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正義がいずれ勝利すると信じています。お母さん。  第三稿

ハロルド・G・ホフマン知事への最後の手紙(1936年3月31日)
あなたの卓越性:私の文章は私の命を失うことを恐れるためではなく、これは神の手の中にあり、それは神の意志です。私は喜んで行きます、それは私の途方もない苦しみの終わりを意味します。妻と小さな男の子のことを考えるだけで、それは私の心を壊しています。私は、この恐ろしい犯罪が解決されるまで、彼らは私の不公平な信念の重みに苦しまなければならないことを知っています。司法長官は、少なくとも死にかけている男を信じてください。事件は解決されていないので、リンドバーグ事件に別の死を加えるだけなので、調査してください。私はあなたの卓越性に感謝します、私の心の底から、そして神があなたを祝福することができます、丁重に、
ブルーノ・リチャード・ハウプトマン
 
最終声明(1936年4月3日)
私は私を理解していない世界での私の人生が終わったことをうれしく思います。まもなく私は主と一緒に家にいるので、私は無実の男を死にかけています。しかし、私の死は死刑を廃止する目的で役立つならば、そのような罰は状況証拠によってのみ届かれるので、私の死は無駄ではなかったと感じています。私は神と平和です。繰り返しますが、私は有罪判決を受けた犯罪に対する私の無実に抗議します。しかし、私は心の中で悪意や憎しみなしで死ぬ。キリストの愛は私の魂を満たし、私は彼の中で幸せです。
 
 
お母さん、
不正な証拠の最たるものは、でっちあげられた梯子の一件です。法廷で検察側はこう主張しました。梯子の材料となった木材のI部がぼくの家にあったものだ、と。そのうえに、屋根裏部屋の床から板をひっぺがして(半分だけは床に残しておいて)その半分を槹子の桟に使ったのだと言うのです。こんな虚偽の主張は恥知らずにもほどがあります。屋根裏の部屋に上がったのは、この家に越してきた最初の年にほんの二、三度という程度です(なんら不思議はないでしょう)。このときまで、屋根裏の床板が紛失していたかどうかすらさだかではありません。しかし、梯子に関していちばん奇妙なのは、これがまったく梯子とは言えないような代物だということです。木材をざっと組み立てただけのもので、梯子として使用に耐えたとはとても思えません。つくりがあまりにも雑で、どんなに腕の悪い大工でもこんなものはつくらないでしょう。検察官は、すなわちぼくが腕の悪い大工なのだと言いました。
ぽくは、それについて、大工頭を務めたこともしばしぱだと答えるにとどめました。親方はみなぼくを信頼してくれました。実際、新築の家に必要な材木をはじめとして、ぞの他の材料の手配をいっさい受け持ち、仕事全体をまかされることも多かったのです。家で何かをつくろうと思ったら、たいていの材料はガレージのもので間に合ったし、それでなくとも家からIブロックのところには材木屋がありました……
 お母さん、まだ書くことはありますが、それは考えるだけでも胸が悪くなることです。とにかく、裁判全体がそんな調子だったのですから。
お母さん、何もかも「でっちあげ」だったこの裁判のことを思うとき、ぼくがど・7感じるか、お母さんにもきっとわからないでしょう。ぼくはこんな場所に閉じこめられ、身に覚えのないことで苦しめられています。人びとは壁の向こうで笑い声をあげ、ぼくの苦しみを見て楽しみながらお祭り騒ぎをしています。ぼくは、わが子にさえ会えません。この世で何よりも大事に思っている最愛の息子にも会えないのです。おお神様1 この世の正義はどこにあるのでしょう。
 収監されて以来、潔白を主張するぼくに何とか罪を認めさせようとして、警察は暴力に訴えました。実際。動物の唐待を阻止するための団体はあるのに、人間を守るものはないのです。いったいこの世界にあるはずのヒューマニティはどこへ行ったのでしょう。
 お母さん、ここに書いたことはほんの一部にすぎません。すべてを書こうと思ったら、膨大な量になるでしょう。この件に関して恥ずぺき者がいるとしたら、それは検事総長その人です。ぼくはこの件に関して、良心に恥じる行ないはしていません。 正義がいずれ勝利をおさめると信じつつ、愛をこめて。お母さん

