久々に彼女を作ったけれど、男にとって交際のコスパは、可もなく不可もなくにすぎない件。
もう幾ばくかの年月を経て、女性と異なるエクストリームハードモードの恋愛ゲームに付き合うだけの余裕を持って過ごしてきた日々の中で、ついに砂漠の中の一滴の水を獲得したものの、それは蜃気楼の中の砂ひとつまみだったかもしれない、そんな愛と幻想のお話をしたいと思う。
リア充もしくは陽キャと形容される男性は、ここまで苦労して得られているものに価値があると考えているのか、ある意味すごいという事実を明らかにしたいと思う。
つまりは、アラサー終盤から30代後半男性にとっては、もはや恋愛というものは、得も損もしないような、株価でいうとボラティリティを増やすだけのものなのかもしれないという話である。そこでできた思い出は、結婚するパートナーでない限りは、死に際に墓場に持っていくちょっとした思い出資産になるのかもしれない。
しかしながら、孤高に過ごす生活を多大に犠牲にしてようやく成立する男女交際には、ぼっち生活と比べてそこまでの価値はないような気がしている。
LINEで毎日親密なメッセージを送らないと、不機嫌になり面倒くさい
常に複数の男性からアプローチを受け続けることが日常と化した女性という性別とは異なり、男性は人生もキャリアも主体的に選択して行動しなければ何も始まらない。それも、ぼっち生活で自分以外の他人と頻繁にコミュニケーションをとることに慣れておらず、それを楽しいとも思わない人間にとって、特定の一名とでも頻繁に連絡を取り合う義務のようなものが生まれるというのは、それだけで苦痛である。
ラインで愛だの恋だの呟かないとそれとなく関係が冷めて、冷たいだのマメじゃないだの言われるのも、なんだか微妙な気がしてくる。それは好きではないということなのかもしれないが、どんな女でも(建前だとしても)セフレはもちろん嫌だという。そりゃそうかもしれないが、だからと言ってワンナイトがダメという訳でもないのである。モテる男アピールと会話術により、女性心理を学びコントロールする達人の域に達すれば、そこまでのコストは逓減できる。
しかしながら、そういう男女の肉欲の駆け引きも、実体験の上に積み重ねて理解した男と、人工的に勉強して理解した男性とは異なるのである。
だから人工的に体験なしにレベル上げをした男の場合は、教科書どうりの、ガイドライン通りの対応をしないと機嫌を損ねることが知識としてわかっている分、常に知識や少ない経験のリソースをフル活動してしまう分、面倒になってしまう。
つまり、異性と親友以上の関係になるということは、束縛が発生するということだ。
結婚生活で自虐風自慢がありふれているのが最たる例である。それを学ぶために恋愛するということが重要なのだろう。ましてや経験人数が少ない中で結婚するデメリットはここにある。異性との長期的親密な関係の生活が向いている男と向いてない男がいるはずである。男は特にリア充や陽キャでない、個人主義的な男度の高い男ならば、群れて生きる存在ではないからだ。
そういう人間も、実体験をかなり努力して手に入れた後で、それでもやはり俺には異性との親密な付き合いに向いていないと思う時に、人生のリソースから無駄な男女交際を切ることができる。
女の唯一の価値だと思っていた交尾すら、タイミングがシビアで面倒
そもそも、男性に強制的に課せられた性欲を発散しようと、ホテルや部屋に誘う、送る行為すら非常に面倒である。通常の女であれば必ず拒絶モーションが入る。ホテル前グダと言われる駆け引きである。
ここまで考慮しないと、初回ゴールにすら辿り着けない。
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ディナーや終電の時間を考慮し、明日仕事か否かを考慮し、今日の自分の体調と、相手の体調(生理か否かも含む)を考慮し、ホテルが空いているか否かを考慮し、Stayで払えるだけの金を持っているか考慮し(今はクレジットでも余裕だが)、ホテルに強引に連れていく勇気や覚悟やリスク管理と、入った後の押し倒しやハグやキスのタイミングや、部屋の照明の好みや、シャワー浴びるか否かの考慮、相手の本気度や好き嫌いの有無、ワンナイトかキープかの判断、今日息子が元気が出るかどうかの判断、終わった後どうするか…etc
