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覚えなき流刑 (前編) [キャプテン・ドレイク 5]


あり得ない侵入をなしとげた犯人は数奇な運命に捉えられた男だった。そして男とキャプテン・ドレイクとの関係は?

前編 (19000字)

                       

全面ステンレス。壁も天井も、床ですらステンレス製の塵ひとつない廊下。そしてとどめの重厚なステンレス扉の前にしゃがみ込み、手にした目が飛び出るほど金のかかった電子機器をドアの鍵の近くに当て、ディスプレイをじっと見つめる。あっけないほどさりげなく浮かび上がった12桁の数字をドアのテンキーに打ち込む。一瞬の間を置いてかすかなモーター音が聞こえた。シリンダ錠が引き抜かれて行く音。腕に付けたモニターを確認する。警報装置が働いた形跡はない。覆面の下で噛み締めていた顎が少しだけ緩む。モーター音が止むと両手で取っ手を握り重い扉をゆっくりと引き開けていった。踏み込んだ部屋は真っ暗。かろうじて、ずっと奥の壁際にコンソールのディスプレイがぼんやりと青白い光を放っていた。迷わずそちらへと足を進める。しかし行き着かないうちに甲高くて耳障りな声が響いた。

「どっから迷い込んで来た?  ドブネズミ」
部屋が白く強い光に満たされ、とっさにその場に膝をつく。身体の上から下までぴったりした黒いレオタードの姿が光に刺し貫かれるのを強く意識した。動きを止めたまま目をすがめて声のした方を探す。左奥の壁際から重武装の男が歩み出てきた。厚く長く黒いコート。はだけたコートの下には黒い革の上下が見える。たすき掛けした弾丸の帯。腰のベルトには飾りのようにぐるりと手榴弾。これも革製のブーツには銀色に光る金具。白髪のオールバック。青白く痩せた顔のなかでらんらんと輝く目には明らかな狂気があった。左手には機関銃を下げ、右手のばかでかい拳銃がまっすぐこちらを向いている。
「急に動いたりするな。ゆっくり下がれ。ゆっくりな」

慎重に立ち上がり、後ずさる。さらに同じ事を二度言われてとうとう扉の外に出た。男もゆうゆうと距離を保って出てくる。
「黴菌まみれの薄汚いドブネズミ野郎。今日はおまえの生涯で最悪の日だぜ。だが、いいことも教えといてやろう。明日からはもう悪いことは起こらない。明日からは何一つどんなこともおまえの身には起こらない。どうだ、すてきな話だろう」
三流アクション映画のようなすり切れたセリフをどこで仕入れてきたのか。勝ち誇った口元から一言ごとに長くて尖った歯が見える。しかし奴の顔を見続けるのは難しい。どうしても銃口に目が引き寄せられる。揺るぎなくこちらに向けられた真っ黒な銃口。
「かっこいい銃だろ。デッカードブラスターだ。もっともドブネズミの学校では教わらないかもな」
無駄話を楽しんでいる。いたぶって殺る気だ。必死に形勢を変える手を考える。しかし何も思いつかない。自分の生涯がここで終わるのかという絶望感に圧倒される。

奴はさらにしゃべり続け、そして何のそぶりも見せずに引き金を引きやがった。銃弾の運動量にはね飛ばされて背中から壁に叩きつけられる。弾は顔ではなく胸板にぶち当たった。防弾レオタードは弾の貫通を阻止するが、胸全体に衝撃が加わることは避けられない。肋骨が何箇所も折れることもある。15分もすればまちがいなく胸全体がはでな青あざになるだろう。だが、今あざの心配など。死ねば何ほどの意味もないことだ。壁に叩きつけられた一瞬だけ意識が薄れたが、意識が戻りかけるとすぐさま強い意志で息を止めた。どうせ脊髄神経が麻痺してしばらく息はできない。くたばった振りを精一杯していると、奴がしゃべっている声が聞こえてきた。
「――――こいつの撃ち出した弾丸が生きた肉体に食い込む日をずっと待ち望んでいたぜ。まったく美しい。美しい銃、それに…」
投げる動作で気を失いそうなほどの激痛が走った。だが、手首の鞘からつかみ出した針が、ほぼ手首のスナップだけで投げられ、終着地の奴の首に深々と刺さったのを見るのは心温まる思いだった。奴は立木が倒れるようにぶっ倒れた。こっちはゆっくり壁にもたれるように上半身を起こす。胸の痛みは象に踏まれたかと思うほどだが骨折の痛みではない。廊下の様子は何も変わりがない。派手な警報音が鳴ってもいない。慎重に浅く息をしてみる。一息ごとに激痛が走ることを別にすれば大丈夫のようだ。腕のモニターにもアラームは出ていない。それを信じるとすると何の警報も発せられていないようだ。なんとまあ。こいつは自分の楽しみを邪魔されまいと侵入の警報も何も一切出していなかったのだ。こんな野郎を雇った奴も気の毒なあんぽんたんだ。

壁に手をついてやっとの思いで立ち上がる。それからふらつく足で横たわる奴のところまでいき、しゃがんで首から針を抜き取る。奴のコートで針についた血を念入りにぬぐうと手首の鞘に戻した。もう一度目をやると首の傷痕からじわじわと血が流れて床に血だまりができつつある。しかし針は動脈をそれたようだ。今は即効性の麻酔薬が効いてのびているだけ。それでもこのまま放置すると出血多量で危険な状態になるかもしれない。腰から止血スプレーをはずして傷口に入念に吹きかけてやる。これで必ず助かるとは請け合えないが。ふん、こいつは俺を殺すつもりだったんだ、これでもおつりがくる。