「もう私は大丈夫よ、もう二度と酒に溺れることはないわ、私の体の中からすっかり酒は消え去ってしまった、ああ、なんて水がおいしいの。朝のにおい、風が運んでくる森のにおい、草の香りがする、もう大丈夫よ、生命のリズムがもどってきたの、もう私はあなたの背中に背負っている十字架がしっかりと見えるわよ。あなたに立ち向かうだけの人間になったの。話してちょうだい。あなたの七十年の人生のドラマを。
アンナは磔刑の人生を、あふれて出くる泉水みたいに話してくれたの。朝のテラスで、森を散策しながら、昼さがりのポーチで、夜の居間でね、それは大きな大きなタペストリーを織るように、ドイツなまりの癖のある英語、でも朴訥で力のある言葉で、信念と誠実の言葉で。彼女は二十五歳のときドイツからアメリカに渡ってくる、古い大陸に生まれた、閉塞の社会に生きる若者たちにとって、アメリカは希望の大地だったわけよ、ニューヨークの18丁目六番地のイタリア人の経営するベーカリーに職を得て、いつの日か自分の店をもちたいっていう希望をいだいて働いていた彼女の前にあらわれたのが、彼女より一歳年下だけど、たくましい大工のハンプトマンと恋に落ち、二人は堅実だったる結港ンする前にし過程をもためとに資金をつくろうと懸命に働いて。それからあ二人はささやかな友人たちに真似ていて結婚した。そして子供も生まれ下て幸福なつくったの夢は自分のベーカリーをもつことだった、パン作りの技法を磨き、その店の開業資金をこつこつとためて、もうすぐその夢にふみだすというときに、突然、ハンプトマンは逮捕されるのよ、なんとアメリカ中を揺るがしたリンドバーク誘拐事件の犯人として。それはハンプトマンにとっても起用‥ふた根耳にの、殺人者として逮捕される、なんなんだ、これはいったいどういうことなんだと叫ぶハンプトン、次々に彼に罪状を刻みこまれて裁判にかける。ハンプトンはその裁判でも一貫して無罪を叫ぶが、陪審員は全員ハンプトンに有罪の判決を下す。そして1936年の四月三日、ハンプトンは刑務所で電気椅子に座らされ、二千ボルトの猛烈な電流で処刑されるのよ。そのときアンナは、三十八歳、それから三十年間、彼女は夫の無実をはらすための戦いをつづけている女性だった。

アンナが懸命に話するその磔刑の人生に耳を傾ける時、酒におぼれていた自分がなんて愚かな、腐った、ぼろきれみたいな人間だったのかって思ったわよ、心がふるえた、心がもうエンジンをかけたみたいにぶるぶるとふるえた、作家としての生命がめらめらと燃え上がってきた、作家としての立たねばならない、これこそ私が書かねばならない。アンナが編んだその大きなタペストリーを、作家ならば書き上げねばならない。でもここ壁が横たわっている大きな壁があった、私はフィクションの作家なのよ、フィクション作家は、タイプライターの前に座って、想像力で、自分のなかに育っていく物語を打ち込んでいけばいいのよ、しかしアンナのタペストリーを書くためには、それまでの私の文体を打ち壊さなければならない。私は作家としての文体をうちこわすという私自身の革命が必要だったのよ。そんなことで、その作家として、その仕事にとりかかるとば口でくずくずしているとき、とてもない本がベストセラーになって登場してきたの。それはトルーマン・カポーティがかいた「コールドブラッド」「冷血」という本、カポーティはもともとフィクションの作家だったよ。ところが彼は一大変革をとげるのよ、それはカンザス州のアイダホという小さな村で起こった一家四人が殺害された事件を、えがいたノンフィクション。彼はその事件を描くために徹底的な取材からスタートするの。そのアメリカのド田舎のアイダホまで何度も足を運び、その地に行われた裁判にも欠かさず出かけて、二人の殺人者にも何度もあって、彼らを収容した刑務所まで足をはこんで独房であったりしている、そうよ、ノンフィクションをかくには、まず足を使って取材からのスタートよ、

