義母のミラクル
義母がまだ元気だった平成始め、夫と3人で岩見沢にお墓参りに行ったことがある。岩見沢は娘時代を過ごした街だが、結婚後はなかなか行く機会がなく、数十年経ってしまったという。
墓地はとても広くて、なだらかな傾斜地のずっと奥までお墓が並んでいた。こんな途方もない数の中から、目指す場所が簡単に見つかるものなのか、正直ちょっとたじろいだ。義母は、「ずいぶん変わったわあ」と言うなり、でこぼこの足元も気にせず歩きだした。特に大きな目印になるようなものはないように見えたけれど、「確かここを右に行って…」などと独り言をつぶやきながら、ずんずん進む。私たちはその後ろを、ただついて行った。
ふと立ち止まり、「この列か、その向こうの列」と言われたところで、夫と手分けして名前を一つずつ確認していったら、まさにその通りだった。すごい! 目的地まで、最短距離だ。申し訳程度のお掃除とお供えをして、ご無沙汰な分、3人で少し長めに手を合わせた。
市内に戻るころには、ちょうどお昼どきになっていた。まだ食べログで下調べするような習慣もなく、車の窓から適当な和食屋さんがないか探していたら、脇道の先にある看板が目に留まった。車1台がようやく通るくらいの路地に、老舗料亭の風格。
その日が〇回忌ということではないけれど、墓参帰りだからお斎膳のようなものがあれば、と思っていた。メニューには、まさにそのようなものが載っている。義母がふと、「ここ、結婚式を挙げたところ」と言った。え?
メニュー表の店名に、記憶がよみがえったらしい。外観に見覚えはなかったが、中の様子を少し覚えている、と。注文を取りに来たのが年配の方だったので、義母が話しかけた。
「ここ、昔結婚式してたでしょう?」
「はい。昭和のころ、2階で」
「ああ、そうそう、2階。広い座敷があって」
「そうです。今は使っていないですけど」
60年近く前、この場所で祝言を挙げた二人。そのときの参列者のうち何人かは、きっとさっきのところに眠っているのだろう。わあ、何という偶然!と盛り上がったのは私だけで、義母はその後の苦労続きの人生を振り返っていたのか、それ以上は何も言わず、ただえび天を口に運んでいた。
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