「あの子が学校にいけなくなったのは、もうはっきりしているの」
「万引したこと?」
「そうなの。それが見つかってしまったのね。お店の人に自分の名前をきちんと言えばよかったのに、あの子はがんとしてどこに住んでいて、どこの学校にいってるかも言わないもんだから、結局警察に引き渡されて。そんなことがひどいショックだったの。とにかくまじめな子なのよ。内面へ内面へとむかっていく子だから。学校ではもうその噂がぱあっと広がっていて、お前、万引したろうってからかわれて。もうそれで駄目になってしまったのね」
「子供の万引って、事件というものにしてはいけないのよね」
智子も中学の教師をしていた頃、何度か生徒の万引騒動にまきこまれたことがあった。彼女はその一つの体験を話した。
「私も一度警察に呼ばれたことがあるの。私のクラスの子だったから、私もまたひどく叱られると思い、おびえながらあの建物のなかに入っていったものよ。そうしたら警察の人は、その人は特別の人だったかもしれないけど、そんなに気にすることはありませんよってかえってなぐさめてくれるのね。万引というのは子供にとって柿泥棒のようなもんですよって。むかしの子供たちは、どこかの庭にたわわに熟している柿をこっそりもいだり、畑にしのびこんでスイカを盗んでみんなで食べたりした。まあそんな程度のものなんですなあって言うのよ。今の子は柿泥棒もスイカ泥棒もできなくてかわいそうだねって、逆に励まされて帰ってきたことがあったわ」
「そうなのね。そんな風に考えるべきなのね。でもそのときはそうじゃなかったの。まず親がはげしいショックをうけて、主人もはじめてあの子を叩くし、私もまた涙をぼろぼろ流して、こんなことするのはうちの子ではありません、こんな子に育てたおぼえはありませんって取り乱してしまって」
「でもそうなるわよね」
「あの子が生れたのは青梅だったの。主人は立川の高校の教師で、私も青梅の小学校にいたから、あの子が三年生のときまで、その青梅に住んでいたのね。あのあたりは、ちょっと歩けば、もう林のなか山のなかでしょう。虫博士とよばれるぐらい昆虫が好きで、学校の帰りはいつも道草して山のなか。そんな生活から、四年生のときに品川に転居して、こんどは都会の真っただなか。山も森も川もない、昆虫もいない生活に投げこまれて、彼はとまどったと思うの。そんなことが心の深いところに影響をあたえないわけはないのよ」
「それはあるかもしれないわね。いたるところ舗装されていて、昆虫なんていったらゴキブリだけの世界だもんね。ゴキブリは昆虫ではないか」
深刻な会話もそんなおちがついて、二人は笑うのだが、典子と会うたびに、智子は刺激を受けるのだった。外に出よう出ようとしている智子の夢が。それは大変なことだった。自分の人生のいわば革命のようなものだった。しかしなにか機が熟していくように思えるのだった。それはまた離婚という失意と虚脱のなかから、彼女はようやく自信を取り戻していったことでもあった。
その日智子は、叔父を食事に誘った。大森駅前のビルの七階にあるレストランに入った。
「今日は私のおごりですから」
「なんだかこわいね」
「例の計画をちょっとまとめてみたんですけど、みていただきたいんです」
智子は一度その構想を叔父に話したことがある。すると叔父は、もしそれを本気でやるならば、もっと具体的に、もっと詳細なプランを練り上げなければだめだよと言った。それはその通りだった。しかしそんな具体的なプランをつくったら、いよいよ決意をかためて、実行に踏みださねばならなくなる。そこまで自分を追いつめることが怖くて、ずるずると引きのばしていたのだが、その叔父の一言でふっ切れたのだ。
智子はこの仕事を、だれよりも叔父に理解してもらいたかった。離婚という事態になったとき、智子の給科をこっそりとあげてくれたり、それとなく智子と宏美の生活に気を配ってくれる。新しい事業をはじめるということは、叔父のそんなやさしい好意を裏切ることでもあった。これまでのように全時間を会社にささげることはできなくなる。
「ずいぶん枚数のあるレポートだな」
「ええ、考え出すとあれこれと構想がふくらんでいって」
「それだけ智ちゃんが、心にひめていたことだったんだろうね」
「ええ。そうなんですね。こぼれ落ちるみたいにあれこれと思いがあふれ出てきて」
それは新しい事業の設計図だった。どんな構想の下で活動が展開されていくのか。一年間のカリキュラムはどのように組まれるのか。塾の名前をなんとするのか。どのような規模でスタートさせるのか。部屋の配置や設備はどうするのか。どのようにして生徒を募集していくのか。そんななかで智子がもっとも力をいれて書いたのは、その経済的の基盤のプランだった。
