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手抜き介護 119 昭和ひとけた生まれの少年の話

父は幼少期、叔母夫婦の養子に入った。長男の嫁である叔母は子に恵まれず、長兄の三男を迎え入れた。引き取られる前日、大人たちが集まって兄弟4人の名前を挙げながら何か相談していたのを覚えているという。

長男は後継ぎだからダメ、次男はもう小学生で分別がついてきているから可哀想、一番下はまだ母親の手がかかるということで、三男の父が選ばれた。本人の話によると、何の説明もなく、翌日「さあ行くぞ」と知らないところに連れてこられたという。

着いたのは長屋で水場が共同だったこともあり、突然現れた6歳の男の子は、いい噂の的になった。「お前、もらいっ子だってな」なんて面と向かって言われたりした。叔母夫婦は、実は子ども嫌いだった。昔だからやむを得ず養子を迎えたが、子どもの衝動性や汚れ方に嫌悪感を抱く様子は、私も目の当たりにしたことがあり良く分かる。

少年が自力で元の家に帰ろうと決意するまで、何日もかからなかった。「前の家からは、遠く東に山が見えた。今の場所からは、西に山が見える。ということは、あの山を越えたところに家があり、父母がいるに違いない」。

そして朝、山を目指して直線に歩き始めた。ほどなく家並みが途切れ、見渡す限りの草地が広がった。その草丈はやがて自分より高くなり、前が見えなくなる。それでも進み続けると水の音が聞こえてきて、大きな川に行き当たった。橋など、もちろんかかっていない。向こう岸に渡らないと山に行けないので、水に足を入れた。

水は、びっくりするほど冷たかった。両足入れたが、あまりにも冷たくて三歩目が出せなかった。彼は、小さな頭で引き返すことを決めた。民家が見えるところまで戻って来たとき、誰か大人に声をかけられて自宅に帰ったという。

甥を養子に迎えることなど、当時は珍しい話でもなかったようだけど、コミュ障気味の父にとっては到底受け止めきれない重大な出来事だった。そしてそれを優しく包み込んでくれるような大人が周りにいなかったことも、その後に影響したと思う。

その時川に流されることもなく、疲れて眠ってしまったりもせず、途中で野生動物に出合うこともなくて、本当に良かった。無事に帰ってきてくれたから、私の人生が始まった。それだけでも、返しきれない恩があると思う。普段は忘れているけどね。


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