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ロナルド・キーンさんへの手紙
日本人の戦争──作家の日記を読む
著名な東京大学仏文科教授渡辺一夫は、壊滅的な大空襲があった翌日、三月十一日から日記をつけ始めた。すでに述べたように渡辺が日記の多くをフランス語で書いたのはそうしなければ自分の政府批判が憲兵に読まれてしまうかもしれないと恐れたからだった。日記にはイタリア語、ラテン語その他の語句が散見されるが、いずれも悲劇的な文句である。日記の表紙には一つの引用句”Lasciate ogni speranxa"と”Mane,Thece, Phar&s!!"が書かれている。前者はダンテ「神曲」地獄篇で地獄の入口に記された「一切の望みを棄てよ」。後者は旧約聖書「ダニエル書」からの一節で、神を恐れぬ行為に対して王国が衰退滅亡する運命を予言した三語。これ以上に前途を悲観している言葉は、なかなか思いつかない。
渡辺の日記は適切にも、以前に日記をつけていたにも拘らず、なぜそれを放棄したかという話から始まる。それは、自分の死後に残る人々にとって関心のあることを自分が何も書けないと思ったからだった。それが、なぜ再び日記をつけ始めようとしているのか。渡辺は、次のように説明する。
今日、僕はあらためて日記の筆をとることにした。気持が変ったのは、筆をとらしめるに足る説得的な理由、いささかの希望を見出したからである。ここに記す些細な、あるいは無惨な出来事、心覚えや感想は、わが第二の人生において確実に役立ってくれよう。僕が再生し、復讐するその時に。こういう言葉が、ごく自然に出て来たが、それほど決意は固く、かつ熟慮の上ということだ。
三月九日の夜間爆撃におって、懐しきわが「本郷」界隈は壌滅した。思い出も夢も、すべては無惨に粉砕された。試練につぐ試練を耐えぬかねばならぬ。カルヴァリオの丘における「かの人」の絶望に、常に思いを致すこと。かの人に比すれば、僕なぞは低俗にして怯懦、名もなき匹夫にすぎぬ。かの人の苦悩に比すれば、今の試練なぞ無に等しい。耐えぬくこと!
Mater dolorosa!
中には、たとえば次のように当時の作家の日記として驚くべき一節がある。
〇 もし竹槍を取ることを強要されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし決してアメリカ人は殺さぬ。進んで捕虜になろう。
〇 国民のorgueil〔高慢〕を増長せしめた人々を呪ふ。すべての不幸はこれに発する。
渡辺のラブレーの翻訳は、印刷所が空爆を受けた時には印刷製本が完了したばかりだった。その一切が、焼けた。そのあとに渡辺が記した唯一の感想は、「ラブレーは遂に日本に無縁なのだらう」。この諦念を述べたあと、渡辺は次のように記す。
日本は何も慾しない、恐ろしく無慾である。立派な世界人を産む国民となることすら放棄してゐる。滅び去ること。これが唯一の希望であり念願らしい。
同じ日、渡辺は書いている。
知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。
三月十六日。渡辺は宮原晃一郎から手紙をもらった。宮原によれば、自分の時代はすでに終わり、今や文化再建運動の準備をする時であり、渡辺の世代の人々が青年たちをリードしなければならないという。しかし、こういう考え方をする老年の世代は皆無に近かった。渡辺は書く。
老父は一徹だ。祖国のおかれた憂慮すべき危機的な状態などは、まったく判っていない。何年か前と同じに、必勝の信念を抱きつつ無為に日を送っているように見える。
確実な勝利を約束する古いスローガンは、どこに行ってもまだ目に入った。渡辺はフローベールの「紋切型辞典」にならって、これらのスローガンを茶化している。たとえば「八紘一宇」は「己の言ふことをきかぬと殺すぞ焼くぞ」、「一億特攻隊」は[文句を言わず全員死んでしまえ]、そして「玉砕」は「やけっぱちの死人」だった。
重慶で作製された戦争犯罪者のリストが外務省にあると聞いた渡辺は、「連中は我々のため、民衆のために死ぬ気はない。奴らは我々を巻添えにして死のうと思っているし、力と策略により我々を破滅の淵に引ずりこまんとしている」と書く。しかし、軍部に対するこうした反感の中にあって、渡辺は将来への希望をまったく捨てたわけではなかった、「早き死を願ふ。召集されて弾丸に当ること。しかし生きることがどの位困難かを思ふと闘志が涌いて来る」。
繰り返して渡辺が書いているのは、国民に対する日本の指導者層の冷酷さについてだった。「サイパンの病院。玉砕前患者に手榴弾を渡す。若干の捕虜を生ず。硫黄島の場合には医者が患者を毒殺することに決したりと」
当時の日記の筆者の多くと違って、渡辺はヒットラーに同情を抱かなかった。渡辺は言う、「ヒトラー、ムッソリーニ、ゲッベルスが死んだ。苦しんでいる人類にとって、何たる喜び! いずれも怪物だった」
