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「枷、なんだって」 ベリルはつねに首から鍵を下げている。かせ?なにそれ?と首を傾げる僕に、賢い彼は「おまもりってこと」と教えてくれた。 変異は突然だった。異形をとったベリルの首から、鍵が悲鳴じみた音をたてて足元に転がる。なにがおまもりだ。僕がいなきゃどうしてたんだ。幸い足には自信があったから、苦しげに暴れる魔物に必死ですがりついた。遠のく意識の中で、がちゃん、と重たい手応え。 ほどなくして、一家はまちを出ていった。幸い鼻にも自信がある。見つけ出すのは造作もなかった。 「なめて
「ひっ」 何気なくめくった敷布に縫い込まれた文字は怨嗟に満ちていた。目を輝かせて解析しはじめた師匠に代わり、青ざめた家主に問いかける。 「この品はどちらで?」 「知人から譲り受けたものですが…」 正直、来歴はどうでもよかった。見る間に師匠の筆が走り出す。菫色の軌跡は夜空の色に沈み、ひねった穂先からばちばちと星が散る。 どんな呪いも言葉である限りは対語が存在する。あらゆる言語に通じていれば、全て相殺できるのだ。筆だって市販品で十分。しかし。 「相変わらずひっどい字ですね」
がつんと蹴躓いて思わず舌打ちする。 あれから踏んだり蹴ったりだ。身寄りもなく、稼ぎもなく、何をしでかしたか血眼になって師匠を追う輩の来襲に耐え、もうたくさんだと家移りを決めた矢先。行方をくらました師匠が唯一置いていった、こいつは因縁の旅行鞄である。 開ける気にもならなかったものが、さきほどの衝撃で留め金が弾け飛んだらしい。ひとりでに開いた中身に目を奪われた。 鞄いっぱい、みっしりとつくりこまれたドールハウス。暗い色合いで揃えた調度にエメラルドのランプ。のそりと動いたの
「どんなに便利な世の中になったって、こればっかりはかえられねえ」とは我らが会長の口癖である。 これとは食道楽ばかりが揃った会合のこと、ともに飯を食うのは言葉を交わす以上の価値があると信じてやまないその男は、しかし先ごろぽっくり逝ってしまった。 気づけば顔ぶれは年寄りばかり。すわ解散かと思いきや、食への執念は衰えず健康維持もぬかりない。近頃は新たに若者を会に迎えることとなり、活気は増す一方である。 今日も今日とて焼き鳥三昧。宴もたけなわのその時に、目の前の焼台が火を噴いた
「待ちかねたぞ」と奴は言った。 顔を合わせること即ち死を意味する宿敵。殺戮と転生を重ね、互いに人の姿で相見えるのは実に一千年ぶりのことであった。この世を滅ぼすほどの業を宿したその器が、此度は褐色の美丈夫として眼前にある。びりびりと肌に刺さる覇気。いよいよ相討ちを以て仕留めるほかあるまい。 思案する俺の首筋をぞろりと生暖かさが這い、琥珀の瞳にひたと見据えられた。いつの間に。そう思う間もなく腰を引き寄せられ、絶望の呻きに吐息が交じる。 「ほんとうに、待ちかねた」 殺し合いの
「一緒にくる?」 うん、と頷くと涙が転がりでた。ずっとひとりだった。骨董品級の探知機が唯一の相棒となって久しく、たどりついた水辺は諦めと似た青に澄みわたっていた。 問いかけるかれは水をまとった蛇、流動する水の都市であった。綻びの目立つ機械の躰にはたくさんの生き物が棲みつき、無機と有機のモザイクに交信の光が乱れ飛ぶ。 ぽかんと見惚れる私の頭を大きな顎ががぶりと咥えた。喉の奥に渦巻く水流、その向こうの途方もない煌めきに目が眩む。めまぐるしい変化のなかで、早々に馴染んで嬉々と
ぽっ、とかすかな音をたてて蕾がひらく。 その色を唇でついばみ舌で転がしている俺に、彼は拗ねたように問うた。 「それで腹の足しになるものか」 「たべてみる?」 結構だ、と言いかけたその口に舌を滑らせ、そのまま押し込む。 彼は目を白黒させながら飲み込んだ。 「……少し、にがいな」 「そう?」 「だが、不思議とあまい」 彼はここを死に場所と定め、生気を喰らう俺をそばに置いた。 奇妙な同居生活は穏やかな死に向かっていくはずだった。 それがいつしか、俺は花の色を喰らうこと
甘い香りが、漂っている。 その胸の、肋《あばら》の檻に抱かれた、赤子の頭ほどの蕾。 ひとたび咲けば、この世のあらゆる厄災を祓い、奇跡を招くという伝説の花。 それが此度の贄に弟の身体を求めたのだ。 弟。 私が欲してやまず、しかし決して手に入らないはずだった男。 胸元がめり、と裂け、香りがいっそう強くなる。その面差しにおちる陰は、この期に及んでいっそう好ましい。 ――その命尽きるならば、我が生涯をかけて世界を呪おう。 ――永らえたならば、我が生涯をかけて貴方を愛