大崎善生を「再読」する
2024年(令和6年)8月3日、作家の大崎善生さんが亡くなりました。その報を知ったのは、奥様のX(旧Twitter)の投稿でした。
この奥様のXによると、「2年前にわかった時には既に下咽頭癌のステージ4、2Bという状況」とあります。
また「共に生きた20年は大崎の才能をいかに私が壊さないかを考えていました」とも書かれていました。
本当にそうですね。小説を書くって、やっぱり才能ですよ。
大崎善生さんの死は、残念でなりません。
僕は、自分の手元にある大崎善生さんの本を探しました。すると『パイロットフィッシュ』(角川文庫)のサイン本が出てきました。
この文庫版が発売された2004年当時、僕はブックファースト渋谷店の3階で働いていました。その同じ3階で働いていた伊藤さんも大崎善生さんの作品が好きと知って、「どこが好き」と聞くと、「暗いところが」との返答に「一緒だ」と言ったことを覚えています。
そうなんです。大崎善生さんの作品は、「ブルー」なところが魅力的なのです。そう思っていたら、『九月の四分の一』(新潮文庫 2006年2月刊)の文庫解説を作家の石田衣良さんが書いていて、解説のタイトルが「オオサキブルー」だったのです。
この解説を読んだ時、「そうだよ。これが言いたかった」と我意を得たりだったのですが、やっぱり作家が作家を評するのと、素人が書くのでは大きな違いがあると心底思えるほど、石田衣良さんの大崎善生さんの作品評は、美しい文章でした。
だから「大崎善生を『再読』する」は、この『九月の四分の一』(新潮文庫)から読み始めることとします。
本書は、4つの短編が収められています。
最初の短編は、「報われざるエリシオのために」です。物語のはじめに箱根登山鉄道が登場し、主人公の山本が美術館を訪れようとするシーンから始まります。
物語の中盤に主人公の山本と、その友人の婚約者である頼子が、二人だけで阿佐ヶ谷のショットバーで飲むシーンがあります。
そのバーには、遠慮がちなボリュームで、ビートルズのラブソングが流れているのですが、このシーンを読んだ僕は、大崎善生さんにしては、珍しいと思いました。
というのも、大崎善生さんと言えば、レッド・ツェッペリンというのが、僕の印象だからです。
もっとも、静かなバーにツェッペリンは、似合いませんね。
ビートルズのどんなナンバーが流れていたのか?!
「She Loves You」「And I Love Her」「All my loving」などアルバム「A Hard Day's Night」に収録されている曲でした。
そして、「If I Fell」(恋に落ちたら)が流れると、頼子の思わぬセリフに驚かされる山本。
僕は中学生の頃、ひととおりビートルズのアルバムを聴いていますが、歌詞までは覚えていません。
だから阿佐ヶ谷のバーで、ビートルズの歌詞に反応する二人の様子は、素敵だと思いました。
しかし、物語の終盤で、大きな事件がおこります。青春期の喪失。この失われたものの心の穴は埋まるのだろうか?物語に続きがあって欲しいと願う一編でした。
続く短編は「ケンジントンに捧げる花束」🌹です。主人公の「僕」が10年務めた雑誌編集長の職を辞して、イギリス🇬🇧に向かう✈️のですが、8年間付き合っている美奈子との関係はギクシャクします。
この物語では、ショットバーにジュークボックスがあり、主人公が選んだのは、ミック・ジャガーが歌うザ・ローリング・ストーンズの「As Tears Go By(涙あふれて)」でした。
懐かしいですね。ジュークボックス。僕が最後に見たのは、2017年、横浜のバーにありました。今でもあるのかな?