それは妙子にも言われたことだった。事業を起こすにその基礎となるのはバランスシートだと。そのバランスシートがしっかりできていなければ、どんなに理想をならべたって絵にかいた餅だった。とりわけ経営者である叔父の目はそこにいくにちがいない。何人の生徒を集めればいいのか。採算点はどこにあるのか。将来の展望はどうなのか。そんな計算をすることにひどく抵抗をおぼえる。しかしそれはきちんと計算しておかねばならないことだった。
「当分経営は成り立たないと思いますけど、でも藤沢の自由広場では登録している生徒がいつも五十人はいるんですよ。登校拒否をする子供の数というのは、これから増えていくと思いますし、企業としても成り立つと思うんです」
智子は経済的計算のことをいやに強調するのだった。すると叔父は、
「智ちゃん、こういう仕事はむしろそういう計算をしてはいけないんじゃないのかね」
と言った。それは意外な言葉だった。
「もちろん情熱を持続していくのは、金だということはわかるよ。採算がとれなければ、どんな立派な理想も続かないということもわかるよ。しかしこれは企業活動じゃないんだから、むしろそんな計算をしないほうがいいとぼくは思うんだがね。その自由広場という塾だって、きっと計算ではじめたわけじゃないと思うんだ」
「そうなんです。やむにやまれずに」
「いまはなるほど採算がとれているだろうが、それは言わばいままでの労苦に神が与えたというのかな、計算してそうなったんじゃないと思うんだよ。きっとその谷岡さんという人が一家でその仕事をはじめたころは、ひたすら持ち出しばかりだったと思うよ。何年も何年も持ち出しだったと思うんだよ。金だけじゃない。谷岡さんたちがそこに投げこんだ時間だってエネルギーだって膨大なものだったはずだ」
「そうなんですね」
「結局、それは神の仕事なんだな」
「神の仕事ですか?」
「まあ、そういうと大袈裟になるかもしれないけど。とにかく智ちゃんがこれからやろうとしていることは、経済活動ではなく、むしろそういう領域に属している仕事なんだと思うね。そういう仕事に採算点なんていう経済的概念をもちこむべきじゃないんだよ。それはたぶん、限りなく与えていく仕事だ。お金とか物とかをせしめていく仕事ではなく、智ちゃんがもっているものを借しみなく与えていく仕事だと思うよ」
そうなのかと智子は思った。どうしてこの叔父に心ひかれていたかがあらためてわかるような思いだった。まるでホームレスのように音信不通の放浪を何年にも渡って続け、親戚一同のつまはじき者になっていたときも、ひとり智子だけはこの叔父に対してまったく別の見方をしていた。なにかそのことがわかるようだった。
「そうすれば智ちゃんが困ったとき、絶望のどん底にころげ落ちたとき、どこからともなく救いの手がのびてくるものなんだ。決してあきらめるなって。大丈夫だって。また続けていけって。それはまったく不思議なことだが、与えていれば、その姿勢を失っていなければ、かならず救いの手というか神の手はのびてくるものなんだ」
このとき智子は決心したのだ。はじめてみようと。明日からそのことに動いていこうと。不安は山ほどあった。なかなか踏み出せなかった。しかしいまこそその時なのだ。
「これでよくわかったよ、智ちゃんのやりたいことは。ぼくの会社から給科をせしめなければ生活できないわけだな。いいさ。しかしぼくの会社は与えることではなく、せしめるという原理で成り立っているから、給料をただでやるわけにはいかない。フレックスタイムという制度でも導入しようか。塾のはじまる前とか、夜でもいいよ。六時から九時までとかね。いま智ちゃんがこなしている量を、そんなシステムでやっていけば、いままでと同じ給科を出すよ」
智子は叔父だけにむけて書いたその企画書に、《ゼームス坂分校建設プラン》という表紙をつけて、数部のコピーをとると、その一冊をもってまず長太のもとをたずねた。
「どれどれ、これは、すごい企画書ですね」
といって長太は、ぱらぱらとページを繰ると、
「後でじっくりと読んでみます。しかしいよいよはじめるのですね」
「ええ、とうとうはじめます」
「分校か、分校とはいいですね」
「いろんな名前を考えたんですよ。長太さんに叱られるかもしれないと思ったけど、ゼームス坂という言葉がとても好きで、やっぱりそれを使うことにしました。同じ名前で迷惑でしょうけど」
「ああ、そんなことは全然かまいませんよ。この分校というのがいいですね。いまあちこちで分校が廃校になっているけど、むしろこれからは分校の時代にしなければいけないということですね」
「そうですね、分校の時代ですね」
「そうです。これからは分校の時代ですよ」
と長太はにこにこして言った。彼は本当にうれしそうだった。
「それで、いろいろとお願いしたいことがあるんですけど、まずこの分校の運営委員というものになっていただきたいんです」
