中高生からの人文学 その1
以前書いた文章を折角だからとインターネットの海に放流してみる。
書いたのはもう一年も前だが、気持ちは何も変わっていない。
はじめに
みなさんはじめまして。私は東京の大学院を2020年の3月に卒業して、今は都内の会社で働いている会社員です。今この文章を読んでくださった方で人文学を既にご存じの方がいらっしゃれば、「こんな文を書いているくらいだし文学部を卒業したのかな」と予想してくださると思いますが、実は全く違います。私は理系の人間で、大学・大学院での専攻は社会基盤学でした。一丁前に名前がカッコいいだけで何をやっているのかよく分からないですね。具体的に言い換えると、橋やダムなどのインフラストラクチャーを研究する土木工学を専攻していました。なので、生まれてこの方人文学を専門として研究を行ったことは一度もありません。
ところでさもありものかのように人文学という言葉を使っていましたが、人文学とは一体何でしょうか。困った時は手元のスマートフォンで調べてみましょう。Wikipediaによれば人文学とは(Wikipediaのように人文科学とも言いますが、本書では人文学で統一します)
と書かれています。なんだか人為だ所産だ難しい表現ですね。ここでは人についてのあれこれを研究し、人とは何かを探るものが人文学だと分かってくださればひとまず問題ありません。既に受験に向けて自分の進路を決めようとしている高校生の人なら、文系・理系という区別を知っていると思いますが、人文学は文系に含まれるものです。
さて理系出身の私が人文学に一体何の用があるのでしょうか。文を書くからには何かしら目的がありそうなものですね。目的を説明する前に少しだけ寄り道をしたいと思います。
もう何年も前の話ですが、国が国立大学の文系学部の廃止・縮小を決定したというニュースが流れました。細かい話を省けば、昔からずっと議論されていた話が突然大きく報道された、というのが正しいところだったのですが、いずれにせよ文系学部の中でも特に人文社会系の学部はそのあり方を議論され続けてきたわけです。
実際、全国の国立大学において人文学を学べる学部にかけられるお金や働く人の数が縮小傾向にある一方で、私立大学のそれは増加傾向にありました。つまり国の方向性として人文学は社会的に役に立たないとされており、それに対して人文学に携わる人たちは有効な反論をできていなかったということです。未だ高校生の文理選択割合では7:3で文系の方が多いものの、役に立たないとされている人文学についてはお金や働く人の確保を行う際に厳しい状況が続いているのは確かなのです。
ですが理系出身であるはずの私が書いたこの本は、人文学を志す中高生を増やしたり、人文学の研究者が増えたりすることを目的としていません。もちろんそれはそれでとても嬉しいことなのですが、今以上に人文学を志す学生を増やしたところで、大学の専門過程を卒業した後につく仕事が今の日本では十分に用意されていません。悲しい事実ですが、研究者といえど霞を食って生活できるわけではないので、現実問題として仕事が少ないことは直視しなければいけません。
またそれとは別の話として、この本は古くは古代ギリシャから人文学の今に至るまでの歴史を辿ることで、令和の人文学について改めて定義することも目的としていません。そういったことは人文学について大学や研究機関で本気で取り組んでいる人たちにお任せしたいと思います。
むしろ私は人文学をもっとカジュアルに捉え、生き方としての「人文学」があり、普段の生活の中で「人文学」を行えるということを実感してもらえたら、と思い執筆しています。「生き方としての「人文学」」だなんて、何だか格好つけた言い回しですね。もっとシンプルにいえば、「人文学してみようよ!」とみなさんに言いたいわけです。そんなときに人文学を実際に研究している人に声をかけられるよりも、全く違った分野にいる人の方が何となく親しみが湧きやすいと思うのは私だけでしょうか。
もちろん大学の文学部にて研究を行っていたわけではないので専門的なことはお話しませんし、お伝えすることもできません。それでも、外から指を咥えて眺めていたからこそ、そのショーウィンドウに映る人文学の魅力をお伝えすることができるんじゃないかなと思っています。
そう言うと私が人文学についてある程度理解をしているような印象を与えてしまうかもしれませんが、実はまだまだ理解できていませんし、恐らく完璧に理解することもないと思います。「だったら人文学っていうものについて一体何を教えられるんだよ!」と怒られてしまいそうです。
確かに「生き方としての人文学」という言葉も友人と話している時にポロッと出てきたような言葉であって、専門書に書いてある言葉ではありません。でもそんな私でも最近ようやく人文学の「楽しみ方」のようなものが分かってきたような気がします。この文章は私の体験に基づいて話を進めて、人文学ってこういう風に楽しめるんじゃないのかな、とみなさんと一緒に考えることを目的としています。
ですので、人文学についての知識や雑学みたいなものを身につけようと思って読み始めた人がもしいれば、別のものを読んだ方が良いかもしれません。人文学をクイズのように正解にたどり着くまでの速さで競ったり、たくさん物事を知っていることが良しとされる雑学として捉えたりする態度と私が今後述べることとは一線を画しています。
強い言い方ですが、人文学を研究者だけのものとするようなやり方を私は決して認めないと同時に、人文学をアクセサリーのような知識として扱うやり方も絶対に認めません。また先ほど軽く述べたように人文学を含む文系学問分野が置かれている厳しい状況について詳しく説明し、人文学がこれだけ我々の生活に必要だからもっとお金が必要なんだと訴えるものでもありません。あくまで私は人についてのあれこれを研究する人文学に求められる態度は、研究者だけが身につけられる高尚なものじゃないんだよ!と言いたいだけです。
そんな本文は5章から成っています。まず1章のイントロではこの文章の目的や想定する読者について簡単に説明しています。そして2章では「人文学ってそもそも何だろう」という疑問に答えることを通じて、人文学の面白さに繋がる鍵をいくつかみなさんに提示したいと思います。次に3章では私が考える人文学の面白さについて具体的な研究分野や書籍を元にお伝えしていきます。こちらの章では気になるものだけつまみ食いしていただいても全く構いません。さらに4章では、そういった「面白い」人文学を普段の生活にどう持ち込めるのか、先ほどの言葉を使って言い換えれば、どう人文学「する」するのかを日常のいろいろなシーンを例にとって説明していきます。最後の5章は自分なりに人文学をしてきた私からみなさんに向けたメッセージとなっています。前から順に読んでもらうことを推奨していますが、もちろん気になるところから読んでいただいても問題ありません。自分なりの「人文学」を見つけていただければ何よりです。
ここまでしつこく言う必要はないかもしれませんが、本文は人文学について全く知らない人に向けて書かれています。できるだけ人文学や学問に関する専門用語などを省いて説明を行うため、既に人文学について理解のある方にはすこし冗長な内容になっているかもしれません。もしそのように思った方がいらっしゃれば、みなさん自身が体験した人文学についてどのように説明すれば一番分かりやすく伝えられるかについて、私と一緒に考えるきっかけになればと思います。
人文学に関する本はこれまでも数多く出版されてきましたが、その多くは人文学の各分野についてなるべく分かりやすく解説するようなものでした。あくまでもみなさんの人生に関わるものではないけれど、こういう研究をしていることは知っておいて欲しいな、という姿勢であるため、読んでいる人もあくまでも別の世界のこととして捉えていたかもしれません。
本文のテーマは、これまで他人事として捉えていた人文学を自分事にしてみよう、言うなれば「ジンブン学を、ジブンごとに」です。ただの言葉遊びじゃないかと思われるかもしれませんが、最後まで読めばそうではないことは分かっていただけると思います。
人文学は読み始める前からみなさんの手の中にあります。