一歩一歩ふらつく足を踏みしめてまた部屋に入る。今度こそコンソールにたどり着き、座ってつい深呼吸をしようとして後悔した。しばらく胸の痛みの治まるのを待ってキーボードに両手を置き、一瞬後には一心に叩き始めた。6分30秒で仕事は済んだ。長い長い6分30秒。さらに自分が映っている可能性のある監視カメラ映像も念入りにすべて消した。部屋から出てあいかわらずぴくりともしない黒ずくめの姿の横を通り過ぎる。手にまだ銃を握っているのが見えた。撃たれた胸の痛みが強くなった。思わず銃を蹴り飛ばそうとしたが思いとどまって銃を観察する。引き金が前後に2基ついたダブル・トリガーの特異な銃。倒れた男に向かって言った。
「そういえばデッカードがどうのと悦に入ってたな。ブレードランナー気取りのおたく野郎か。いい気になるのは勝手だが。本物の銃撃はアクション映画とは違う。相手も必死だ。とどめを刺す前に長ぜりふなんか吐いてると反撃をくらって御陀仏になるんだぜ」
言い終わるや小走りで廊下を駆け出す。胸の痛みを耐えて走る廊下はやけに長く、重力勾配に沿って暗い奈落へ落ちていくかのようだった。


        *        *        *


その会員制クラブ、ジェイミーパレスの客となれるのは厳密に紹介のみ。ようやく中に入ると、そこは豪華で広大で、どうしてこうなった? と聞きたくなるほど複雑怪奇な屋敷だった。かつてこの星を治めていた総督の元住居で、増築を重ね、別々の建物だったものが繋げられ、結果迷路のように複雑なひとつのばかでかい宮殿となった。クラブとして利用するにおいては客同士が意図せず出会ってしまうことを避け、さらにおそらく客自身館のどの辺に居るのか分からなくする効果を上げているのだろう。また、総督邸だった当時と変わらず今でも相当な武力攻撃にも耐えられる、と信じられている。内装は豪華絢爛。往年の装飾品が数多く飾られ、見る者が見れば相当な価値だという。しかし客はそれらを通り過ぎるだけで、すごいショーを観られるわけでもなく、漏れなく大小様々の貸し切りの部屋に押し込められる。出される飲み物や食べ物の値段はその質に比べ、どのような基準でみてもばか高い。

この会員制クラブが客に提供する無比の売りは、滞在している間の最大限のプライバシーと客自身の安全だ。ここには武器の類いは絶対に持ち込めない。何度かそういうことをしようとした者もいたが必ず見つかって叩き出され、永久出禁となった。知られていない超能力で武器を見つけられる従業員を雇っているという噂もある。録音機やカメラの類いも同様、すべて入り口で預けなければならない。それを破って見つかったときのペナルティについては身の毛もよだつ噂が数々囁かれている。

この惑星の官僚機構には大枚の鼻薬を嗅がせてあって抜き打ちで官権がこの屋敷に踏み込んでくることは決してない。だからどんなささいな会話であっても警官とそれを楽しむ趣味はないという客は、指名手配犯であっても捕まることなく悠々とクラブを訪れ、立ち去ることができる。航空管制もゆるゆるなので、惑星外から小型宇宙船が無許可で離着陸することもおまないなし。要するに、素性を明かしたくない者達が微妙な関係性にある相手と他ではなかなか実現しづらい秘匿性の高い会合を執り行うのにうってつけの場所なのだ。

今日も今日とて、身元を隠した客が多数惑星に飛来し、クラブを訪れていた。その中には大盗賊、経済界の大物、政府の高官、さらには勇猛無慈悲で鳴らす宇宙海賊さえ混じっているかもしれない。

「赤髭のスミルノフよ、もう小一時間たわいのない話をしてる。肝心の話はいつ出てくるんだ」
その部屋はアンティークな趣で統一されているが、よく確かめるとすべてプラスチック製だ。時代物の木製机も椅子も実はプラスチック、そしてなんと椅子は床に固定されていて動かない。こんな部屋に通された二人の客はどんないわく付きの人物なのか。

イミテーションの木の椅子に腰を据えたキャプテン・ジョン・ドレイクはこれで三杯目のスコッチ・アンド・ソーダを口に含んだ。ドレイクは間違いなく名の通った宇宙海賊の一人だ。そして向かいに座るスミルノフもそこそこの海賊だが、通名にはたがい赤髭など生やしてない。髭どころか髪もなく、つるりとした顔と頭。身体は筋肉質で顔までも筋肉質に見える。頭脳派ではないにしろ、目がぎらぎらと強い視線を返していて油断ならない相手と見える。

「ドレイクよ、海賊どうし酒を飲んで世間話してるのに肝心なも肝心でないもないだろうよ。そろそろ懇意になってもいい頃だ。もうかれこれ十回以上会ってるじゃないか」
「それは他にもたくさん人のいる宴とかでのことだろ。差しで会うのは初めてだ。それもあんたから二人だけで会おうと声をかけてきたんだ。どういう魂胆だ?」
スミルノフはわざとらしくため息をついた。
「じゃあ、お互いに今後広く協力していく皮切りとしての親睦が目的だと言っても信じないというのか? 」
ドレイクは相手の目をじっと見つめたまま何も言わない。スミルノフは根負けしたように肩をすくめた。
「いいだろう。海賊が新しい友好関係を結ぶのに用心深くなりすぎるのは何もあんたひとりじゃあない。とにかく、俺としてはあんたが割いた時間に見合うことだけのことはあったと思ってもらうつもりだ。これを聞いたらあんたはきっとそう思う。シジアス星系のフォート・デル・レイ社という名前を聞いたことがあるか?」

「シジアス星系にはおたくのシマがあるはずだ。だが、フォート・デル・レイというのは初めて聞く」
「表向きは経営コンサルトとかを手広くやってる企業だ。しかし裏稼業のひとつにいわゆる情報屋もやってるのよ。非合法な手段を使って情報を集め、欲しい相手に法外な価格で売りつける。シジアス星系の複数の政府もそれぞれやばい情報を握られて強請られてるという話もある。そういう訳なのかどうなのか、フォート・デル・レイは自前の衛星を所有しているんだが、最高レベルの機密情報は皆そこのシステムセンターに格納されているという話だ。惑星カミロイを周回する衛星に。それでだ、これは極秘中の極秘のニュースだが、二ヶ月ばかり前にそこが外部から侵入されて情報がごっそり盗まれた」
「ほほう、そんなことはもう不可能になったと思ってたが」
「誰もがそう思ってた」
ドレイクは座り直して身を乗り出した。
「何かハッキングの新しい革新があったのか?  正直それはおれの耳に届いてなかった。それが俺が興味を持つだろうという話なのか?」
「いや、ちょっとばかり違うな」