カポーティのコールドブラッドは、同時代に起きた事件、いわばリアルタイムでのノンフィクションだけど、リンドバーク事件は、なんと三十年も前に起こった事件だつた。その事件の全貌を知るには、ニュージャージ州のホープウェルのいまなお毅然として立っている広大なもとリンドバーグ邸にはいって内部までみているよ、そして幼いジョンが捨てられたの林の入り、ハンプトンかに処刑されて監獄まで足を運んでいるいるとのよ。裁判にお裁判コート、裁判所、彼が収容されていた、彼が処刑されたトレントンの州刑務所にまで足の運んで、その処刑所の都もみせいもらってきた。それから三十年も前に事件の記録を残されしていた新聞記事やら、裁判記録やら、弁護士がかき集めた資料から、彼らが書き損じタイプされた文書などにのこされていた。私にそれらの記録をまず読み始めていった。国立図書館に通って、膨大な当時の様々記録のそれと膨大に一万ぺー氏二及ぶ裁判記録など読み込んでいったわよ。それ書類だけじゃなくと、その時にその事件に直接かかわつた人から二採集しなければならないかった。

その当時の当たった捜査官に、刑事に、裁判長に、公聴していた人に、判決をくだした陪審員たちの、彼を処刑した看守たちに、刑務所の看守たち、新聞記者たち、親族とのもう大半が亡くなっているのだろう。大半が亡くなっている。追跡していくと大抵はなくなっているし、行方不明で見つけることはできない。でもその消息がわかれば、その人物が亡くなってい彼らの子供がいれば、孫がいればあいにか行かなければならい。現地に訪ねてもすでに移住している、アメリカ中に散らばっている彼らに取材するために何百通もの手紙を書いたり、電話をしたりして、その住所がわかったら、その人物の生きた足跡とどめるために、何十キロ、何百キロと車を飛ばして、裏通りの安ホテルにとまり、空振り、空振りの連続だけど、あきらめずに何度も足を運んで閉ざされたドアを私の取り組む本にその決定的な存在と決定的な輝きに与えるために、もえお金がどんどんなくなっていく、でも無実の罪を着せられて消えていったハンプトマンを明確に描くためのわたしは行動した。

そして何よりも私がその取材にもつとも大きな時間とお金をかけて取材したのがドイツへの二旅に戸のる。ハンプトマンとアンナが生まれて国世の。彼とにの意園差にいに底手に手ぞとに伊勢と仁井其世に戸死の稲其外のハンプと名に伊野と信三とに葉葉か手にいと間にと間に遺棄といるとの士の家族が残トレイの都に祈る河畔手製に戸のしるしに他の二と羽と仁井に解き度伊野とに二度もたいざとに五影ともにその帰途に吹きとどまっててハンプトマンの人間に知るために旅をしたのものにとい、こうして私はの変革よ、私自身の革命が必要だつたのよ。ノンフィクションを書くためには、それまでの私の文体を打ち壊さなければならない。私は作家としての文体を打ち壊して再創造しなけれならない。

その事件はこうよ。それは1932年3月1日、アメリカの片田舎、ニュージャージー州ホープウェルというところで起こった。そこにニューヨークから六十キロもはなてて、車をとばせば二時間あまりに人ささはなれた森の中に、リンドバークの邸宅が立っていた。その日、その邸宅にいたのは、リンドバーグの妻であるアンと、一歳半になったチャールズ・ジュニアのチャーリー、一歳半のリンドバーク家の執事と料理人のオリバーとエルシー・ホエトリー夫妻、そしてチャーリーの育児係としてベティ・ガウがその日の邸宅の住人だった。リンドバーグはニューヨークにいる。

その日の一家の行動はこうだった。二。ホープウエルの人里離れた森の中にたつの邸宅には、あなたたちは週末だけ住むことになっていたけど、そのときはジュニアが風邪でその邸宅にとどまっていた。その日その邸宅にいたのは、執事と料理係をつとめるオリバー・ホエトリーとエルシー・ホエトリー夫妻、育児係にベティ・ガウ、そしてあなたとジュニア。チャールズはニューヨークから電話をかけてきて八時過ぎに帰ると電話をいれてきた。夕刻になると、育児係のベティがジュニアを二階の子ども部屋につれていき、エルシー・ホエトリーが調理した食事を食べさせる。アンのまたその部屋はやってきて、彼の裸に膏薬ぬりこんだり、おしめわしたり、パジャマをきせたりして、ジュニアをベッドに寝かせると、あなたは一階におりて、あなたに部屋にはいって書きかけ執筆する。ベティはジュニアの衣類を洗濯しておわると、ホエトリー夫妻と夕食をとって、食後また二階にあがてジュニアがぐっすりねむつていることに確認して、彼女の部屋にもどる。

