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毎日問うべきは、”今日一日は自分の人生全体にとって価値があるか否か”

他人のために生きることに慣れてしまった人間は、永遠に自分本位の人生に軌道修正できないまま、一生を終えてしまう。
他人に賞賛されることを求めることは全て、他人の奴隷となり、他人に搾取されることと同義である。
それを目指すと自分のための人生じゃなくなってしまう。

受験エリートの挫折はここにある。
大学受験まで他人の、親や周囲や先生の奴隷となり搾取されて利用されてきた人生。
それに気づけないと、一生自分を満たすための人生を忘れてしまう。
他人のニーズを満たす人生は、どこまで頑張っても養分でしかない。
会社で言うと、企業の売り上げや成績を上げるのは、経営者の養分でしかない。
一方、株式保有は会社のためでもあるが、己の金融資産増加のためでもある。

自分のニーズを満たすことに、他人のニーズが一致して始めて利害関係が一致するのに、それを人生の最初期から他人のニーズを満たし続けて、歯車や奴隷マインドで一生を終えることの虚しさは測り知れない。

人生はどう足掻いても一度きりである。
他人のニーズを満たすことで生きる人生は学校時代で卒業だ。
社会人になったら全て他人のニーズを満たすように見えて自分のニーズを満たしていないと虚無だ。
明日会社が滅んでも上司が滅んでも日本が滅んでも、今日一日が自分の人生全体にとって価値があるか否かを問うべきである。
そしてもしそれが違うのなら、今すぐ他のことに人生の価値を見出そう。

僕が誰にも邪魔されずに毎日一杯の茶を飲めるなら、今すぐ全世界が滅んでもいい

映画『fight club』の1シーンである。ブラピがコンビニバイト役に言う。
「目指した職業は何だ?」
ーーー獣医になりたかった
「六週間後に獣医の勉強をしてなきゃ、ブッ殺す」
まさにこれである。

見下してる訳ではないが、やはり大衆チェーン店の店員の質は一般的に低いように思える。学歴や親の階層も低いだろう、最低賃金スレスレで接客業をしている若者たちに過度な期待をするのも野暮であるが、気遣いや配慮のレベルが低いゆえにこうした職業にしかつけないか、学生なのだろう。

さて、自分の本当に手に入れたい空間・時間・環境・天職を見つけたら、あとはそれに向かって出来る限りの時間を割いていく必要があろう。

それは1年後かもしれないし5年後かもしれないし10年後かもしれない。

しかし、それを出来るだけ思い描いた形で叶えない限り、自分の人生の最期に後悔することになりはしないか。

筆者も医学部受験はもう諦めたが、それに近い分野に辿り着き、今やもっとやりたいことを探求し始めている。
それは、他人(国家、社会、世間、親、家族、親戚、友人、恋人、同僚、上司、部下、立法、司法、行政etc)のニーズではない。

まず先立つのが自分のためのニーズ。
そこにオーバーラップする場合はそれでも構わないが、まず自分のニーズが先立つ。
むしろ、他者のニーズの全てを否定しても構わない。
綺麗なものでなくとも良いし、今世間で知られていなかったり認められていないものでも構わない。過ぎ去った価値でもいいし、これから来る、来そうな価値でも構わない。

自分だけに必要な、自分が心の底から満足できるものに打ち震える時間こそが、人生の至宝ではないのか。
まさに、そのために生き、そのために死にたいと思えるようなイデー(idée)の探求とそれに費やす時間が重要なのだ。

1日1日は非常に長く思えるが、1年5年10年はあっという間だ。

あっという間に死なないために、今日、今すぐ動こう。
人生で一番若いのは、常に今この瞬間だから。

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Vent
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