スミルノフは両手のひらを芝居がかったように上へ向けてから続けた。
「システムへの侵入はだいぶ前から天才おたくハッカーの手を離れてもっぱらAIの領域になっている。AIの方がずっと優秀になったからな。それ以来ハッキング対策はどれだけ高性能の計算機を用意できるかの財力の問題になった。重要情報を持つ機関はどこも自分のシステムに対して日夜ハッキングを仕掛けるようになった。穴が見つかったらすぐに塞ぐために。そうなってからは、ハッキングされることは絶えてなくなった。その状況は今でも何も変わっていない。フォート・デル・レイの衛星には何者かが物理的に押し入って情報を盗んでいったんだ」
「ばかな」
「しかし本当なんだ。まあ、油断だな。情報が盗まれるということがなくなってずいぶん経つので、人が侵入してくることへの備えに隙ができてたんだろう」
「 盗んでった奴については? 何かわかってるのか」
「どうやら単独犯らしいということだけだ」
「ふむ。それで話の続きはどうなるんだ?」
「話の続きは盗まれた情報の中身だ。シジアス星系の政府とか企業とかの情報があったのは言うまでもないが、他にも嫌になるほど種々雑多のがあった。そしてそこには何人かの海賊の情報も含まれていた」

「海賊だと?」
「ああ、その中の一人がお前だ、キャプテン・ドレイク」
「俺? 何で俺の情報がそんなところにあるんだ」
「それは知らんな。シジアス星系で仕事をしたことはないんだろう?」
「無いはずだが、…。いや、シジアスはお前のシマだろうが。何かしてればお前の耳に入ってるはずだ」
「俺だって別に全知全能というわけじゃあないからな。とにかく犯人の目的はさっぱりわかっていない。あんたも用心しておいた方がいいということだ」
「それで盗まれたのは俺のどんな情報なんだ?」
「知らん。知ろうとも思わない。そんなことを知ってしまったらむしろあんたと友好を結ぶのに障害になるだけだろう?」
ドレイクは突然身を乗り出して机越しにスミルノフの胸ぐらを掴み相手の上半身を引き上げた。
「スミルノフ、いいかげん俺をなめてると痛い目を見るぞ」

それに合わせたかのようにドアをノックする音が聞こえ、扉を開けて小柄なウェイトレスが部屋に入ってきた。小娘はつんとすました顔をして二人の切迫した様子に動揺したそぶりもない。
「お飲み物のご注文を伺います」
スミルノフが絞められた喉からしわがれ声を張り上げた。
「まだいい。とっとと失せろ」
ドレイクは体勢そのままにスミルノフに言って聞かせる。
「もうここへ来て一時間経ったんだ。どの客も一時間に一杯は注文せにゃならん。俺は三杯目だがあんたはまだ一杯しか頼んでない」
「くそ、ウォッカマティーニをもう一杯だ!」
ウェイトレスは
「かしこまりました」
と平板な声で言うとさっと出て行った。ドレイクは持っていた服の襟を乱暴に突き放し、椅子に突き飛ばされたスミルノフは荒い息をしながら乱れた胸元をなでつけた。
「まったく、ここは暴力禁止じゃあなかったのか」
「武器の持ち込みは禁止だが話にエキサイトして素手でやり合うなんてことは珍しくもないんだろう。だから壊れにくい家具ばかりの部屋に押し込まれたのかもな。そんなことはどうでもいい」

ドレイクは相手をめつけたまま硬い声で言った。
「それだけの情報じゃあ、俺は何に気をつけようもない。役にも立たないことを聞かせるためにわざわざ呼びつけたのか? 何を企んでる? 油断ならない海賊の誘いに乗って顔を出す以上、何の手も打って来ない俺じゃあないぞ。ちゃんと分かる話をしろ。すぐに」
「わかったわかった、そういきり立つな。確かに話が持って回ったのはすまなかったよ。何人かの海賊の情報が盗まれたと言ったが、正確には二人だ。そして別に驚かんだろうが、もう一人は俺だ」
ドレイクはまっすぐスミルノフを見返して言った。
「続けろ」
「フォート・デル・レイ社の主な後ろ盾はシジアス星系最大のカミロイ政府だ。俺が知ってることは政府のつてから聞き出したことだけだ。盗まれた俺たちの情報の詳しいことはどうしても分からない。たぶん政府も海賊の情報については特には知らないんだろう。そんなことには構う暇がなくて当然だからな」
「少しはまともそうな話になってきたな。それでどうしようと言うんだ」
「これ以上を知るためには直接フォート・デル・レイ社の首ねっこを掴んでがたがたいわせないと駄目だが、そんなコネも手もない。それにあいつらはカミロイ政府にがっちり守られてるから、下手なことをしたら政府と正面からやり合う羽目になる」
「俺はそんなことに荷担する気はないぜ。そもそも裏情報が別のやくざな野郎に流れたというだけのことだろう。そんなことでいちいち騒いでたら何もする間がなくなる。まあ、ちいとばかり気持がよくないのは確かだが」

「俺も別に派手に動こうってんじゃないんだ。俺たちの情報もたまたまそこにあっただけと考えるのが普通だろう。だが、俺はなんだか嫌な予感がするんだ。俺のそういう予感はけっこう当たる。だから、お互い今後これに絡んでそうなことを耳にしたり、身に振りかかってきたらすぐに知らせ合うことにしようじゃないか。どうだ?」
「いいだろう。だが全て正直にぶちまけてるんだろうな。何か隠していたらただじゃすまさんぞ」
「もちろん分かってることは全部話したとも。そしてまた何か分かったらすぐ知らせる。そうと決まったら飲み直そう。俺のウォッカマティーニはまだか?」


