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俺の絶望の深さがわかったでしょう

西部邁さん    鈴木英生

保守派の評論家で
社会経済学者、西部邁さん(78)が
21日、東京都大田区の多摩川で入水し亡くなった。

その10日前、
毎日新聞の取材を受けた際に
「数週間後には(自分は)生きていない」。
神経痛で痛む腕をかばいながら、
近年繰り返していた自らの自殺の話をした。
しかし語りは
あくまでも冷静。
取材後は午前4時過ぎまで
バーをはしごする元気さをみせていた。

西部さんは、
知的、道徳的な人間の不完全さを強調し、
歴史的な慣習と
そこから導かれる伝統の意義を説いてきた。

今回の取材は
新刊「保守の真髄(しんずい)」についてのインタビュー。
11日夜、
東京都内のホテルのバーで1時間半、
同書で展開した保守論と死について持論を語った。

西部さんにとっての
保守は、保守政治や「伝統文化」の擁護
を直接は意味しない。
「慣習の奥底に示唆されている
歴史の知恵を
自分の力で発見し、
自分が納得できる間は
それを仮に伝統とみなす。
そうした論陣を張るのが
保守というもの」だという。
そこから、
新しいものにばかり飛びつきたがる
戦後日本への懐疑、
米国的なものの否定などが
紡ぎ出されてきた。
伝統を
「危機において
バランスを取るための知恵」とも。

大学では
学生運動で逮捕起訴され、
仲間の死にも遭遇している。
人生における危機に
直面してきたからこそ、
保守思想を唱えだしたことを
うかがわせた。
 
他方、
「自分の死は、
急に考えると怖い。
『死生論』を書いた
二十数年前から、
繰り返し考えるうちに、
段々と平気になった」。

2000年に刊行された
「私の死亡記事」(文芸春秋編)にも、
精神的な衰えが
見通されたら
自殺すると
予期した文章を寄せている。
新刊では、
病院で死に行く際の
心身の苦しみを
身近な人に見せるよりも、
「自裁死」を選ぶことを示唆した。
「連れ合いがいる間は
なかなか死ねないものだ」とも。

8年間看病した
妻の満智子さんは
14年に死去している。

一般論として
「今の病院がイノベーションのおかげで
痛みをとれるようになったのは確か」
と病院での死を否定せず、
「やりたいことをやり尽くしたら
死ねばいいと簡単には言えない」
と断りを入れたうえで、
自らは「自裁死がいい」と話していた。

憲法改正への動きなど、
表面は「保守派」に勢いがある昨今。
だが、
西部さんの絶望してきた
日本の対米追従や大衆社会状況は変わらない。
「絶望に立つ希望」を唱え、
約200冊の本を出し続けた西部さんは、
自らの体調や年齢を考え、
長年検討してきた死を選んだのだと思う。
 
取材中、
ポケットからものを取り出すのに苦労し、
グラスは両手で持ち上げた。
とはいえ、
早朝まで弁舌はよどみなく、
学生時代やテレビ出演での
思い出などを話し続けた。
そのさまに、
当面は本当に自殺することはないと
記者は思った。
自らの主張とかけ離れた現代の言論、
社会状況に絶望しながらも、
数十年の間、
絶えず発言を続けてきた西部さん。

バーからバーへと夜道を歩きながら、
「俺の絶望の深さが分かったでしょう」
とつぶやいていたのが印象的だった。


 

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