主人公は、イギリス🇬🇧の友人トニーとともに、サウス・ケンジントンのジェーン・ブラックストックを訪ね、ジェーンの亡くなった夫、吉田宗八(ショーン・ブラックストック)の話を聞きます。吉田宗八は樺太から1929年に、イギリスに渡り、オックスフォード大学で、ジェーンと出会うのです。その宗八の80才から90才までの晩年が「僕」の仕事と重なっていたことを知ります。ケンジントンに住む両夫婦の愛に大きな影響を受けた主人公は、人生を再生するために日本へ戻る飛行機✈️に乗ります。未来への希望を感じさせる素敵なストーリーでした。
さて、3作目は「悲しくて翼もなくて」です。🪽🪽🪽
本作の音楽🎵は、お待ちかねのレッド・ツェッペリンです。
物語は、主人公の松崎43才が上野発の寝台列車に乗って北海道へ向かう場面から始まります。
そして、時空は主人公が高校3年生の時に遡ります。ツェッペリンのコピーバンドで学園祭の準備をしている頃に、札幌の中島公園で、ヒロインの沢木真美と運命的な出逢いをします。
学園祭で真美をヴォーカルとして迎えたミュージックシーンは盛り上がりをみせます。
高校を卒業した松崎は、東京の大学に進学、同じくバンド仲間の石田とロックサークルで音楽活動を再開します。秋の学園祭で、ここでも高校生の真美が上京し、松崎たちのバンドで歌い圧巻のパフォーマンスを魅せます。
その夜は松崎のアパートに泊まった真美に東京へ進学することを薦める松崎。
しかし、真美は東京へ進学せずに札幌に残って音楽を続けていきます。
一方、松崎はバンドを解散し音楽活動を止めてしまいます。
その数年後、主人公が26才の時、真美から「last live」の案内が届きます。松崎は飛行機のキャンセル待ちを繰り返して、なんとか札幌にたどり着き、真美が歌うライブハウスへ。この時のライブシーンも鳥肌が立つほど、感動的に描かれています。
「悲しくて」「切なくて」「翼もなくて」と歌い出す、この曲は、真美のオリジナル曲。感動的なシーンのあと、ヒロインは変わっていきます。そして、時空を駆け巡った43才の主人公は、再び冒頭シーンに戻るのです。
レッド・ツェッペリンを愛する大崎善生さんの渾身の一作です。
さて、最後の作品は表題作の「九月の四分の一」です。主人公は40才の「僕」職業は、小説家!?そして、舞台はパリ。サンジェルマン・デ・プレの安ホテルに長期滞在とある。
とここまで、読むとこの主人公のモデルは、大崎善生さん本人ではないか?と感じました。というのも、大崎善生さんは『ドナウよ、静かに流れよ』(文藝春秋)の取材でウィーン・ルーマニアを列車で移動し、その後も2ヶ月間パリにとどまり書き上げた小説が『アジアンタムブル-』でした。
パリに長期滞在していた主人公の「僕」に転機がきます。フランス人の友人ジョエルに、ベルギー🇧🇪の首都ブリュッセルへの旅に誘われるのです。
そこで「僕」は、思い出すのです。今より13年前の27才のときに、ブリュッセルへ、グランプラスという街へ行き君にあったことを。
「僕」とは「村川健二 二十七歳」であり、君とは「高木奈緒 二十七歳」でした。村川と奈緒は、グランプラスのユースホステルで、数日間を共に過ごします。
本作の音楽🎵はスウェーデン🇸🇪のシルビア王妃も踊ったというABBAの「ダンシング・クイーン」そして「チキチータ(小さい少女)」
奈緒は、「君はね、小説を書くべきだわ。それを諦めないで生きていった方がいいと思う。いつか必ず書ける日がくる」と言った。
やがて、別れの日が訪れ、「九月四日で会いましょう」という奈緒の走り書きが残されていたのです。
主人公は九月四日にグランプラスで一日中、奈緒を待ったが会うことできませんでした。
しかし、村川は奈緒に出逢ったことで、書けなかった小説が書けるようになります。
そして、13年の月日が流れ、長編の小説を仕上げるために、日本語から隔絶されたパリに長期滞在して、小説を書き終えます。
すると、思わぬところから「九月四日」の本当の意味を知るところで、この物語は終わります。
『九月の四分の一』の4編は、すべて「僕」という一人称で語られる小説です。
一方、その2年後に上梓した同じく4編の短編集『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』は、「私」という女性の一人称で語られています。そして、「九月の四分の一」の続編もあると言うのです。
ということで、次に読む大崎善生さんの一冊は、『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』です。
『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』
は四つの短編小説集である。
最初の一編のタイトルは
「キャトルセプタンブル」
quatre(キャトル/カトル)とは、フランス語で、「4つの」「4番めの」と言う意味。
ちなみにフランス語の、1つ、2つ、3つは、
1.un(アン)
2.deux(ドゥー)
3.trois(トロワ)
ですね。
septumble(セプタンブル)は、フランス語で、「九月」
だから「キャトルセプタンブル」は、「九月四日」という意味になる。
僕は、フランス🇫🇷に行ったことがないし、フランス語は、わからない。
勿論、パリの地下鉄もわからない。
でも、この小説を読んで、「キャトルセプタンブル」という地下鉄の駅があることを知った。
本書の主人公は、理沙という少女、フランス人の父親と日本人の母親の間に生まれたハーフである。
父と母が離婚し、高校1年の時にフランスから日本へやってきた。でも、クラスメイトと馴染むことができず、授業が終わると屋上のベンチで西新宿の高層ビル群を眺めていた。
ある時、理沙が屋上にいると、生ギターでThe Policeの「Message In A Bottle」を引く青年・智也と出会い恋に落ちます。
高校時代、理沙と智也の関係は、続くが二人は受験に失敗し、浪人生となったところから、変化していく、また理沙は、22才の誕生日までにフランスか日本の国籍を選ばなければならないという問題を抱えていた。
そして、智也から「理沙としばらく離れようと思うんだ」と。
理沙は母の言葉を思い出す。
「サヨナラの速度に気をつけるのよ」
理沙はパリー東京のエアチケットを握り、フランスへ、母から聞かされたキャトルセプタンブルへと足を運ぶ。
本書は「九月の四分の一」と同じ世界である。だから「『九月四日に』会いましょう」ではなく、「『九月四日で』会いましょう」との謎がわかったあと、村川健二と高木奈緒の物語は、どうなったのか?