        *        *        *


濃紺の海原に快晴の空。朱と金を主とする豪華な装飾に彩られた帆船が白い波を蹴立てて海面を滑っていく。船の先端から分かれていく航跡が一面の青の中でめだつ純白としてコントラストを成している。船に翩翻へんぽんとひるがえる真っ白な帆。その下にひときわ豪華な装飾の台座が据えられており、壮年の男が着座して前方を見据えている。高価でかつ動きやすそうな素材の服装を身に着けている。隣の、より小さいがやはり豪華な座席にはそっくりの服装をした若者が座っている。それ以外にたくさんの従者と覚しき乗員がいるが座る者とてなく皆それぞれの持ち場で立ち働いている。

船の舳先からは三本の長い棒が突き出ている。棒の先からは綱が出ていて真下に向かって海中に没している。その綱を棒に沿って逆にたどると棒の途中から垂れて巨大な巻き取り器に巻かれている。全体としてそれは巨大な釣り竿だった。それが三本。これはある特定の魚だけを狙う仕掛け。その魚は地球のシャチをさらに大きくしたくらいの大魚で、もちろん一人で釣り上げることはできない。一本の釣り竿によってたかって二十人ほどで操作する。そして、豪華な台座の男は魚がかかると好んでこの人数の中に入り、他の者達を指揮したり魚との力比べに挑むのを常としている。

しかしこの日はこれまでのところ一度のあたりも来ていない。年若い方の男が豪華な台座に向かって言った。
「父上、今日はとても気持の良い日ですね。でも獲物は空腹ではないようです。他の魚を狙ったらいかがですか」
「待つのも釣りの楽しみのひとつさ、ノエル。今日はウルフォスを釣りに来たんだ。他の獲物は要らない」
そういう国王を見つめていた皇太子のノエルは言った。
「マシューもウルフォス釣りが好きで、たいそう上手でしたね」
「ああ、そうだったな」
「マシューが居なくなってもう二年経ちました。あいつはまだ生きているとお思いですか?」
「マシューは生きているさ。だが、宇宙は広い。あいつが隠れている気ならなかなか見つからんだろう。そういうことだ。いつか必ず我々の前に現れるさ、たくさんの冒険談を持ってな」
「そうであれば本当に嬉しいと思います」

俺はさっきから二人に気づいてもらおうと懸命だ。手を振ったり叫んだりして。でも大声で呼びかけても相手は気づかない。帆柱の上からいくら気を引こうとしても二人は上を見上げることがない。そのうち、三本の釣り竿の真ん中の竿がぐっとしなった。しかし二人はそれにも気づかない。従者達も気づかないのはどういうわけだ。

俺は手を叩いて誰かの気を引とうとするがそれも効果がない。竿は何度もひどくしなる。引きの強さに応じて綱を出してやらなければ竿が折れてしまうのに。すると舳先のずっと先の海原で巨大魚が跳ね上がった。流線型で黒光りする濃紺の姿を見せると大きな水しぶきを上げて海に没した。口から綱を垂らしているのが確かに見えた。巨大なウルフォスだ。俺が釣り上げたどんなウルフォスより大きい。そいつはそれからも何度も跳ね上がる。空中で体をひねり、怒りのあまり太い針のささった口を歯をがちがちと音をさせながら開いたり閉じたりしている。とうとう竿が折れ、海に引きずり込まれていった。それなのに船の上の誰も何もせずひたすら船の前方を見つめているばかりだ。

俺は帆柱から降りる道をさっきからずっと探している。だがどうしても降りる方法が分からない。それに、なんで誰も俺に気づかないのだろう。そして帆柱にしがみつく体勢をどう変えても横木が胸に当たってひどく痛いのはどうしてなのだろう。

汗びっしょりで目が覚めた。半身を起こしてしばらく荒い息をする。真っ暗で狭くて一人だけで寝るこの小さな部屋をひしひしと感じる。胸の痛みはあのときの銃撃で受けた後遺症だ。喉も痛い。それは夢を見ながら実際に叫んでいたからだろう。不用心なことだ。このねぐらの近くには誰も住んでいないはずだが、俺を探しに来た奴がいたらいっぺんに居場所が分かってしまう。なんとしても故郷に戻る方法を見つけなければ。たった一度の行動が俺を故郷から永遠に放り出してしまうなんてことがあるはずがない。ひとつだけの手がかりに賭けるしかない。それは身の破滅を招くかもしれない。だが、この理由も分からずに流刑のような境遇で朽ち果てるのはまっぴらだ。

        *        *        *


キャプテン・ドレイクが艦長として統率する海賊船「宇宙の驚異号」で、彼は自分の船室に居た。個人宛ての即時通信が入った。
「赤髭のスミルノフ、どうした?」
「よお、キャプテン・ドレイク。この頃はどうしてる? 商売はうまいこといってるのか」
「無駄話はいいから用件を言え」
「なんだよ、相変わらず愛想のいい奴だな。まあいい、例の件で少し情報が入った。衛星への襲撃の様子が分かったんだ。やはり単独犯だった。しかし監視カメラの映像は洗いざらい消されてて犯人についてはまだ分からないことが多い。小型船で乗り付けぇの、銃撃戦も有りぃの、派手な犯行だったらしい」
「銃撃戦? 衛星を傷つけたら肝心の情報をパーにしてしまうかもしれないのに、あまり考え無しの奴のようだな」
「いや、銃をぶっ放したのは警備員のほうだ」
「なんだって? 衛星に警備員? 人間のか?」
「そうだ。俺も驚いたよ。どうやら衛星と呼んでるのはカモフラージュで、ちょっとした宇宙ステーションの規模のようだ。半年交替で警備員が一人常駐してた。その時の警備員がビショップという名前だが、ガンマニアで拳銃やらライフルやらを弾と共に持ち込んでた。それをステーションの中でぶっぱなしたんだ。まあ、いくら給料が良くてもそんな仕事に就くようなのにはネジの飛んだ奴しかいないってことさ。映像が消されてるのでビショップの目撃情報だけだが、犯人はずっと覆面をしてたようで人相はやっぱりわからない」
「あまり役に立つ情報はないな。それだけか」
「ああ、それだけだが、そんな言い草はないだろう。新しいことが分かったら知らせると約束したから、こうやってわざわざ連絡してるんだぜ」
「わかったわかった」
「わかったじゃないぜ。あんたの方はどうなんだ? 何か怪しいことは起きてないか?」
「ない。何かあればちゃんとこちらからも連絡する。じゃあな」