ここまでしてようやく到達し、交際開始ルートに突入したとする。そうすると、今度は逆に定期的におせっせしないと逆に不機嫌で責められることになる。つまりは交際前のフリー状態では、自由恋愛や自由風俗が可能だったのだが、交際を口約束だとしても曲がりなりにも開始してしまったら、特定の相手としかおせっせできず、他の女と連絡を取ったりディナーや飲み会に行くことも見つかるとキレられる。つまりは人生の中でいちいち怒られることが一つ増えてしまうのである。
逆にここまで冷淡な考え方をする人間にとっては、男女交際は不向きなのかもしれないのだが、隠してうまく複数アプローチおせっせし続ける生活にハマることも相当に労力を使うこととなる。人生は有限で他の行動ができなくなってしまう。将来の偉大な業績や成果を残すためには、女にばかり使う時間なんてない。ちなみに女は自分に時間を使っていれば男が勝手にリソースを提供してくるので、将来をあまり考える必要はなく、婚姻のみ男物件探しだけ頑張れば人生はイージーモードである。女の人生に関しては、親ガチャもかなり影響しているように思う。
年齢が上がっても複数交尾に人生を賭けるナンパ師やチャラ男のままで、将来の不安はないのだろうか
女性の場合は勝手に「どしたん、話聞こか?」と言ってくる男が群がってくるのでいちいち思考して主体的に生活する必要はないが、男性の場合は通常そんなことはないので、男性にとって重要な仕事やビジネスやキャリアを犠牲にしてまで、尻軽女を探してワンナイト複数おせっせ生活にのめり込むことは、年齢が上がるごとに、筆者にとってはかなり意味不明な挙動となる。そして両立するほど器用になるセンスはない。
少なくとも思考して行動して金を消費して人生時間のリソースの大半を割くのは、死ぬほど疲れるだけではないか。子作りして子供を産ませない限りは、単なる依存症や、時間のロスが大きすぎる。
男性は自らの市場価値を高め、スキルやキャリアを上げ続けて、金持ちロードに乗ることが人生の成功そのものであり、女は主に人生の後半ほど金にひっついてくるのだから、将来の金を生まない行為は無駄のように思える。
交際前も後も、圧倒的格下でない限り男が多く負担することが前提なのが納得いかない
そもそも論として、結局交際前も後も、男性の方が多く金銭的負担をすることが求められること自体が、やはり筆者自身の価値観とは根本的に合わない。
公正な経済的負担を考えるならば、所得や資産に応じた負担をするのがベターなのではないかと思ってしまう。
もちろん、一流の成功者や富裕層にはまず与える精神があるとは思う、それを本能的に女は考慮しているというよりは、子育てリソースを提供できるか、資産を間接的に判断していると言えるのだが、それでもそのために多く金銭負担すること自体が気に入らないのである。これも結局は自分のために金銭的リソースを使いたいというところや、本当には選んだパートナーが好きではないのかもしれない。
自分にしかコストをかけていない人生を過ごしてきた人間が、突然特定の他人に多くリソースを割くようになったことによる損失が大きいように感じているのかもしれない。その損失を回収するためには、男性は子供を産んでもらうとか愛情を受け取るぐらいしかない気がしている。しかしながら、女性からたとえ好きと思われたとしても、それを女性から金銭的に表現されることは誕生日や記念日でもない限りは少ない。そこまで経済的コスト負担に冷淡な人間は、やはり男性交際のみならず、人間交際すら向いていないのかもしれないのであった。
本当に好きな異性と付き合うなんて人間はどれだけ存在するのだろうか。
起業するのも、会社を選ぶのも、パートナーを選ぶのも、住む家を決めるのも、車を選ぶのも、全ては現実的妥協と判断のセンスやタイミングによって決まってしまう。それらは全て運命のようなもので、たった一度の人生においては、どれでも過去となって考えれば正解になるのかもしれない。選択の精度を上げることは常に必要となるが。男も女も、30代を超えてくると、無限には選択肢がないことに気づき、スタミナが減ってきていることに気づき、それに負けずに戦う必要が生じ、現実を見るようになるのかもしれない。
夏も終わりに近づき、台風が頻発するようになり、秋の訪れを感じる中で、もう一度ライフキャリアについて再考してみようと思う。。(ご意見もお待ちしてます)