八時二十五分ころ、リンドバーグが帰宅したことにつげる車のホーンがなった。アン、ホエールズ夫妻、そしてベティで出迎えをうけると、チャールズは食堂に入りチャールズとアンはふたり夕食をとる。そのとき、突然、外でなにか大きな音がしたぞ、なんだとアンに声をかけたが、アンにはそんな音は何も聞こえなかった。食後にチャールズは風呂にはいって、そのあと自分の書斎に入ってた。アンは二階の寝室で読みかけの本を手にしてその本を読んでいた。ベティはなんでも新しいドレスができたというのでエルシー・ホエールの部屋にいた。そして十時になった。ベティ・ガウはジュニアに様子を見届けるためにジュニアの部屋にはいった。それがその日の育児係に最後の仕事になる、ところがジュニアの部屋にはいり、ベッドをみるとぐっすりと眠りに落ちているはずのジュニアがいない。ベティはアンの部屋をいって、ジュニア坊ははここですかとたずねると、あら、ベッドにいないの、チャールズがつれだしてにじゃないと、いやねもこんな夜更けにといった。またチャールズといたずらはじめたとのそのときすおもわない。ベティは階下におりて、チャールズの書斎をどありとい、ジュニアはここです、たずると、なにかベッド二いなとの叫ぶと二階に駆け上がった、ジュニアの部屋にはいる。そこにアンがやってくると、アンは「ねえ、あなた、ジュニアをどこに隠したの、いやね、こんな夜更けに、そんな声を発したの、数週間前に、チャールズはジュニアの回かの納戸二かくして、ジュニアがいにとくなとつ大騒ぎさせたのことがあったからが、しかしそのときチャールズとさけんだ。「大変だ、奴らに誘拐されたのだ」と叫ぶと、そこにきたホエールに警察に電話をいれてりと命じると、階下にいとのそこライフルを弾丸を詰めこなで、まねでその誘拐犯人津の追跡するかのよう外とびだして。アンも、ベティも、ホエールともいったいにどいうことにとのとの帰途に採り苗に都の園広壮邸宅を探し回ってけどリンドバークはもとにくると舞らに、弁護士の電話を入れと二ね祖といそれかに警察の出に都イの問いかけた。それかに深夜にかかわら手に警察のなんて二位も二来るとにとじのてやつとに大騒ぎなっていった。

 この誘拐されたその当日の現場を再現してみると、その誘拐がどのよう行われていったのか。私はそれらの膨大なる資料から、それは三十年後に精査していくとねそれはまつたくいくつものけっていに奇妙にありえない状況証拠というものそれがいかにとにと器用なにく其君よウニくわしに厳密にぼうだいとにらのにがゆうかいし私はこれが当日の発生したリンドバーグ誘拐事件にこうしてはしまった。田和年に葉のその裁判記録からのさらにと当時の新聞に記事からある園投資にこうして其冬至になんとに大変に世紀誘拐事件として大事件としてアメリカどころか世界中に一大ニュースとして報道されていく事件の発端だつに戸のるるそといそりに四国名にボヴとにサリと伊野ね総警察そして期にいくつもの私に独自の視点からその事件の検証をして展開させたのよ、それと科学的という世に何もかもに常識から水戸に専門家がてもいと言うのとよりに極一般人に画上位気らとりね園化が聞く手皿の科が着てにとに全だいちいに、それはリンドバークのジュニアは窓から二階の窓化にはしごかがかっていてる残されたはしご化連れだとにいにとき連れ出されているの野祖ね園と間に言い゛イどうして外部のまどかにと間に施錠にしてるとのの里二の二的にかに戸の稲の利根それそれと鍵化殻にいにとに何とかがらないようなっていたのよ。どうして犯人意にとジュニアと部屋がだとがい゛に人間にわかれといのといの。

そしてそこにと火さにと非常に杣とに家庭の都の迫といる其園とどうとのそれとに胃ともに戸意味とにの士も土井に戸底とに彼とに刃付けとにされとのにいる祖といことにね佐野外に指紋にと二て伊野其底と篠派のに的行くと知れに伊野との底に戸いるとの。のといるうり。外今日は品とにとのしく園と差トレイ目のと清家とに苑さ能登帰途にい貴誌区に辞意に葉の都の彼とに苑といもとに苑外対第二とのそのとこさに戸のミサ蔬菜に戸の市区園とその都の底に帰途にい貴誌串の時脅迫に戸伊野の土佐濃さにと米の死にイメとに伊野祖とのる。次第に私とにその主体はそれは゛を苑追及のそしたら、アンナはまず私に読んでもらいたいことがあると言って、三枚の黄ばんだ紙片を渡されたのよ。アンナの夫、ハンプトンが獄中からアンナにあてた手紙、処刑される直前に書かれた遺書といった手紙、わたしはその全文を筆写して、書斎の壁に貼って、書くことに行き詰ったとき、ハンプトンを見失いそうになったとき、圧倒的な現実に壁に押しつぶされそうになったとき、自分の無力さにおびえるとき、いつもこの手紙を読むのよ。