ドレイク艦長は相手が何か言う間もなく通信を切った。しばらく考えていたが、宙に向かって話しかけた。
「ミスター、今のを聞いてたか」
話しかけた相手は艦載コンピューターの私である。『ミスター』というのは艦長が私につけた名前で、頑として使い続けているので他の乗員も使わざるを得ない。
「はーい、聞いてました」
「フォート・デル・レイ社ってのは一社で宇宙ステーションを所持できるほどの金持ちなのか?」
「表向きの企業規模ではとうてい不可能でーす。しかし隠された活動があることは確かで、それらを足し合わせて可能かどうか結論するには調査がまだ足りません」
「宇宙ステーションは実はカミロイ政府のものでフォート・デル・レイは手先を務めてるだけってことは?」
「あり得ることでしょう。でも、そう結論づけるだけの情報も集まっていません」
「わかった。引き続き調査を続けろ」
「了解でーす」


        *        *        *


宇宙に張り巡らされた航路のハブ宇宙港を擁する巨大都市はその惑星の首都であり、日々、多くの旅人が行き交い、旅行者も含めた実効都市人口は莫大となる。がために、首都の郊外に広大な耕作地が広がっており、輸入では高価になりすぎる生鮮野菜や果物を供給して大都市の胃袋を賄っている。

その耕作地の一角に突き出ている岩だらけの丘陵地帯。その周囲の地下にも固い岩盤が広がっていて農作地に向かない。その代わり平らにならされた土地に多数の巨大トラックが整列して駐車している。その場所は格好の作物集積場として使われているのだ。岩山を削った洞窟は温度が一定していて作物の保管に向く。空調費が節約できる洞窟の空間は作物取引の事務を司る人員のためにも使われている。

何かの芋類がうず高く積み上げられた空間を通り過ぎ、ひんやりした洞窟の通路のさらに奥へ、つなぎの作業服姿に鞄をたすき掛けにした細身で長身の男が歩いていく。農業従事者にはあまり見えない。見当をつけるとしたら配送業者あるいは市場売買の関係者のどちらか。単身、宇宙ステーションに侵入するような危険な男にはおよそ見えないだろう。

洞窟の奥にたどり着きそこにひとつだけある木のドアの前に立つ。おもむろにノックしてすぐに開けた。中には男が一人、窓を背に座っていた。壮年の中肉中背。ワイシャツをめくり上げた逞しい腕を組み椅子の高い背もたれにそり返るように座っていた。その目の前の机には電話やら書類やらがごちゃごちゃと置かれていて部屋の主の整頓に気を使わない性格を物語っている。訪ねて来た男は肩から鞄をはずし、勧められるのを待たずに机の向かい側の椅子に座った。そして屈託のない表情で相手を見た。部屋の主が何かを言う前に若い男が言った。
「俺の荷はもう確認してくれたんだろう?」
ワイシャツの男は組んでいた腕をほどいた。
「ああ、いつものように最高級品だ。値段はいつもの通りでいいな?」

引き出しを開け、札束をつかみ出して数え始めた。その男が背にするミルク色のガラス窓は奇妙な造作だ。こんな洞窟の奥に日の当たる窓などあり得ない。窓に見せかけた単なる照明装置だろう。だが、質素な部屋に不釣り合いだ。男の不法ビジネスを知っている者達からは、これは隠しドアで奥にトンネルが続いていて、はるか離れた秘密の場所から地上に出られるようになっていると信じられている。

相手が札を数える様子をしばらく見ていた若い男はおもむろに言った。
「いや。値段は変わった」
「なんだって? どういうことだ?」
手を止めて相手の顔を見る。

「仕入れ値が上がった。ファルコン・ディーツの実の全生産量を握っているカシール星の貴族は、ディーツを惑星の外には出すことを一切禁じている。だから他の何とも比べられない一度食べたら忘れられないその味は惑星内だけで経験できる至福のはずだ。しかし、カシール星の外にもそれなりの量が出回ってるのも公然の秘密だ。それでとうとうディーツ貴族どもは農民からの買い取り価格を引き上げることにした。密輸業者へ売るのを阻止する狙いで。だから農民も強気になって俺らへの値をつり上げてきたということだ。

だけどな、そんな事情は俺に言われるまでもなく先刻承知のはずだぜ、カークランド。しらばっくれる態度は気にくわないな。とにかく今回の売値は今までのきっかり倍になる」
カークランドと呼ばれた男は肩をすくめた。
「まあ、そんな噂も聞いたかもしれん。だがな、マット、あんたが高く仕入れなきゃならなくなったからってそれを俺が丸々被らなきゃならんとは限らん。そう俺が言ったら?」

マットと呼ばれた男は表情を硬くした。
「俺は密輸をするが、取引の信用を大事にしてきた。適正な利益以上をむさぼったことはない。だから取引相手にも筋の通った売買を求める。値上げを飲まないというなら他を探す」
「違法なブツでしかも食い物となると扱える奴はそうはいないぞ。ファルコン・ディーツがもつのはせいぜい一ヶ月だ。その間に新規の引き取り手を探して話をまとめるのは至難の業だし、できたとしても足下を見られて買い叩かれるに決まってる」
「俺の言い値以外では取引しない。それでたとえブツがみなだめになったとしてもな」

カークランドは両手をバタバタ無意味に動かして言った。
「わかったわかった。あんた、ほんとに生真面目だな。誤解するな。本当に値切る気はなかったんだ。まあ、ちょっとした商売人どうしの挨拶みたいなもんだ」
カークランドは札を数えるのを再開し、しばらくしてマットの前に分厚い札束を音をさせて置いた。マットは黙々と札を数え、頷くと机の上に口を開いて置いていた鞄にしまいその口を閉じた。

