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ゲルニカの旗  4


 私がざっくりとカッターで切り取られた教科書をもって、宮田先生の前に立ったのは、宮田先生の苦しみといったものが、私の胸に共鳴するからだった。私の苦しみと、宮田先生の苦しみは通じ合うのだ。だから荒廃を深めていくクラスを、一緒に立て直したいというメッセージをこめていたのだ。しかし私の報告をうけた宮田先生がとった行動は最悪だった。
 先生はその教科書をもって教室に戻ると、
「これを見ろ。倉田の教科書がざっくりと切り取られている。だれなんだ、こんなことをやったのは。カッターナイフを持ちこんだやつがやったんだ。そうに決まってる。いまから持ち物検査をする。机の上に持ち物を全部のせろ。いまから一人一人調べていくからな」
 その検査で一時間がつぶれた。しかしカッターナイフなどどこからもでてこなかった。その日の授業が終わったとき、直美が私を呼びにきた。
「ちょっと、体育館にこいって」
「だれがこいって言うわけ」
「いいから、こいよ。うちら、あんたに話しがあるんだから」

 私はくるものがきたと思った。宮田先生のあのやり方は、当然こういう結末になると思った。このクラスには悪童六人組と名のる男子のグループが生まれていた。それに対抗するかのように、女子にも花の六人組というグループがつくられていたが、直美はそのグループの一人だった。私は彼女たちと戦おうと思った。彼女たちとここで決着をつけようと思った。
 直美は私を体育館のうらに連れていった。そこに花の六人組が私を待っていた。そのグループの中心にいる真理が私に言った。
「あんたの顔をみると、うちら、むかつくんだよ。いまでもクラス委員づらしてよ。宮田なんかにチクりやがって。宮田にチクれば犯人がわかると思ってたのかよ」
 と真理は目を剥いて、ぞっとするような声で言った。クラスでみせたことのない顔と声だった。小学校五年生でも人を恐喝させる顔がつくれるのかと思った。きっと彼女たちもこの対決に必死だったと思う。私はクラスに立っているもう一つの柱だった。決して彼女たちに屈伏しない柱だった。だからすごく私の存在が邪魔だったのだ。その邪魔なものを倒すときがきたのだ。私は負けるものかと真理をにらみかえした。
「宮田なんかにチクんねえで、うちらのところにきたら、ちゃんと教えてやったのによ。あんた、だれがやったか知りてえんだろう」
「もうそれはいいよ。私にはわかってんだから」
「なにがわかってんだよ。てめえ、本当にわかってんのかよ」
「いいよ。あんたなんかに教えてもらいたくないから」
「教えてやるって言ってるんだろうが。だれがやったか知りてえんだろう。洋子、教えてやんなよ」
 洋子もその仲間だった。洋子は五年生になるとぐんぐんと変わり、すぐにめそめそと泣き出す子供ではなくなっていた。花の六人組のメンバーになったからだろうか。彼女もまた真理のように目にすごみをきかせ、ぞっとするような声で、
「あたしがやったんだよ。わかるかよ。あたしがやったの」
 それは思いもよらぬ言葉だった。洋子が私を抹殺しようとするいじめのネットワークに加わっているのは、花の六人組の一員になっているからだと思っていた。仲間はずれにされたくないから仕方なくそのネットワークに加わっているのだと。
「あんたってさ、あたしをいつもかばってきたけどさ、ものすごく迷惑だったんだよ。クラス委員づらしてさ、人を見下してさ、あたしなんかと人間のできがちがうんだなんて面してさ。あたしをかばってさ、いじめをやめないとか言ってさ、あたしを助けたつもりなんだろうけど、あたしはすごく迷惑してたんだよ。あんたのおかげで、よけいにいじめられたし、よけいに自分がみじめなっていったしさ」
 仲間の声が、鋭く洋子に飛んだ。
「やれよ、洋子。佐織が憎いんだろう」
「やれ、やれ、洋子。やっちまえよ」
「ひっぱたけよ、そいつを」
 洋子の平手が、いきなりに私の頬にとんできた。無防備だった私は、その平手をまともにくらい一瞬くらっとなり、意識を失うばかりだった。彼女はさらに足でけりつけてきた。洋子の激しい攻撃で足がもつれと尻もちをつくと、花の六人組が一斉に転がった私に蹴りこんできた。

 そのとき私の受けたショックはとても大きかった。彼女たちの暴力も大きなショックだったが、一番大きな衝撃は、教科書を切り裂いたのは洋子であり、彼女はずうっと私を憎んでいたという告白だった。私はいつも洋子をかばってきた。いつも洋子の友達であろうとしてきた。しかしそれは彼女にとって、敵意と憎しみを深めていくことだったのか。彼女だけではない。クラスのすべの子供たちにとって、私という存在はそういう子供だったのか。クラスの一人一人に、敵意と憎しみを育てていく存在だった。だからみんなが、私を無視するのか。だから私を消し去ろうとするのか。そのころの私は、自分の存在にぐらぐらと揺れていたのだ。私は生きている意味などない存在ではないのかと。
 私に対する攻撃はさらに続いた。その日、美術の授業を終えて、美術室から戻ってくると、私のランドセルがなくなっていた。私はみんなに訊いた。
「私のランドセル、だれか知らない。ねえ、私のランドセル知らない」
 しかしだれもがさあっと私から逃げ出す。私への無視は続いていたのだ。それでも私は一人一人にとりすがるように必死になってたずね歩いた。
「ねえ、私のランドセル知らない。私のランドセル知らない」
 そのとき窓側の席で、ひそひそとささやきあっている声が聞こえた。それはわざと、私に聞こえるように、ささやいているのだ。
「プールに、変な物が、浮いてるらしいよ」
「ヘえ、プールに」
 プールに飛んでいくと、赤いランドセルがプールのなかほどに浮かんでいた。それは三年前に亡くなった祖母に買ってもらったランドセルだった。いまではおばあちゃんの形見にもなっていた。そのランドセルをだれかがプールに投げ込んだのだ。

 私は悔しさと怒りと悲しみのないまじった涙をぱろぽろ流して、呆然と立ち尽くしていると、プールの向こう側に、小野君が現れた。小野君は黙ってそのカバンを見ていたが、やがてセーターを脱ぎ、上半身裸になった。もう十一月だった。水は冷たい。まさかと思ったが、彼はざぶんとプールに飛びこむと、ランドセルのところに泳いでいって、そのランドセルを引きながら私のところまで泳いできた。私の目はうるうると涙でくもり、ありがとうと言った。そして、濡れたズボンのことを言うと、小野君は明るく笑って、
「いいから、いいから」
 と言って走り去っていった。
 それまで私は、小野君とほとんど言葉を交わしたことはなかった。クラスの私への無視は依然として続いていたのだ。しかし私と小野君は言葉をかわさなくても、なにか深い心の交流というものがあったのだ。私たちは互いに目で語り合っているようなところがあった。というのは小野君もまたいじめの標的にされ、それは私なんか比較にならないばかりにいじめられていたのだ。
 そんな小野君とときおり目があう。そのとき私は小野君の視線に、いじめなんかに負けるなよ、おれもがんばるからといったそんなメッセージをいつも感じていたのだ。私が不登校にもならず学校にいけたのは、そんな彼の励ましがあったからでもあった。私よりも激しいいじめにあっている小野君ががんばっているのだ。私もまた負けてはならないのだと。

 とうとう私のクラスが崩壊する日がやってきた。

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《草の葉ライブラリー》版 高尾五郎著「ゲルニカの旗」

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