(レリースは壁に貼られたタイプ用紙をはがす)、

綴りがいたるところに間違っている。文章だって文法だってちょっとおかしい。しかしそんなことはどうでもいいのよ、ハンプトンは彼の生命と言葉をこの手紙のなかに刻み込んでいるの、アメリカの罪を告発する手紙、アメリカをよみがえらせる手紙、アメリカに希望に与える手紙。(手紙を読み上げる)。

愛するアニー
 もう二週間近く、きみと会っていない。だから、手紙を書こうと思う。母国語で手紙を書くことが許されていれば、きみにもっとたくさんの手紙を送れるだろうに。だが、アニー、きみも知ってのとおり、ぼくは自分の言いたいこと、心のなかで感じていることを、うまく書きあらわせないんだ。
 このまえ面会に来たとき、きみは坊やを連れてきたいと言ったね。愛するアニー、ぼくがどんなに坊やに会いたいかわかっているだろう。ぼくの頭にあるのは坊やときみのことだけだ。だが、ぼくたちの坊や、ぼくたちの太陽をこの壁の内側に連れてきてはいけない。坊やは自分がどこにいるのか、どんな状況でぽくに会ったのか、きっとわからないだろうが、それでも、ぼくはそうすべきではないと思う。
ぼくがいやだと言えるかぎり、ぽくたちの坊やはこの壁のなかに入れるぺきではない。だから、ぼくは家に帰れる日まで待たなければならない。
 愛するアニー、それだけでなく、ぼくがどんな気持になるかわかってくれるだろう。きみと坊や、ぼくにとってこの世のすべてとも思えるきみたちが去っていくのを見ながら、ぼくはこの恐ろしい場所にとどまっていなければならない。それは気が狂いそうになるほど辛いことだ。これまで、多くの苦しみに耐えてきたが、それもいつかは終わるだろう。ぽくが子どもに会いたがらないことを世間はあれこれ取り沙汰していると、きみは言った。もちろん、世間では、ぼくが狂人だということになっているんだろう。これまで人びとがぼくを理解したり、理解しようと努めたりしたことがあったろうか?生い立ちの記を読んでくれたら、きっと少しはましになるだろう。

 愛するアニー、ぼくはまた家に帰り、幸せな家庭生活をつづけられると心から信じている。いまのところ、ここではきみと坊やの写真を眺めて我慢しているほかはない。毎晩、七時から八時のあいだ。坊やときみにキスしている。以前、ぼくたちがそうしていたように、ブラームスの美しい子守り歌‐-rもう坊やがベッドに入る時間だと思う。心のなかで家族を思うこと、それは誰もぼくから取り上げることのできないものの一つだ。ぞれだけが残されたものであり、けっして奪うことはできない。卜ほみと坊やに注ぐぼくの愛情と、神への信仰には、何人も手出しができない。この二つの至高のものは、状況証拠で奪うことなどできないのだ。愛するアニー、ぼくが自由の身になって家に帰れるはずだと確信をもって言うとき、その底には神への信頼がある。神さまは、ぼくが人びとの手で殺されるのを見すごしにはしないだろう。いまのぼくは子どもが手にしたボールのようで、彼らはそれをもてあそぼうとしている。だが。この恥辱はぼくではなく、州当局者の上に置かれるだろう。なぜなら、ひたすら自分の思惑だけを押し通し、法の正義を無視して仕事を進める一団の人びとにたいして、州当局は責めを負うべきだからだ。ついでの動機かもしれないが、彼らにとって、この裁判に勝って政治的地位という梯子を一段昇るのは、正義よりももっと大事なことなのだ。したがって、この誤った判決は、神の前でもアメリカ国民の前でも、けっして容認されないだろう。

