人間の内部を描く肖像画
人物画にはトローニーという手法がある。モデルを写し撮ったようにキャンバスに描くのではなく、フィクションという技法で描きあげていく人物画である。私の描くポートレイトがいつもトローニーになっていくのは、それなりの技量を持っているからではなく、そのモデルを描き込もうとすればするほど似ても似つかないポートレイトになっていく。そんな絵を私は気取ってトローニーなどといっているのだが、しかし私の側に立っていうならば、それが私の絵であり、私の思想であり、私のマチュエールだった。私はその人物の内部を描きたいという強い意思があるのだ。
ダビンチの「モナリザ」もフェルメールの「首飾りの少女」もトローニーである。もし私がダビンチやフェルメールほどの技量をもっていたら、あるいは大きな悲劇に耐えて歩いているその漁師の像を、キャンバスのなかでとらえることができるかもしれない。しかし私の力ではとらえることができない。そこでここでもちょっと気取って、これまでだれも試みたことがなかった手法の開拓に乗り出すことにしたのだ。絵画はその絵画がすべてであって、その絵画につけられるタイトルは、いわば商店の看板あるいは家屋の表札といったものである。《A氏の肖像》とか《М嬢》とか《旅愁》とか《冬の日》とか《旅にでる若者》とかいったタイトルがつけられる。私はこの定石を打ち破って長大なタイトルをつけることにしたのだ。ときには一千字、さらに二千字も越える長大なタイトルをその絵に貼り付けることにしたのは、言葉と絵を交響させたいと思うのだ。
例えばこの絵は、玉城村の岩手幸子さんを描いた像だ。幸子さんは、避難所で支給される昼食の半分を残して紙袋にいれ、いまだ行方のわからぬ夫に食べてもらうために毎日火の見櫓が立っていた台座の上に立つ。右手に傘を、左手には紙袋をぶら下げている。彼女が呆然と見やっているのは壊滅した村である。一面瓦礫が散乱した彼方に海が望見できる。その海のどんよりと厚い重い雲が垂れこめている。そんな幸子さんの後ろ姿をF五〇号のキャンバスに描き込んだ。この絵に私は次のようなタイトルをつけたのだ。
《岩手幸子さんの夫、健治さんは消防団の団長だった。その日、健治さんは火の見櫓に駆けあがり、半鐘を叩きつづけた。みんな逃げろ、みんな、裏山に逃げろ、大津波がやってくるぞ! 幸子さんも近所の人々を先導して裏山に逃げた。避難した裏山から火の見櫓が見える。夫の叩く半鐘が聞こえてくる。津波は防潮堤を乗り越えて村を襲撃してきた。あらゆるものをバリバリと音をたてて砕き飲み込んで遡上していく。圧倒的な海流がどんどん攻め込み、火の見櫓も巻き込んでいく。津波はどんどんせり上がり、ああ、どんどんせり上がり、ああ、展望台まで、ああ、火の見櫓も飲み込まれる! 彼女はそこで意識を失った。夫はいまだ発見されていない。避難所で支給される食事を彼女はいつも半分残す。そして残した半分の食事を夫に食べさせようと紙袋にいれて、毎日火の見櫓の立っていた台座にやってくるのだ》
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