カークランドが言った。
「よう。それで、俺と手を組む話は考えてくれたか?」
「それはもうあの時に断ったはずだ」
「いや、マット、自分がどれだけ損してるか分かってないんだよ。密輸はその時その時で何が儲かるかという見極めが一番大切だ。俺の所にはそういう話がたくさん集まってくる。そして俺にはどんなブツでも捌くルートもある。俺が何を密輸するか考えて、実行はそっち方面の腕利きのあんたがやる。持ってきたブツを俺が一番良い相手に売る。儲けは折半。あんたの今の儲けの最低十倍は保証するよ」
「俺はずっと一匹狼だった。こらからも一匹狼でやっていく」

カークランドは肩をすくめた。
「なんだってそんなに頑ななんだ。決めた通りを押し通す生真面目さはこの稼業にはじゃまでしかない。柔軟性が大事だ。さっき、俺が値切ったらどうすると聞いたのもそれを分からせようとしたんだ。目をつぶって一回だけ前と同じ値段で売れば経費を入れてもプラスにはなるだろう。新しい取引先を探すなら次から探せばいいんだ」
「どう言われようとあんたと組む気はない」

カークランド首を振った。
「やれやれ。あんたその性格を直さない限りいつかこれで一巻の終わりかっていうぐらい酷い目に会うぜ。間違いない。こんな稼業を続けてたら遅かれ早かれな。でなきゃ、生真面目さがなによりの何か他の商売に鞍替えするんだな。あんたはこの先まだ長いんだから、いまのうちに真剣に考えておいた方がいい。まったく大きなお世話だが、あんたには何かほっとけない所があるんだ」

マットは何も言わずに立ち上がり、鞄を手にした。その顔を見上げてカークランドは言った。
「じゃあ、この次も最上級品を頼むぜ、マット」
立ち上がった男は動きを止めた。そしてカークランドの目を見た。
「そのことだが、この次のブツは少し遅れるかもしれない」
「他のヤマでもあるのか? 密輸の仕事だったら俺にも一枚噛ませろよ。損はさせないから」
「いや、仕事じゃあない。仕事じゃないが…、どうしてもやらなきゃならないことがある。相当危険なことだ。俺が、そう、これから三、四ヶ月も姿を見せなかったら、もう居なくなったものと考えてくれ」
カークランドは身を乗りだした。
「おいおいおい。急に何の話だ?  そもそもおかしいじゃないか、法律にも縛られず、一匹狼のお前が、仕事でもないめっぽう危険なことをしなくちゃならんなんて。また生真面目に考えすぎてるんだろ。そんなことはせずに済む手が絶対あるはずだ。俺に話してみろ。知恵を貸してやるから。そのやらなきゃならない事とはどんな類いのことなんだ?」
「人に会う」
「誰に?」
「それは話せない。だが、とにかく危険な奴だ。宇宙一危険と言ってもいいかもしれない。だが今のチャンスを逃したら二度と機会がめぐってこないかもしれない。今やるしかない。そして、この件は俺だけのことで他の誰にもどうすることもできない。でも、ありがとうよ。そこまで言ってくれるならせめて俺の幸運を祈っててくれ」


        *        *        *

それは暗闇で視界の隅にゆらぐ蝋燭のかすかな光を見たような感覚だった。私はその正体を捕らえようと意識を集中した。危険なものなのかそうでないのか。パズルの最後のピースがはまったように理解が訪れた。かなり危険だ。もしかすると深刻に。すぐに知らせなければならない。

キャプテン・ドレイクの宇宙の脅威号はメンテナンスのために軌道上のドックに入きょしようとしていた。これは気を使う作業で司令室にはドレイク艦長をはじめ多くの乗組員が黙々と自分の業務をこなしていた。そして私はこの艦の艦載コンピューター。ドレイク艦長がインストールした言語モジュールを使って私は発見を報告した。その口調が逼迫した事態にそぐわないのは全て艦長の責任である。

「艦長、お忙しいところ失礼しまーす。どうやら本艦は待ち伏せされてまーす」
「なんだミスター、どういうことだ?」
「ここしばらく、当然起こるべき範疇を超えた違和感を覚える事象が連続して起きてたんですよー。ひとつひとつはとるに足らないことですが。ここにきてはっきりしましたぁ。本艦は何者かにずっと追跡されていて、まさにここで待ち伏せされています」
「今現在、起きているおかしなことはなんだ?」
「通信の遅延でーす。ドックとの交信に不自然なわずかの遅延が発生しています。何者かが割り込んで盗聴していると思われます」
「そんなもの盗聴してどうするんだ」
「わかりませーん。船のスペック諸元からこちらの正しい身元を見極めようとしているのかもしれません」
ドレイク艦長は艦橋に鳴り響く声で命令した。
「入渠を中止!  直ちに後退しろ!  ドックに入渠中止を通知!」
当直副官は命令をすぐさま復唱したが、そのあと艦長の顔を見上げて説明を聞きたそうな顔をした。艦橋に様々な警告音が鳴り響き、艦体に何かがぶつかったような嫌な振動が響いた。私はセンサーで感知した損傷内容を逐一艦長に報告していく。どれも軽微。通信士が声を上げた。
「ドックから問い合わせが入っています」
ドレイク艦長が指示した。
「スピーカーへ流せ」
艦橋に火がついたように切迫した声が響く。
「…どうしたんだ!  どうして逆向きに動いてるんだ! 識別番号73965! 艦を動かすのをやめろ! ドックが壊れる!」
艦長が答える。
「本艦は攻撃されている。回避のためドックから緊急離脱する」
「攻撃だと? そんな兆候はどこにも無いぞ。どういうことなんだ。ドックにはすでに莫大な損害が出ている。この責任は取ってもらうからな!」
「ドック入りの最中に本艦が攻撃を受けたことはそちらの安全責任も重大だ。しかし今は議論をしてる暇はない、攻撃回避が先決だ」
艦長は通信士に手真似でマイクを切らせた。その後ドックからの苦情が脅迫から攻撃的な言説にまでエスカレートする中、ようやく艦がドックから完全に抜け出た。艦にさまざまなケーブルが垂れ下がっているのも構わず艦首を大きくめぐらせた。そしてすぐさまエンジン点火しフルパワーで軌道上ドックから、そしてドックを重力でつなぎ止めている惑星ヘラルトスから離れていった。