 愛するアニー、面会にくるたびにきみは、ばくが満足そうにしているのを不思議がろ。それは、きみに会えた嬉しさばかりでなく、いつ白日か真実が明らかになり、人びとがばく刀無実な認めろときがノ゛`丶ることを心力なかで確かめているので、静かな窿びが湧いてくるからだ。だから、愛するアニー、い支はともに祈り、ばくたちの坊やの両rを組ませて呻に祈ろう。呻はわれらとともにいろ。扎うじき、ぼくらはともに邨らせろ廴うに々り、幸せと愛に包支れろだろう。きみのリチャード坊やにばくから刀牛又か・。それに、できれぼ、ちっと写真がほし卜。不正な証拠の最たるものは、でっちあげられた梯子の一件です。
 お母さん、まだ書くことはありますが、それは考えるだけでも胸が悪くなることです。とにかく、裁判全体がそんな調子だったのですから。お母さん、何もかも「でっちあげ」だったこの裁判のことを思うとき、ぼくがど・7感じるか、お母さんにもきっとわからないでしょう。ぼくはこんな場所に閉じこめられ、身に覚えのないことで苦しめられています。人びとは壁の向こうで笑い声をあげ、ぼくの苦しみを見て楽しみながらお祭り騒ぎをしています。ぼくは、わが子にさえ会えません。この世で何よりも大事に思っている最愛の息子にも会えないのです。おお神様1 この世の正義はどこにあるのでしょう。

 収監されて以来、潔白を主張するぼくに何とか罪を認めさせようとして、警察は暴力に訴えました。実際。動物の唐待を阻止するための団体はあるのに、人間を守るものはないのです。いったいこの世界にあるはずのヒューマニティはどこへ行ったのでしょう。
 お母さん、ここに書いたことはほんの一部にすぎません。すべてを書こうと思ったら、膨大な量になるでしょう。この件に関して恥ずぺき者がいるとしたら、それは検事総長その人です。ぼくはこの件に関して、良心に恥じる行ないはしていません。 正義がいずれ勝利をおさめると信じつつ、愛をこめて。お母さん
 死刑囚の産みの毋として、また神を敬う家庭で彼t育てた母として、こう申し上げることが許されるならば、やはり、わたくしはブルーノが罪を犯したとは信じられません。外部の状況は異論の余地なく彼の有罪を指し示しているのかもしれません。それにもかかわらず、わたくしにとってつねに理想的な息子であり、少年時代には父親の秘蔵っ子だったブルーノが、あれほど残忍な犯罪を実行できるとはとても思えず、かならず真犯人がほかにいることと確信しております。

 これまで、刑務所の独房からわたくしあてに送られてきた多くの手紙では。プルーノはくりかえし無実を叫んでおります。そればかりでなく、わたくしと個人的には知り合いでない大勢の方々が、公判の過程を綿密にたどり、わたくしに手紙をくださいました。それらの方々によれば、検察側はただやみくもにブルーノを死刑にしたいのだというのです。さもなければ、検察は。この殺人事件の真相を明らかにできなかったという汚名を永遠に負うことになるからだ、と。

 全能の神は、その無限の叡知をもって、あなたがたに恩赦ならびに減刑の特権をお授けになりました。どうか、震する息子ブルーノーハウプトマンのためにその特権をお使いください。息子が電気椅子による不名誉な死をこうむるかと思うと、わたくしの胸は張り裂けんばかりです。知事閣下に心からお願い申し上げます。一人の人間を状況証拠のみにもとづいて取りかえしのつかない刑罰に処することは、当局の’威信にかけても杵してはならないことでございます。

「この手紙は……〈読みとばしながら〉足音が近づいてくるが……トルーマンという男がやってきて卑劣な取引をもちかけてきたんだ。すべてを告白しろって、すべてを告白したら、お前の罪は減刑される。敵の罠だと思ったが、しかしこんな罠をかけたってぼくの主張には少しも揺るがない。ぼくは誘拐していない、誘拐していないのにどうして子供を殺すなんてことができるんだ。しかし敵はささやく。そうだ、お前はしていない、私もそう思っている、だからこそお前を救い出したいんだ、お前を電気椅子から救いだせる唯一の方法なんだ。もうすぐそこまで処刑の日が迫っている。いまはもうこの手を使わなければ、お前を救いだせない。これが最後の手なんだ。だから、まず告白する。嘘でもいいから自分はやりましたと告白する、そう嘘の証言をして、ひとます処刑台から逃れる、そしてそこからまた戦い開始すればいいだろう、トルーマンってやつはこういってぼくに迫ってきた。

