【思想記事】好みの話は食に置き換えると理解しやすいよなという話
おはようございます!草もちです。
普段は推しの話メインでnoteを利用しているのですが、
こういった普段考えていたり、思いついたことを文字に起こして残すのもありだなと思い筆を走らせてます。(毎月記事書きたいなという気持ちも少々)
思想や考えを押し付ける気持ちはなく、こういう見方もあるかもなくらいの気楽さで読んでいただければと。
それでは以下から好みの話は食に置き換えると理解の補助になるよなという話を始めたいと思います。
皆さんはそうめんにミョウガをたくさん入れて食べるのは好きですか?(唐突)
私はたんまり入れて食べるのが好きです。
なぜいきなりこんな話をしたかというと、先日会社の飲み会でも同様の回答をしたところ、「あり得ない」やら「無いわ」というお言葉を先輩からいただきました。
言葉をいただいたこちらとしても、食の好みは人それぞれであるということは理解しているし、人格否定をされているとも思わないですよね。
ではこれが好きな楽曲や音楽の種類であったり、応援している人物であったらどうでしょうか。
ちょっとモヤっとした気持ちが残ったり、その言葉を投げてきた人に対してなんだか嫌だなという感情を持ってしまうのでは無いでしょうか。
何故「食」に関しては好みに関する許容度が高いのかは今後の宿題として、
とりあえず好みや趣味嗜好についてモヤっとした感情が浮かんだ際は、
食に置き換えてみると相手が違う価値観を持つことやその違いについて理解の役に立つよなという話です。
ここで一例です。
あなたは豚骨ラーメンが好きで塩ラーメンが苦手です。
豚骨ラーメンはクソという人がいても、だからその人を嫌いになることはないかと思います。
あなたは塩ラーメンが苦手でも、塩ラーメンをこよなく愛する人がいれば、その気持ちは理解できると思います。(たとえ自分は絶対に注文しないとしても)
元々豚骨ラーメンが好きでも、気分によっては醤油ラーメンを食べたくなるし、年を経るごとに好みが変化することも珍しくないでしょう。
結局好みの違いは何故を追求してもその人の好みである以上のことは言えないので、それぞれ違うのが普通ということが「食」に例えると分かりやすくなるなと感じた次第です。
ただ塩ラーメンが苦手だからといって、塩ラーメン専門店にわざわざ入店して店に食べられるものがないとクレームを入れることもおかしな話だと思いませんでしょうか。
(逆にラーメン店と銘打っていて、店に入ってみたら塩ラーメンしかなかった時の悲しい気持ちもよくわかります)
また料理人が丹精込めて作ってくれた塩ラーメンに対して、こんなもの作るなと言ったり、自分苦手なんだよねと一蹴するのもデリカシーがないのかと。
料理人が作ってくれたこと自体に感謝する気持ちは持っていて欲しいのです。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さんの好みについての考えや理解を深める一助になるような記事となっていれば幸いです。
若干正確さを排除して論を進めた箇所はありますが、大意が伝わってくれればと。
「食」以外にこれに例えてみても理解しやすいというものがあれば、ぜひ何かの機会に教えてもらえると非常に喜びます。
それでは、今回はこの辺りで。
改めましてお読みいただきありがとうございました。