「ああ、いいですよ。ぼくにできることでしたら」
「それともう一つ、半年とか一年をかけて連続授業をしてほしいんですよ」
「いいですね。ぼくもやりたいところですよ。なにか子供たちの人生と対決するような大きなテーマを考えておきますよ」
それから智子は、弘を児童館に訪ねた。
「これはすごい大作ですね」
と弘は言った。弘もざっと目を通すと、家でしっかりと読みますと言って、
「早速ですけど、パンフレットというか入学案内書みたいなものをつくって下さいよ」
「やっぱりそんなものが必要なんでしょうね」
「必要ですよ。絶対に必要です。活動していく理念とか、具体的にどう活動していくのとか、授業料はいくらなのかとか。そういうものがあったほうが説明しやすいですから」
「そうですね」
「いつ正式にスタートするんですか」
「来月にも家を改築しようと思っているんです。一階のスペースをワンフロアーにして、そこを活動の場にしょうと思って。その改築工事が終わったら、それとなくはじめてみたいんです。大袈裟にはじめるのではなく。だいいち子供たちの数だって少ないですし」
「いや、それはやっぱりきちんと開校式といったようなものをして、正式にスタートしたほうがいいと思いますよ」
「そうでしょうか」
「たとえ生徒が二、三人でも、ここに今日から新しい分校がはじまったと宣言することは大切なことだと思いますよ。なにも大袈裟にやれというのではなく、この分校の活動を応援する人たちが集まって、ささやかなパーティでも開いて、夢とか希望とかを語るような機会をつくるってことですね」
「そうですね。なんだかだんだん大切なことだと思いはじめました」
「しかし、とうとうはじめるのですね」
「不安がいっぱいですけど」
「いや、大丈夫ですよ。子供たちがついていますよ。子供たちが引っ張っていってくれますよ。ほんとうに子供たちの力ってすごいですよ。ぼくも子供団をはじめる時は不安でいっぱいでした。ほんとうにできるのだろうか。子供たちは毎週やってくるのだろうかって。でもはじまっていくとそんな不安も吹きとんでいきますね。もっとも、また別の不安やら悩みが次から次に生まれていきますけど」
こうして《ゼームス坂分校》をささえる仲間も一人また一人と増えていく。
智子の住んでいる土地は六十坪ほどあった。それは親から借りている土地だったが、このあたりではずいぶん贅沢な空間だった。その空間がなかったならば彼女はそこに分校をつくる活動などはじめなかっただろう。その土地があったから、夢がはぐくまれたということかもしれなかった。
その土地に斬新なデザインの建物が立っていた。智子たちが三年ほど前に建てたのだ。まだ新築同然だった。そこを改築するなんてまったくもったいないことだった。それに要する出費も痛かった。しかし子供たちがのびのびと活動するための空間はどうしても必要なのだ。その改築工事が終わる五月のはじめにゼームス坂分校の開校式ということになった。
その開校の前の日だった。その日は夜遅くまで、分校の支援者たちが智子の家に集まって、ケーキをつくったり、部屋の飾りつけをしたりと明日の準備にいそがしかった。その人たちも九時過ぎに帰っていった。あわただしかった一日からやっと解放された智子は、椅子にすわりこんでぼうっとしていると、宏美が玄関からかけこんでくると、ちょっと興奮した声で、
「お母さん、お母さん。お父さんがきたわよ」
玄関にいってみると、邦彦が客のように神妙に立っていた。彼がこの家を出ていってもう十か月がたっていた。
「なあに。そんなところに立って」
「いや、もうおれの家ではないからな。敷居が高いよ」
「そんなことないでしょう」
「もっと前にきたんだが、たてこんでいたようだから」
彼はすっかり変身した部屋をみて、
「まるで変わってしまったね」
「そうなの。あなたに話しておかなければいけないのかなってちらっと思ったけど、でもそんなことする必要はないって思ったり」
彼女のなかにあんなに濃く流れていた愛と僧しみの感情が、いまは嘘のように稀薄になっている。なにか久しぶりにあった友人のように軽い気持ちで話せるのだ。
「なにやら凄まじいかぎりだな」
部屋中が明日の開校式で使うもので埋められていた。児童館などから借りてきた椅子やらテーブル、それに自由広場から自動車で運ばれてきた何台ものギターやらドラムまでが。
「そうなの。明日開校式なのよ」
「そうだってね。前からなにかお祝いというものを考えていたんだけど、なににしていいかわからなかったからお金にしたよ」
と言ってのしの付いた包みをとりだした。
「まあ、それはうれしいわ」
彼女のなかに昔の感情があふれてきた。この人はやっぱり私たちのことが気になっていて、ずうっと見守っていたのだ。
「なにもできなくて申し訳なかった」