しかしぼくはきっぱりと蜜のような甘い汁を垂らして仕掛けてきた罠を断った。そんな話にのれるわけはない。もしそんなことを認めれば、ぼくの命を救われたとしても、君も息子も、殺人者の妻、殺人者の息子として生きなければならないことなるんだ。ジョージはどこにいっても、あいつの親父のリンドバークの息子を誘拐して殺して卑劣な殺人者というレッテルを貼られて生きなければならない。ぼくの子供がそんなふうに生きていくなんて、考えただけでもぼくはぞっとするのだ。そんな嘘を証言して、ぼくの命が救われたとして、ジョージは殺人者の子供だということになるんだ。ぼくが処刑されたら、ジョージは殺人者の息子だというレッテルが貼られる。彼はそのレッテルを全身に張り付けられてこれから生きていかねばならない。しかし君がぼくをどこまで信じているように、どこまでぼくを信じて生きていくように、ジョージもまたおれを信じてほしいのだ。

おやじは無罪だった、おやじは無実の罪を着せられて処刑されたのだということを、息子にしっかりと伝えてほしい。そうでなくとも彼はこれからつらい人生を歩いていく。おやじは殺人者だというレッテルを貼られて生きていかなければならないんだ。それを思うとおれの心は張り裂けるばかりだ。おれたちは希望を抱いてアメリカに渡ってきた。アメリカはおれたちの希望の大地だった。しかしいまこの国は間違った裁判で、間違った判決を下して、一人の無実の人間に処刑台に送りこもうとしている。おれはそのことを後世に伝えるために犠牲になるということかもしれない。アメリカは必ず気づく、間違った、いまおれにいな。こかもしれない。に二のこの希望のこのことに気づくべきなのだ。気づかなければならならないんだ。おれはそのことを後世に伝えたい。おれの生命は、二度と誤った判決を下さないという一つの大きな転機となる、この間違った裁判が、新しい国の裁判を作りかえる、その土台となったその礎石となったとされる日がくるかかもしれない。そのことをアメリカに、アメリカ人に伝えるために、ぼくは処刑台に立つことになるのかもしれいない、ぼくは誇りをもって死んでいけることができることになるという」

 アンナは感情をおさえきれなかった。「だめです。できません!」ホフマンによれば、彼女はこう言ったという。「私の夫はあとほんの数時間しか生きていられません。どうして、そんなことができるでしょうI私まで、夫が子どもを殺したにちがいないと信じていると思わせるなんて。罪のない人間を金目当てで死に迫いやろうとするあの瞳つきの証人たちを、私までが信じていると、リチャードに思わせるなんて1とんでもない!けっして、そんなことはできません。たとえリチャードの生命を歉うためでも、私にはできません」

 ホフマンは、何とか説得しようとしたが。ついには無駄だとさとった。「あの人は本当のことを話しているのです」と、アンナは言った。「それ以上、何が言えるでしょう?もちろん瞭をついて自分が犯人だと言えば、生命が助かるかもしれません。けれども、いずれは、その言葉が真実でなかったとわかるでしりう。だめです。私は’I‘そして、いつの日にかブービーも‐-たとえ生命を救うためであれ、彼がそのような罪を犯したと嘘をついたとしたら、ずっと後悔しつづけるにちがいありません」

 ホフマンは、アンナーハウプトマンとは初対面であだが、知事はやっと自発的に行動する党悟を決めた。まだ答の出ていない疑問がたくさん残っており、ハウプトマンが翌日の夜に処刑されてしまえぱ、それらは解決されぬままになるかもしれなかった。他のいくつかの州の知事と違って、彼には死刑齔終身刑に減刑する権限がなかった。だが、処刑を九十日まで延期することはできた。たしかに、刑の宣告から六ヵ月以上は執行猶予を認められないこととなっていたのだが、それを過ぎても延期が認められた例は過去に少なくとも十四件はあったのだ。ホフマンは三十日間の執行猶予を命じることに決めたが、公表する前にそのことをウィレンツに知らせた。そしてウィレンツは、ホフマンに調査の時間を十分に与えるため(検事総長は調査の結果を恐れていなかった)、三十日の期限が終わるまで処刑の期日を決定しないようトレンチャードに要請すると言った。処刑期日は、それを決定した日から四週間以上、八週間以内とされていたので、ハウプトマンの生命には最低二ヵ月の猶予が与えられたことになる。

 

 

 

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