本作では、どのように語られているのか?
そして、理沙は何を考えたのか?
古いアパートと並木道と石畳みに囲まれた街キャトルセプタンブル駅前で物語は終わる。
「九月の四分の一」を、もう一度読みたくなる一冊です。
次なる一編は、
「容認できない海に、やがて君は沈む」
です。
「容認」とは、それでよいとして、認めること。
「容認できない海に、やがて沈む」とは、どう言う意味なのか。
何かの格言ではない。この言葉は、両親が離婚して、家を出て行った父が、娘へ宛てた走り書きのメモに記された言葉。
正確に書くと
"容認できない海に、やがて君は沈む 。それを “
なのだ。その言葉が意味するものは、何なのか、主人公は国語辞典を何度もひらく。
父が母と離婚したのは、主人公が、まだ十二才の頃であったが、父が家をでた二週間ぐらい後に、主人公は、実際に海で溺れる。
まさに「海に沈む」を経験したのですが、一命をとりとめることができたのだ。
主人公の名は「かれん」
誰もが、自分の名前に嫌悪感をもつ時期があるだろう。
かれんも、またその一人であった。
【可憐】とは、かわいらしいさま。愛らしいさま。いじらしいさま。という意味。
それを演じたくない、主人公は、自分の名に抗うように生きた。
高校時代、友達と呼べる存在がなく、孤立していた。唯一の友と言える鈴沢涼子とは、校門から江ノ電の駅へと歩く坂道で、話をする間柄だった。
ところが、涼子の恋人の雅也と知りあい、三角関係が続く。
かれんは、涼子への罪悪感を感じながらも、雅也とのセックスに沈んでいく。
だが、この関係も長続きは、しなかった。高校卒業と同時に、雅也はイギリスに留学し、かれんは東京の大学に進学したからだ。
大学生活においても、かれんは孤立していた。キャンパスを歩く学生たちが砂のかたまりにように見え、咽頭が渇き、動けなくなった時、8年ぶりに父と再会するのだ。
父と会い、「かれん」の名前の意味を知り、"容認できない海に、やがて君は沈む 。それを “の続きを考えられるようになり、主人公は、再生してゆくのだ。
続く第三編は、表題作の「ドイツイエロー」
無知とは恐ろしい。ドイツ🇩🇪が物語の舞台と勝手に想像していたが違った。舞台は、阿佐ヶ谷だった。
主人公の早見理佐子は、故郷の新潟を離れ、東京の大学に進学した。そのキャンパス内で、同窓生の高林洋一と出会う。
理佐子が住むアパートは、阿佐ヶ谷駅から中杉通りを北へ徒歩15分ほどの位置にあり、洋一のアパートは、阿佐ヶ谷駅から中杉通りを南へ徒歩15分ほどの位置にあった。つまり、中央線を織り目に地図をたたむと、それぞれが住むアパートは重なる場所に位置していた。
二人は、互いの部屋を行き来する恋仲になっていった。しかし、理佐子は、まじめに大学に通っていたが、洋一は大学に姿を見せず、アパートに篭っていたのだ。
その洋一がやっていたことは、グッピー(熱帯魚)の飼育であった。鉄製の黒い本棚が四本並び、一本の本棚に十五基の水槽が埋まり、八畳一間は、さながら理科実験室のようだったと理佐子は、振り返っている。
ある日、洋一の部屋に泊まり、洋一に抱かれながら、六十基もの水槽を眺めていると、きれいなグッピーを発見する。そのグッピーの一種が「ドイツイエロー」だったのだ。
しかし、グッピーの飼育は簡単ではない。例えば、グッピーの餌となるブラインシュリンプは、十二時間エアレーションして孵化させ、スポイトで掬いとって、グッピーの水槽に注入する。育ち盛りのグッピーには、それを一日に五〜六回与えるというのだ。
洋一は、グッピーのブリーダーとなり、どっぷりと、その世界にハマっていったのだ。
それでも、理佐子は、そんな洋一を嫌いではなく、大学で漠然としたことを学ぶより、グッピーでも何でもいいから、何かに集中して、具体的で、はっきりした知識を身につけるという洋一の考え方に理解を示していたからだ。
しかし、理佐子が就職活動を始めた頃から、二人の関係は希薄になっていく。
理佐子は、就職して社会人となり、やがて...