「なに言っているの。もう私たちは別の道を歩いているんでしょう」
「別れてみると、君がよくみえるよ。君のしたかったことがね」
「まだ先はぜんぜん見えないけど、でもなんだかやっていけそうだわ」
「そうだな。君ならやっていけるよ」
「どうなの? 新しい方とはうまくいっているの」
と彼女は話を変えたが、やっぱりその話題は彼女の心に傷にふれるのか、無理につくったようなぎこちない笑顔だった。
「知っているのか」
「知っているわよ。あなたの情報なんてあっちこっちから入ってくるんだから」
「これは驚いたな」
「その人と結婚するっていう噂さえ流れているわよ」
と彼女は冗談ぽく言ってみた。もうそんな冗談が言えるほど、邦彦との生活は過去のものだというように。
しかし宏美はちがった。彼女は二階の自分の部屋にとじこもったままだった。宏美といくら呼んでもおりてこなかった。
「宏美、お父さんが帰るわよ」
と呼びかけても出てこない。二階に呼びにいこうとすると、
「いいんだ。いいんだよ」
と邦彦はおしとどめた。そうなのだ。宏美にとってこの人は父親なのだ。智子には過去の人となっても、宏美には永遠に父親だ。宏美の複雑な心を思うと、智子はまたきりきりと胸が痛むのだった。
しかし感傷に沈みこんではいられない。明日はいよいよ開校するのだ。
その朝、宏美は智子よりも早くおきていた。宏美もなにやら気持ちがたかぶっているのだ。八時にはもう羽鳥典子が明彦をつれてきた。彼もまた今日から分校の生徒なのだ。それから長太や弘がやってきて、叔父も大森商事の社員をひきつれてやってきた。そして九時過ぎになると、藤沢の自由広場の谷岡たちが大勢子供たちを連れてやってきたのだ。なんだかすごい数になった。
開校式は四十畳ほどの広間となった部屋でおこなわれたが、とてもそこではおさまりきれずに、階段にも子供たちがすわり、庭にもずらりと椅子がならべられた。その式を盛り上げてくれたのが、自由広場からきた子供たちやそこから巣立った青年たちだった。歌をうたったり、ギターを奏でたりと、式典はすごく盛り上がっていった。
分校の第一回の生徒たち七人が、一人一人紹介されて拍手を浴びた。そして智子の挨拶する場面になった。
「……私がこんなことを言うのはとてもおかしいのですが、宏美が登校拒否というものをおこして、かえって私は人間として成長したように思えます。もしそんなことがおこらなかったら、ひたすら子供をけしかけて偏差値の高い学校にいれようとする、とってもいやらしい元教師の教育ママになっていたと思います。かつて教師だったときには決してみえなかったことが、学校にいけなくなったわが子を通して、そして自由広場で出会った谷岡先生や子供たちや青年たちを通してみえてくるのでした。離婚ということがあり、それはもっと苦しい立場にいる人たちには挫折などにはならないでしょうが、しかし私にはご飯も喉に通らない挫折で、たった一つの家庭さえ守り通せない私に、とてもこんな分校は実現できはしないと思っていましたが、いまこんなにたくさんのあたたかい人たちに見守られて分校はスタートします。これからまたいくつもの山場が待っていると思います。さらに険しい峠がまちかまえていることでしょう。でもいま私に与えられたこの七人の子供たちと、道なき道をくじけることなく歩いていきたいと思います………」
彼女はもっとたくさん言葉を考えていたのだが、その半分も言えなかった。胸にせまりくるものがたくさんよぎってきて。
こうして小さなゼームス坂分校はスタートしたのだった。
分校は九時からはじまることになっていた。一番遠くから通ってくるのは三年生の宮城洋子だった。上板橋から東上線で池袋にでて、そこで山手線に乗り換え品川にでる。そこからさらに京急線にのって新馬場でおりるのだ。一時間以上もかかる。小学三年生にしては大変な通学だった。しかしあの自由広場には静岡から通ってくる子もいた。
雨の日、遅れそうになったから走ってきたのだろうか。洋子ははあはあと荒い息をさせながらかけこんでくると、宏美に、
「いいな、宏美ちゃんは、おきたらもうそこが学校なんだから」
「あたしはみんながくる前に、ここの部屋を掃除するんだからね。これでも大変なのよ。そのへんのつらさわかってよね」
と宏美はやり返す。
そのころ智子の朝は早かった。五時半には家を出て大森商事に向かうのだ。都会はまだ眠りについている。がらんとしたビルに入り、がらんとした部屋で八時半まで仕事をする。そして家にもどってくるのは分校が開かれる九時十五分前だった。そんな生活をしていたから、宏美の出番が多かった。宏美は智子の助手のようなものだった。