艦はウルトラマリン海と呼ばれる暗黒星雲へと真っ直ぐ向かう。ヘラルトスはウルトラマリン海の縁のすぐ外に位置していた。ドレイク艦長が問う。
「追跡してくるものは?」
「三機が追跡しています。ヘラルトスのパトロール機である可能性が高いと思われます」
「よし、海に入るぞ。気をつけて行け」
海とは星間ガスや細かい塵が異常に集まって濃くたちこめているところ。少なくとも科学者達はそう説明する。多くの海賊はそれ以上のことがあると考えている。とにかく視界が極端に悪くなるので宇宙船は通常は避ける。しかしこの中に入った艦は外からも見えなくなるということを場合によっては利用する宇宙船もある。

ウルトラマリン海という名は、もし強力な可視光で照らしたら星間ガスの成分が深みのある青色に光るはずという科学分析から名付けられた。しかし実際に中に入ると色は無くただ暗い宇宙空間である。海のほとんどは探索されていない未知の領域で、海賊達の様々な噂と迷信が野放しになっている。

        *        *        *


銀色のロボットが宇宙の驚異号のブリッジに入って来た。名をサイジーといい、最近この船の一員となった。だが、誰に対してもいつも余計なことを言ってしまうことが災いし、一度でも配置された部署ではどこでも爪弾きにされていた。その後、惑星アフルエントでの活躍がそこそこの利益をもたらし、全乗員がその恩恵にあずかってからは乗員のサイジーへの感情もだいぶ和らいだ。それでも進んでこのロボットを受け入れようとする部署はなく、艦長直属の扱いは変わっていない。

サイジーはドレイク艦長の前へ行き、報告した。
「緊急離脱によるダメージのうち対処の必要度の高い五ヶ所について、診断と一時措置を完了しました。当面の航行に支障ありません」
ドレイク艦長はうなずいて承認の言葉を言おうとするタイミングだったが、サイジーは言い終わらずに言葉を継いだ。
「でも、逐次の報告がミスターからあったはずなので、これは形式的なだけの特に意味のない報告でした」
ドレイク艦長はサイジーを睨みつけたが、ロボットは気にする様子もなく第一スクリーンそばのいつものポジションに歩いて行った。


        *        *        *


それはどうしても不可避なことだった。これは言い訳ではない。状況説明だ。ウルトラマリン海の領域に進入して以来私はずっと計算能力のほとんどを使って前方の障害物の存在を検知し、計算し、その動きを深いレベルでシミュレートし、安全性が確保されるぎりぎりの速度で航行していた。そうやって追っ手を振り切るのが海へ進入した目的だったから、この計算能力の振り分けは妥当で文句はつけられない。

監視の優先度を下げていた斜め後方から不明物体が姿を現して高速で接近してきたときは正真正銘不意をつかれた。艦の反応速度では回避行動をとることも迎撃も不可能だった。

なすすべもなくただ見守る中その物体は艦に接触した。しかし爆発も陥入も起こらない。見知らぬ物体は艦に張り付いたのだ。その音が艦全体に不気味に響き、乗組員達が海にまつわるさまざまな噂を思って凍り付くのがわかった。

私は直ちに艦長に報告した。
「後方から高速で接近してきた不明物体が貨物室区画RB-55 の外側に張り付きました」
「張り付いた? 損傷は?」
「ありません」
「正体は何だ?」
「情報不足です」
「撮影カメラを出せるか?」
「ここは浮遊物が多すぎて艦を停止させないと無理です」
「ここで停止するわけにはいかん。もっと海の奥に入ってからでないと」
艦長が考えあぐねているので、ひとつ提案した。
「艦長、サイジーなら外に出て撮影できると思います」
「艦を停止せずにか?」
「はい、サイジーとの間に広帯域チャネルを開いて前方の浮遊物体の観測データをそのままサイジーに渡せば自分に向かって来るものを計算して避けることができるでしょう。航行情報も渡すので障害物を避けるために艦を方向転換しても追尾して来れます」

キャプテン・ドレイクは艦橋の壁際につくねんと立っていたサイジーに言った。
「サイジー、できるか?」
「はい、計算はお茶の子です。しかしながらこのミッションは到底できる気がしません」
「なぜだ」
「ただ、そんな気がするだけです」
ドレイクはうなり声を上げた。
「行ってこい。外に出たら気分も晴れて自信が出てくるだろうよ」
「わかりました、艦長」
どことなくしぶしぶといった様子を表現しつつ銀色のロボットはブリッジから出て行った。ほどなく、サイジーはハッチから真空の中に出た。船外活動用の噴射銃を使い、不明の物体へするすると近づいていく。

やがてサイジーが照らしたライトに物体が浮かび上がった。映像を一心に見つめていたドレイクはつぶやいた。
「小型クルーザーくらいだな。全体真っ黒でよく見えんが」
無線からサイジーの声が聞こえた。
「艦長、物体に何か動きがあります。ハッチのようなものが開いてます」
突然映像が映らなくなった。
「どうしたサイジー、何があった?」
「ハッチから出てきた何者かにレーザー光線とおぼしきものでライトを破壊されました」

無線から知らない声がした。
「宇宙の脅威号、そちらに危害を加えたりするつもりはない。俺を乗船させて欲しい」
「ふざけやがって、もう危害を加えてるだろうが。お前は何者だ」
「ロボットのライトは弁償するよ。俺のことはそちらに行ってから詳しく話す。頼むから乗船させてくれ」
「武力に訴える奴なんか乗せられるか。寝とぼけた野郎だ」
「どうしても乗せないというなら俺の船を爆破する。そうすればそっちの船にもかなりの損害が出るぞ。穴が開いて航行不可能になるだろう。乗船させてくれたら武器は渡すから、俺を乗せて話を聞いてくれ。頼む、キャプテン・ドレイク」
一瞬の間。
「ふざけた野郎だ。サイジー、そいつはどんな様子の奴だ? ライトがなくても他のセンサーでだいたいわかるだろ」
「宇宙服を着ていて、内部に生命体がいます。鼓動の様子からは人間と思われます」
「なんで鼓動までわかるんだ? いくらお前のセンサーが高性能でも真空中で音が伝わるはずない」
「今、私の腕を掴んで銃を突きつけています」
キャプテン・ドレイクはため息をついた。
「やれやれ、何で相手をそんなに近づけるんだよ。おい、名無しのお前。そっちにはまだ他に誰か居るのか?」
「いや、俺だけだ」
「わかった。じゃあ、こっちの条件を全て呑むなら乗船を許可してやろう。今すぐ武器をロボットに渡せ。すべての武器だぞ。それからロボットと一緒にお前の船に戻って、他に誰も居ないことを確かめる。そして船を爆破するとか物騒なことができないようになっていることが確認取れたら、RB-55 の貨物室はちょうど空いてるから船をそこに入れろ。それから話を聞いてやる」
「全面降伏しろというんだな。わかった。言うとおりにするよ」