渡辺は、東京に残るかどうか迷っていた。六月一日、「二十五日(五月)の大爆撃で、しばらく東京を離れるつもりになった」と書いている。しかし、そのあと自問する、「必要な本もなしに、無為の日を送るのか? 何一つ仕事もせずに、生きていられるのか?」。もし東京に残れば、週一回の教授会に出席することになる。それは、死の危険に身をさらすこと以外の何物でもなかった。しかし渡辺はまさに崩壊しようとしている祖国、存続しなければならない祖国のために生き延びることが自分の義務であると思う。「知識人としては無に等しい僕でも、将来の日本にはきっと役立つ。ひどい過ちをおかし、その償いをしている今の日本を唾棄憎悪しているからだ」
空襲のさなか、数々の疑念に苫しみながらも渡辺は日記を書き続けた。「この小さなノートを残さねばならない。あらゆる日本人に読んでもらわねばならない。この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる一人の若い男が、この危機にあってどんな気持で生きたかが、これを読めばわかるからだ」
かなりの熟慮の末に渡辺は東京を離れ、すでに家族が疎開している新潟県の燕へ向かう。家族と再会して嬉しかったが、ここ燕では、いや日本では、これまでやってきたことが無に帰してしまう、と渡辺は思う。日本はアメリカ軍に包囲され、まさに自殺しようとしているのだった。
人類愛や和合、知的国際協力を説いて何になるか? 自殺しようとしている者に向って悔悛や贖罪を説いてみたところで。何の意味があるか?
我国は死ぬべきだ。その上で生れ変らねばならぬ。
何千何万という民家が、そして男も女も子供も一緒に、焼かれ破壊された。夜、空は赤々と照り、昼、空は暗黒となった。東京攻囲戦はすでに始まっている。
戦争とは何か、軍国主義とは何か、狂信の徒に牛耳られた政治とは何か、今こそすべての日本人は真にそれを悟らねばならない。
しかし無念なことに、真実は徐々にしかその全貌を露わにしない。地方では未だに最後の勝利を信じている。目覚めの時よ、早く米れ! 朝よ、早く来れ!
時々、理性的な人間であることに渡辺は疲れを覚えたかもしれない。エドモン・ド・ゴンクールの日記で一八七一年のパリ籠城の記述を読み、渡辺は次のように書く。パリ市民たちは飢え、傷つき、追いつめられていたとはいえ、一九四五年の日本人よりも遥かに幸せだということがわかる。ゴンクールは国を愛し、友人たちの敗北主義を呪っているが、パリ籠城の最後の日記に、こう書いた、「フランス人であるということに疲れを覚える。芸術家が、破壊的な群衆の愚劣な騒動やたわけた発作に四六時中妨げられることなく、落着いて物思うことのできる国、そんな祖国を探しに行きたいなどと、ぼんやり考える」──確かに、この一節は、戦争のこの段階における渡辺の気持を代弁していたに違いない。
又従弟が『私は最後までやりますよ!……たとえ死んでもね!……ここまで来てしまった以上、戦い続けるほかないでしょう……最後までね! と言った、と渡辺は書いている。この叫びは日本人一般の気持を表すものとして、渡辺の心を強く打った。これに対して渡辺が下した判断は、「悲劇的な愚かさ!」ということだった。そして付け加える、「この叫びが一たび行動に移ると、国を無に帰するだろう」。
中でも戦争に対する渡辺の最も忌憚のない意見の一つが書かれたのは、日本兵がなお沖縄諸島で抵抗を続けている時だった。
しかし遅かれ早かれ敗北するだろう。沖縄制圧後の米軍がどうでるか、我々はどうするか? 徹底的な爆撃、これに対し我々はやけくその抵抗。軍人どもは至聖の御稜威を勝手に利用し、我々を殺人と自滅に駆り立てている。
僕は初めからこの戦争を否認してきた。こんなものは聖戦でもなければ正義の戦いでもない。我が帝国主義的資本主義のやってのけた大勝負にすぎぬ。当然資本家はこれを是認し、無自覚な軍国主義者は何とか大義名分を見つけようとしたのだ。
渡辺は左であれ右であれ、いかなる「主義」にも我慢がならなかった。それは、幻燈によって映し出された不合理な虚構、つまり各国が自国の立場を正当化するために作り上げた嘘に過ぎないと考えていた。渡辺は絶えず戦争に反対したが、自分自身が変わったことを知っていた。「戦前のアメリカニズムに対する浅薄な熱狂を常に恐れ且つ呪ってゐた己は開戦直前の恐るべき排外思想をも呪って来た」
渡辺の日記は、思わず引用したくなる素晴らしい一節に満ちている。中には新聞に報道された出来事について語ったものもあれば、読んでいる本について語っている一節もある。しかし大半は、戦争の断末魔の苦しみの中で煩悶する日本の苦難に関する渡辺の考察である。フランス語が読める憲兵がこの日記を発見していたとしたら。渡辺の身に何が起こっていただろうか。
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