《ゼームス分校》の活動の中心は、自由広場にならって子供たちを自由にさせることだった。いまの子供たちには沢山の負担がかかっている。それらをまず取りのぞくことだった。子供たちは分校にやってくるとぶらぶらとした時間を過ごす。仲間と話しこんだり、ふざけたり、マンガをみたり、外に遊びにでかけたり。およそ学校的活動ではない怠惰な時間だった。しかし怠楕な時間のなかにこそ沢山のことを思考している。そういう自由な時間をつくりだすことが分校の一つの大きな柱だった。
そしてもう一つの柱は連続授業だった。まず長太の「森は生きている」という授業がスタートした。月に一度子供たちを丹沢に連れていく。虫をつかめない子供たちが大半だった。野に茂る草や花などにまったく関心をよせなかった。しかし宏美がまんまと蝶の魅力におちたように、長太は次第に自然の営みのなかに子供たちをひきこんでいくのだ。
妙子には「世界料理探検」という授業を組み立ててもらった。世界の料理を作って食べるという活動だ。中国科理からはじめて、タイ料理、アフリカ料理、イタリア科理とぐるりと世界をかけまわる。この授業は子供たちをわくわくさせた。その授業の日は、みんな朝はやくからやってきて、妙子がくるのを待っているのだった。
雨の日だった。智子はその日、樫の木子供団の子供たちに圧倒的人気を博したというビデオをみんなでみることにした。とにかく子供たちを興奮させると弘は言うのだった。魚が飛んだと言って。
智子はまずそのビデオ鑑賞の解説をした。
「この開高というおじさんは、ほんとうは小説家なの。いっぱい本を書いているの。すごい本を書いている人だから、あなたたちが大人になったら一度読んでみるといいわね。このおじさんが、中国のハナス湖っていうところに釣りにいくわけ。なんでもそこには体長が二十メートルとも三十メートルともいわれる魚がいると言うのよ。いや、四十メートルは越えているという人もいるわけ。四十メートルといったら、どのくらいだと思う。この家から通りまであるわね」
子供たちは、そんな魚いるわけねえだろうとあざける。そこで智子は、
「でもとにかく、開高おじさんは何日もかけてその魚を釣りにいくわけよ。そこでみんなと賭をしたいわけ。果たしてはこのおじさん、何メートルの魚を釣るかという賭よ。まず四十メートル以上の魚が釣れるだろうと思う人はここにすわってよ」
そして以下三十メートル、二十メートル、十メートル、五メートル、一メートルとさげていって、最後に一匹も釣れないという場所もつくった。子供たちはこれはと思った場所にすわる。こうしてまず子供たちの興味と関心をひきつけておいてから、そのビデオを放映した。
最後のクライマックス、みんな呆然としていた。息をのむとはこのことだった。果たしてそのビデオが終わったあとの感想はすごい盛り上りだった。
「いんちきだ!」
「せこいよ!」
「ほら吹きだんしゃくだ!」
そのビデオはいつまでも子供たちに余韻をのこして、魚が飛んだ!というのが分校の流行語になってしまった。とりわけ中学一年生の正憲はいたく気に入ったようで、
「おばさん、あんなビデオ、もっとないの」
とか、
「開高さんって、どんな本書いているの」
とか言っていたが、とうとう、
「おばさん、あんな冒険というか探検、ぼくたちもやってみたいよ」
と言うようになった。弘が言うようにとうとうひっかかってきたと智子はほくそえんだ。
「そうね。どんな冒険をしょうか」
「まずさ、ぼくは考えるんだけど、自転車でどこまでも遠征するというのはどうかな」
「いいわね、それ。ぜったいにやってみようよ」
「おい、ちょっとみんなきてくれよ。冒険するんだ」
と正憲はみんなを呼んだ。
「みんなさ、自転車でどこまでいきたい」
「海までいきたい」
「日本一周」
「ばーか、そんなことできるわけがねえだろう」
「あら、どうして。そんなことわからないわよ」
「まず日本海だな」
「日本海までいったら、今度は北海道だよ」
「げえっ!」
「それが終わったらハナス湖だよ」
「でたよ」
「ハナス湖だよ」
そしてみんないっせいに、魚が飛んだ!の大合唱だった。
「そうね。みんなでまず近い所に目標をたてて、そこから征服していきましょうよ。そうすれば日本海だって、北海道だって、ハナス湖だっていけるわよ」
そんな話で急に分校は盛り上がっていった。それはまた智子も望むことだった。そんな活動をすれば、この分校のなかに一本の太い心棒といったものができるにちがいない。智子は今年の夏休み、自転車でほんとうに日本海までいってみようかと思った。そのためには子供たちの体力をつくらなければならない。長距離を走るたくましさだとか、交通事故から身を守る技術だとか。
その話はだんだん盛り上がっていったが、ひとり博康だけはこの話に興味をしめさなかった。というよりもこの子には、どんな話も興味がないかのようだった。いつも落着がなく、どんな遊びをしていてもすぐにあきて、またぷらぷらとさまようのだ。だから、いまや分校の中心となりつつある正憲に、
