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「火の用心」の夜回り隊に参加した

わが町にも、年末には拍子木の音とともに、「火の用心!」と夜回りの掛け声が聞こえてくる。かねてからこの夜回り隊に加わりたと思っていたが、昨年の暮れ、ぼくはこの念願を果たした。十名ほどの夜回り隊が、連続四日間にわたって、わが町のすみずみまで、拍子木を叩いて練り歩くのだ。カチン、カチンと打たれる乾いた鋭い音が、夜の静寂のなかを貫いていく。なにやらぼくには一年を締めくくる神聖な行事のように思えた。これで新しい年がはじまると。
日本の古くから伝えられたこの伝統行事に、最近はうるさいという非難の声が発せられるという。そんなことをやってなんの意味があるのかと。とんでもない非難だ。わが町の夜回り隊が出動する十五日前に、わが町から火災が発生している。各テレビ局はこの火災を次のように報じた。
 


12月15日に西中延3丁目で火災発生しました。焼け跡から1人が遺体で見つかりました。
きょう午前7時すぎ、東京・品川区の住宅街で「煙と焦げくさいにおいがしている」と110番通報がありました。
東京消防庁によりますと、火はおよそ2時間後に消し止められましたが、2階建ての住宅などあわせて3棟50平方メートルが焼けました。火元とみられる住宅から遺体が見つかっていて、警視庁は、この家に1人で暮らす50代の男性とみて身元の確認を急いでいます。

「火の用心」の夜回りの由来や歴史をちょっと転載してみよう。

「火の用心」という言葉を日本で初めて使ったのは、徳川家康の家臣であった本多作左衛門だといわれている。1575年、本多作左衛門は「長篠の戦い」と呼ばれる戦のさなかで、家で待つ妻に向けて次のような手紙を書いた。
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」──手紙を送ります。火の扱いには十分気を付けるように。そして、まだ幼い仙太郎の面倒を良く見て、馬をしっかりと世話してください。
このとき「火の用心」という言葉が使われた。その後、「火事と喧嘩は江戸の華」と呼ばれるほど、街中では大規模な火事が頻発するようになっていく。そのため、1648年にお触れが出されて夜回りがはじまったようだ。

なぜ夜に回っていくのか?
今も昔も、夕方から夜にかけて、夕飯の準備のために火を使う時間帯になる。火が油に引火するなど、火事の原因となることが起きる。また江戸時代にはタバコが流行したため、寝タバコが原因の火事が頻発した。江戸時代の住宅は木造で、街なかでは長屋が主流。どこかの家に火が付くと一気に燃え広がり、大火事になっていく。そこで大火事を防ぐために、夜番の人たちが拍子木を打って注意喚起をしながら、火の用心を伝えて回った。

なぜ拍子木は2回打つのか?
歌舞伎やお芝居で使われることでも馴染み深く、高く乾いた音がよく響く拍子木。夜回りのときに拍子木を「カン カン」と2回鳴らす理由には所説があり、一説には、神社で二礼二拍手一礼をすることにならっているといい、また一説には、中国の陰陽思想から来たもので、2回鳴らすことで陰と陽を表しているともいわれている。さらに、神に食事を供えるときに2回拍手をしたことからだという説もある。さまざまないわれがあるが、「火の用心」の掛け声とともに拍子木を「カン、カン」と打つと、町のなかに響きわたっていく。

現代こそ夜回り隊は必要だ
江戸時代から伝わってきたこの伝統行事に、かつては子供たちも参加していたのだ。子供たちからわが町は自分たちの手でまもるのだという自治の精神が育てられた。ところが最近はこの伝統行事は廃れる一方だ。火の用心と呼びかける声がうるさい、カチン、カチンとならされる拍子木で騒音を静かな夜にまき散らしている、もうこの行事はやめてくれと。しかしわが町にも一人暮らしの高齢者がどんどん増えていく。彼らに火の用心と伝えるメッセージがいよいよ必要なのだ。そして現在の火災原因の第一位は放火なのだ。夜回りは、不審者や放火などを抑止するための防犯パトロールも兼ねている。さらに地域のつながりを作りだす場となり、そしてわが町は自分たちの手で守るのだという自治の精神を鍛える場でもあるのだ。




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