正体不明の男は宇宙の脅威号に乗船すると徹底的な身体検査をされた。士官食堂でドレイク艦長は待ち構えていた。エリザベスがどうしてもと言い張ってドレイクが折れ、やはり同席した。エリザベスは海賊船宇宙の驚異号に乗船している女性。美貌と理論物理の学位を合わせ持つこの人物が海賊の不法行為に積極的に関わっているのかどうかの議論は世間で決着していない。

連れてこられた男は三十台半ばでやせぎす、狭い船内の出入り口に頭をぶつけそうな長身だった。一見屈託のない表情だが、眉間に深いしわがあり、長く何かを堪え忍んできたかのような雰囲気だ。男はエリザベスを見ると大仰にお辞儀をした。ドレイクから五、六メートル離れてひとつだけぽつんと置かれた椅子に座らされると脚を組みドレイク艦長の顔を凝視した。ドレイク艦長は腰からばかでかい銃を抜くとこれ見よがしに引き金にすぐ手が届く向きでテーブルの上に置き、連行してきた者達を下がらせた。部屋にはキャプテン・ドレイク、エリザベス、サイジーと男だけになった。男はキャプテン・ドレイクの顔を今や噛みつきそうな勢いで見つめていたが、やがて口を開いた。

「とうとう会うことができた。キャプテン・ドレイク」
「俺は別に会いたいと思ってなかったがな。さて、お前がどこのどいつで、これは一体どういうことなのかさっさと説明してもらおう」
「こんな騒ぎになってすまない。俺もこんな風になるとは予想外だったんだ。ただ、どうしてもあんたに会う必要があった。俺の名はマットだ。俺を知ってる奴は皆そう呼ぶ。ただ、マットと。あんたと同じく裏稼業の人間だ。もっともあんたと違って俺は一匹狼でやっているが」
「おまえは勘違いしている。俺は世間では海賊と呼ばれることもあるが、それを自分で認めたことはない。それはそれとしてお前の裏稼業とは?」
「まあ、いろいろとやってる。主には密輸だ」
「一匹狼で密輸? それじゃあ大した稼ぎにならんだろう」
マットと名乗った男は不快な顔をした。
「そうかもしれん。だがそれは俺の勝手だ。俺は自分に必要なだけ稼げればいい。一人でやれば仲間のへまで捕まることもない」
「密輸屋のお前が何でこんな力ずくなことをした?」
「これは密輸とは関係ない。どんな仕事とも関わりがない。別のことで俺はどうしてもあんたに会いたかったんだ。強引な手段になっちまったのはもうしわけなかったが、会いたいと思っても海賊にはそう簡単に会えるもんじゃないからな」
マットが『海賊』と言ったところでキャプテン・ドレイクはとがめるように人差し指を挙げた。だが口は挾まなかった。

「特にあんたは銀河中を仕事の場所としている。広い宇宙のどこにいるかさっぱりわからない。それでも俺は今回ヘラルトスのドックに入ってくる船があんたの船だと当たりをつけた。修理中には惑星ヘラルトスに降りるだろうから、そこで何とかして会うつもりだったんだ」
「ドックとの交信を盗聴したのは何故だ?」
「なんだって? それは…。船の形やサイズであんたの船だとだめ押しの確認をするためさ。ドックに登録されてた名前は宇宙の驚異号ではなかったからな。だけど、盗聴に気づいてたというのか? これまで気づかれたことなんかないんだが」
「気づいたからドックから緊急離脱したんだ」
「くそ、そうだったのか。俺は海に隠れててあんたが惑星に降りるのを待ってたんだ。それがどうしたわけか急にドックを離脱して離れていくから驚いた。これでもう計画がパーになったと思った。そしたらあんたの船が俺の隠れてる近くをかすめていったから一か八か追いかけて航行中のあんたの船に乗り込もうと思ったんだ」
「なるほど、そうするとフォート・デル・レイに押し入って情報を盗んでいったのはおまえだな」

この問いに一瞬沈黙があった。
「そうだ。でも、どうしてわかった」
「宇宙の驚異号の形状や細かいサイズは乗組員以外で公然と知ってる奴はいない。それにヘラルトスのドックに修理に行くだろうと予想するには最近どこに船が居たか知らなきゃならん。もしそういうことをお前が誰彼構わずに聞き回ってたら俺の耳に入るはずだが、何も聞こえてきていない。だとしたら情報の入手先としてはフォート・デル・レイが一番怪しい。押し入ったのがどんな奴か気になってたが、それがお前だとわかったのはひとつ収穫だ。盗んだ中に俺についてどんな情報があったのかは聞きたいが、そもそも俺に会いたいというのはどうしてなのか、そっちから先に聞こう」
「ああ、もちろんだ。話すよ」

マットと名乗った男は組んでいた脚をほどいて前のめりの体勢をとった。
「でも、それはちょっとばかり長い話になる。頼むからどうか最後まで聞いて欲しい。俺はあんたに特別な頼みがあって来たんだ。そしてそれが俺にとってどれほど重要なことかをわかってもらうにはどうしても長い話をしなくちゃあならない」
そこで少し間を取ったが、ドレイクは何も言わない。それを同意ととってマットは話を続けた。
「これからの話はずっと誰にも言わずに来たことだ。俺はそもそもある王国を治める王の息子として生まれた。六男坊として…」


        「覚えなき流刑(後編)」


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