「おい、博康。ちゃんと話をきけよ。話しているときはちゃんとしてろよ」
とすごまれ、
「そうでしょう。みんなでお話ししているんでしょう」
と三年生の久美子にも叱られる。
仕方なく博康はみんなの横に座るのだが、その視線はちょこちょこと落着かない。そうしてものの五分もしないうちに、また立ち上がってうろうろしはじめる。
計画が煮つまっていった。まず毎週二日間、大井埠頭に出て練習をする。そして走る距離をどんどんのばしていって、みんなが遠征しても大丈夫だという力がついたら、多摩川を下って八王子まででかけるという計画を練り上げたのだ。
大井埠頭でのトレーニングがはじまった。子供たちは自転車の子だった。風を切ってぐんぐん走っていく。
「そんなに速くいったら追いつかないでしょう」
と遅れたかおりたちが叫ぶ。すると前を走っていく正憲がこたえる。
「おめえらが遅いからだろう」
「あんた中一でしょうが。ねえー」
「ねえー」
「そうか、そうか。おめえらコンパスが短けえからな」
「胴長のくせに。ねえー」
「ねえー」
「そうよ。胴長のくせに」
と女の子たちはやりかえす。
女の子よりさらに遅れるのが博康だった。のろのろと走る彼の自転車ははるか後方になってしまう。彼を見失うことが心配な智子は少し走っては待ち、少し走っては待つのだ。彼は太っている。その体全体がいかにも苦しげだ。さあ、がんばれと励ますと、
「ぼくは喘息だから」
とわざとぜえぜえさせながらこたえる。
正憲がたびたびものすごいスピードで引き返してきて、この博康に毒づくのだ。
「脂肪のかたまり! なんでもっと速く走れねえんだよ。お前のせいでみんなが遅れるんだろう。みんなに迷惑かけてんだぞ。甘ったれるんじゃねえよ。お前は自分にあまったれてんだよ」
あるときはまた、
「食っちゃ寝、食っちゃ寝してよ。だから太るんだろう。だからアブラミって言われんだろう。自分に負けてんだよ。みんながんばって走ってるのに、お前だけだらだらしてよ。三年生だって一生懸命走ってんだぞ。お前、小三に負けてんだぞ」
と正憲は容赦ないのだ。ときには博康をけとばしたりする。智子はちょっとひどいかなと思ったがまだ黙っていた。
正憲という子の半生はある意味では、受験一色に塗りつぶされていたと言ってもいいほどだった。すでに幼稚園のときから名高い私立小学校を受験させるために、そのための塾にいれられて受験勉強。その狭き門に入ることができないと、両親はすぐに家庭教師をつけて、さらに二つもの塾にいれて捲土重来の受験勉強。彼の六年間の小学校生活は受験一色だった。あちこち受けた私立中学の入学試験にもことごとく失敗、仕方なく公立の中学に入った。ところが入学式のあった翌日からもうその公立の中学にいけなくなった。
正憲が受験した私立中学というのはいずれも有名校だった。メガネをかけたその容姿はいかにも秀才というイメージがただよい、また秀才のもっている冷たいエゴイスチックな印象もあたえる。事実、正憲はあたりを馬鹿にしているような、なにか他の子供たちを見下しているような、お前たちと自分とはできが違うのだというような嫌な雰囲気をもっていて、そのいやらしさがときどき露骨に態度にあらわれるのだった。
その朝、正憲が、
「博康はどうしたの?」
と訊いてきた。
「まだきていないわね。連絡もないわ」
「あいつ、練習がいやなんだ」
その日もまた大井埠頭でのトレーニングがある日だった。正憲の言う通り、博康にはその活動がだんだん負担になっているのだった。子供たちの肩にかかる、さまざまな負担を取りのぞくというのが分校の一つの大きな柱だったが、この自転車活動はどうやら博康には、その目的に背くものかもしれなかった。そんな思いもあって、博康を非難する正憲をなだめようとすると、正憲が電話を貸してと言って、博康の家に電話をいれた。
その会話が智子の耳に入ってくる。
「どうして休むんだよ」
「お前、学校にもいってないでよ、家でぶらぶらしてるだけだろう。また食っちゃ寝、食っちゃ寝してるんだろう。どうして出てこないんだよ。お前のおかげでみんな日本海遠征ができなくなるだろう」
「それはわかるけどさ、そんなこと言ってたらさ、なんにもできないだろう。だんだんお前だって強くなったんだろう。喘息だってでなくなったんだろう」
「お前が抜けたら、この計画の意昧がなくなるんだよ。みんなでいくことに意義があんだろう。ここでがんばらなくちゃいけないんだろう」
「おれたちは博康をさ、日本海遠征につれていきたいんだよ。お前がここでだめになったら全部だめになるってことだろう」
智子はその正憲の電話でのやり取りを聞きながら、彼が博康をブタミだとかアブラミだとか、脂肪のかたまりとか毒づくのは、決していじめているということではないことに気づくのだ。そしてなにか正憲の学校にいけなくなった原因のようなものがわかりかけてくるのだった。