この物語、理佐子と洋一の物語としては、決して良い結末とは言えない。
しかし、中杉通りの欅並木を、二人で手を繋いで歩いた日、葉の隙間からこぼれてくる木漏れ日を体に浴びながら歩いた記憶を理佐子は忘れられないと振り返っている。
最後の一編は「いつか、マヨール広場で」
こんどは、マヨール広場か!スペイン🇪🇸のマドリードにある広場ですね。歴史も古い。
建設が始まったのはフェリペ3世時代の1617年。しかし、現在、目にすることのできるマヨール広場は、大規模火災後の1790年に再建されたもの。
では、物語の舞台は、スペイン🇪🇸なのか?
と言うと違います。
国分寺です😆
物語は、主人公の吉岡礼子が高校時代に交際中の俊一から大学受験に集中するために別れたいと円山動物園の正門で言われる場面から始まる。この失恋をバネに礼子は、取り憑かれたように勉強し、東京の国立大学に合格。
そこから社会人となり、国分寺のJAZZバーで、ひとり飲むシーンが挟まれます。
そして、場面は高校時代に戻り、高校一年の時に起こったベルリンの壁の崩壊。東ドイツの国民が自由にハンガリーを徒歩で歩く「ヨーロッパ・ピクニック」について、その時のハンガリーの青空を空想する礼子。
そして、大学時代へと時空は変わる。礼子は、大学時代に毎日通っていた喫茶店で森川卓也と出会い、その夜に卓也のアパートへ。それは礼子から「友達以上の関係になろうよ」と望んだのだ。
その卓也の部屋に一枚のポスターが貼ってあった。ヨーロッパの広場を題材にしたリトグラフを印刷したもの。礼子が、それを指差すと「マヨール広場」と卓也が言った。
ところが、その一夜を除いて、礼子と卓也は再び出会うことはなくなるのだ。
しかし、物語の結末で、礼子は卓也の消息をつかむ。それは礼子への大きなプレゼントとして、その存在を知るのだ。
パイロットフィッシュ
次なる一冊は、大崎善生さん出世作の『パイロットフィッシュ』(角川文庫)
パイロットフィッシュとは、水槽を立ち上げたときに最初に水槽に入れる魚。水槽内の水質や環境を正しい方向に導き整えることが役割である。
水槽内の環境を整えるには生物ろ過が必要であり、バクテリアの働きが必須。バクテリアが働くためには、生き物が出す糞やアンモニアが必要となる。
そこで、パイロットフィッシュを飼育することで、バクテリアの活動を促し、水槽内の環境を整え、その後に熱帯魚を飼うことができると言うのだ。
さて、物語の舞台は西荻窪。主人公の山﨑隆二は、午前2時に突然かかってきた電話に出ると相手は、19年前に別れた恋人の川上由希子だった。
由希子との出会った話、そして、山﨑が編集長を務める『月刊エレクト』を発行する文人出版に、どのような経緯で入社したかなど、とてもユーモラスなエピソードもあるが、全体的なトーンは暗く、雨のシーンも多い。
のちに大崎善生さんは、エッセイ集『傘の自由化は可能か』を上梓しているが、本書でも、「傘の自由化」を山﨑が語っている。
山﨑が学生時代に働いていた喫茶店のオーナー渡辺の死。そして、由希子となぜ別れたかが語られた。
そして、可奈と出会い、手のひらサイズの小さな犬たち、クーとモモと名付けられたロングコートチワワを飼う話へと繋がる。
本作には、多くの魚たちも登場する。アフリカンランプアイ、コリドラスなど。
しばらく山﨑の家にいた可奈は、アジアンタムの鉢をおいて、姿を消す。次作の『アジアンタムブルー』への伏線だ。
そして、可奈からの手紙をもって山﨑を訪ねた浅川七海と出会い、恋に落ちていく。
ラストは、由希子との再会。山﨑は、19年間にあったことを話す。文人出版の沢井の死、現在の恋人である七海のこと、そして可奈の手紙の内容。
由希子は、手紙の内容を聞いて、可奈に心当たりがあることを話す。
そして、パイロットフィッシュの本当の意味が見えてきたところで物語は終わる。
読後の余韻が残る一冊。この本について、誰かと語り合いたい。
本書は、大崎善生さんの小説作品としては処女作であり、いきなり吉川英治文学新人賞を受賞した作品でもある。
この記事は、連載ではなく、読んだ大崎善生さんの本について、ここに書き足していきます。
よかったら❤️と、また覗きに来てください。
次作について書いているかもしれません😄
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