彼は小さい頃から勉強勉強で追いたてられてきた。いつも受験のことがのしかかっている生活だった。そんな生活が彼の性格をつくっていった、あるいはゆがめていったのではないかと思うのだった。正憲がしたかったのは受験勉強ではなく、遊ぶことではなかったのか。あの開高さんのビデオが彼の乾いた心にしみこんでいった、そして冒険の旅にでようとしきりに誘いかけたのは、彼はもともとそういうことがしたかったのではなかったのか。
受験勉強とはひたすらテストの点をあげていくことだった。受験とは他人よりも高い点を取って、一人でその狭き門に入ることだった。他人のことはどうでもいいのだ。他人のことなどにかかわっている余裕などないのだ。彼はずうっとそんな生活を強いられてきたにちがいなかった。彼がときおりみせる他人をあからさまに侮蔑する視線や、自分はお前たちとちがっているのだという奢りの根もまたそこにあったのではないのか。ほんとうの彼は他人のことを気づかうやさしい子ではなかったのか。彼は友情というものにはげしく飢えていたのではないのか。登校拒否というのは根が深いのだ。それはその子の全歴史にかかわることなのだと智子はあらためて思うのだった。
いよいよ八王子にでかける日になった。もしこのツーリングがうまくいけば、夏休みには信州あたりに、あるいはもっと距離をのばして日本海まで遠征ができるかもしれない。早朝分校をスタートすることにしていたから、その日は全員が智子の家に泊り込んだ。
朝五時に起床だった。食事をとって六時に出発。心配していた空にはまだ星がまたたいていた。みんな元気よく国道を走って多摩川にむかった。まだ眠りについている国道をひた走りに走る。心配した博康も今日はしっかりとついてくる。彼はみんなにしごかれ鍛えられてずいぶんたくましくなっていた。
多摩川に出て丸子橋を渡った。川の堤にでるとサイクリングロードが真っ直ぐに気持ちよく伸びている。この道をどこまでも走っていけばいいのだ。空がだんだん青くなっていく。鳥たちが霞のなかを飛翔している。すがすがしい風をうけて自転車隊はぐんぐん走っていく。
一番先頭を正憲が走る。彼はもう立派な分校遠征隊のリーダーだった。彼のうしろに明彦がぴったりとついている。そして宏美を中心にしてみどり、久美子、洋子が仲よく走っている。その群れからちょっとおくれて博康が走り、その後ろに智子がつけている。天気予報では雨か曇りと言っていたのに、彼らを祝福するかのように朝日が出てきた。朝日は霞のなかに遠慮がちにぽってりと小さくともった。
九時にはもう登戸を越え、矢野口の川原橋についていた。朝食を食べるのがはやかったので、だれもがもう腹ぺこだった。そこで昨夜おそく全員で握ったおにぎりを食べることにした。みんなすごい勢いで食べる。水筒の麦茶をごくごくと飲みながら。川原でちょっと遊んで出発。
多摩川の堤が切れる場所がある。そこで子供たちがエキサイトする。かつてこの冒険を実行したことがある長太が言っていた。その場所に分校遠征隊もとうとうたどりついたのだ。もうそこからは舗装された道が切れて、うねうねとした土がむきだしになった道だった。野生の草が子供たちの背を隠すぐらいに一面に繁っている。その道をがたがたと走っていくと、とうとう道が切れてしまった。多摩川の水が子供たちの足元に冷たそうに流れていた。
「ここだよ、魔の川渡りだよ」
と正憲が興奮して叫んでいた。みんなもぞくぞくしてくるようだった。長太が分校にきてその行程を説明したときに、その場所を魔の川渡りと命名したのだ。長太はもしこの川渡りに失敗すると命を落とすなどとおどかしていたが、ふだんの水位は子供の太腿程度らしい。
正憲はジーパンをまくりあげてみんなに言った。
「おれが調べてくるからな」
なんだか彼の目はぎらぎらしている。智子はいい目だなと思う。この子はほんとうにこういうことがしたかったのだ。ジーパンを濡らして川を渡り切り、また戻ってくると、正憲は遠征隊長の風格をみせて、
「たいしたことねえよ。みんな渡れるからよ。洋子はちょっと手伝ってやるからよ。みんなは自転車を押して渡れよ」
女の子たちは、こわごわとそろりそろりと渡っていったが、正憲は今度は自転車にのったまま渡ろうとした。小石にハンドルをとられて、ふらふらさせながら必死にペダルをこいでとうとう渡りきってしまった。そのあとに明彦が正憲をまねて渡ろうとしたが、川の半ばでばったりと倒れて、彼の半身がざんぷりと水のなか。衣服が水浸しだが、走っていればすぐに乾くのだった。
八王子にあっけないほど簡単に着いてしまった。駅前の広場についたのは十一時。ほぼ予定通りだった。駅前のレストランに入って、ジュースでみんなで乾杯した。
事件はその帰りにおこった。さあ、これからまたもとの道を、のんびりと帰りましょうと声をかけて帰路についた。未知なる遠征をやりとげた一行は、もうなにもかもわかっている帰途をぺちゃくちゃとおしゃべりしながら走っていった。ふと智子が前をよくたしかめると博康がいないのだ。智子は正憲に追いついて一行をストップさせた。
「どこで消えてしまったのかしら」
「あいつ、先頭についていたんだよね」
「そうよ。前を走っていたのよね」
「ぷらぷらしているからな、あいつ」
「ちょっとみんなで探してみましょう。私は駅までもどってくるわね。正憲くんはここにいて、ちゃんとみんなをみていてよ」
「おれも探しにいくよ。明彦と」
「そう。じゃあ、宏美、ここで待っていてね。動いちゃだめよ」
正憲と智子が二手に別れて博康を探しはじめた。智子は八王子の駅まで戻ってみたが、そこに彼の姿はなかった。よりによって博康が。これが正憲とか明彦だったら少しは安心できる。しかしあのふらふらと落着のない博康が。一番体力のない博康が。なんだか不安が急激にたかまっていくのだった。空はさらに曇り、天気予報通りに南がぱらぱらと降ってきた。
智子は泣きたくなってきた。もしものことがおこったらどうしよう。このまま博康がどこかに消えたままになったらどうしょう。せっかくスタートした分校もこれでおしまいだった。ぐるぐると黒い不安が募っていくばかりだった。あちこち走りまわってみたが、どこにも彼の姿はない。正憲たちが見つけたのかもしれないと思って、宏美たちのところにもどってきたが、博康の姿は消えたままだった。
正憲と明彦もまた暗い顔をして戻ってくる。そしてまたあっちを探してくるよと、正憲は明彦を連れて出かけていった。みんなしょんぼりしているが、そんななかで一番ショックをうけているのは正憲のようだった。なにか博康を見失ったのは自分の責任であるかのような受けとめかただった。いまは人を見下すような奢りたかぶった表情はどこにもない。智子は正憲に、痛みをしっかりとわかちあえる人間としての友情をはげしく感じるのだった。
智子もまた探しにでかけた。こうして時間はどんどんたっていく。南は次第に本格的になっていく。もう出発しなければ品川に着くのが夜になってしまう。決心しなければならなかった。しかしはぐれた博康が雨に打たれて泣いていると思うとなかなかふんぎりがつかなかった。
智子は電話ボックスに入って、救いを求めるように長太に電話をいれてみた。彼はいなかった。それではと弘に電話をいれると、
「いま八王子なのですが」
「ああ、着いたんですね」
「それが困ったことがおきて」
弘の声を聞くとすうっと不安が消えていくようだった。事情がわかると弘はさらに明るい声で、
「大丈夫ですよ。博康って五年生でしょう。口があるんだ。一人で帰ってきますよ」
「そうかしら」
「そうです。大丈夫です。子供を信じなさい」
「じゃあ、戻ったほうがいいかしら」
「そんなところで、あてもなくぐるぐるまわっていたってしょうがないでしょう。雨だって降っているんでしょう。早く戻ってくることですよ」
その電話で智子の決心がついた。智子はみんなを集めると、まるで自分に言いきかせるように言った。
「大丈夫よ。博くんはぜったいに一人で戻ってくるわよ。そうでしょう、そのために雨の日も風の日も練習をしてきたんだから。博くんは一人で帰ってくるわよ。口があるんだから。道がわからなくなったら、だれかにきいて帰ってくるわよ。博くんを信じましょうよ。博くんはぜったいにやってくれるわよ」
と言って、スタートを宣言した。
雨は次第に強くなっていく。カッパをみんな着ているが、もう下着までびっしょりと濡れているはずだった。風が前進をはばみ、自転車がすごく重い。子供たちは疲れているのか、ただ黙々とペダルをこいでいる。重い厚い雲が空を覆いまるで夜のようだった。
丸子橋を渡った。中原街道を走って、環状七号線を抜けた。もうあと十分で分校に着く。不安が高鳴っていく。智子たちは八王子でぐるぐると探しまわっていたから二時間ほどロスしている。だから博康がみんなを見失ったとき、一人でゼームス坂に走っていれば分校に着いているはずだった。しかしもし戻っていなかったら。そして今夜も戻ってこなかったら。智子の不安はいよいよ高まっていく。
大井町駅をこえてゼームス坂に出るころには、もうその不安は爆発せんばかりになっていた。あいつ、帰ってるかなと、帰ってるよなと、まるで自分を励ますようにしきりにもらす正憲の顔も青ざめていた。通りを折れて智子の家に出る通りに入った。智子の家がみえた。玄関から一人の男の子が飛び出しきた。博康だった。彼は帰っていたのだ。自転車隊からわあっと喚声があがった。
門の前ににこにこながら立っていた弘が、智子をいたわるように、
「やっぱり、でしょう。子供ってたくましいんですよ」
と言った。