韓国でのワーキングホリデー生活 5
僕のホームページで書いているものです。よかったら読んで下さい。
翌日、シンチョン(新村)へ行こうと、カンファムン駅から乗った。
僕は最初から勘違いをしていた。一回乗り換えるだけと考えていたのだが、全然違った。
乗っていて様子がおかしい。記憶していた駅名を言わない。え?どこにいるんだ今?と思い、とりあえず降りて外に出た。大きな漢江(ハンガン)と橋が見えた。マポにきてしまったようだった。ちょっと意味も無く歩いてみて、戻ってきて、えーこっからどうやって行くんだ?ってなった。しかも約束の時間に間に合わないのが分かった。
先生の携帯に電話して、今マポにいるので遅れるのと、どうやって行くのがいいか聞いた。
そこから結局ホンデ側から回ってシンチョンに何とか辿り着いた。こんなに苦戦するとは。しかも遅刻して、採用してもらえんかったらどうしよ。
そして改札を上がって行った。僕が上がりきる前に上から眺めていたおじさんが、ヨオッと手を挙げた。運命の出会い。バーガーキングの前。
その人はキムハクサンという人だった。カケハシという日韓交流カフェを立ち上げた人の一人だったような気がする。その時はJ-STATIONという日本語塾兼留学斡旋(韓国では多い形)をやっていた。韓国では語学院という言い方をする。
先生と話しながらJ-STATIONの方へ坂を上っていった。そのままJ-STATIONの前を通過して、オッケドンムとうい食堂へ入った。オッケドンムの意味は、たしか肩を組みあう位の同士だったと思う。先生が電話して、韓国人の女の子が一人合流した。そして、言われるがままにジャジャンミョン(ジャージャー麺)を頼んだ。
注文したものが出てきて、サービスの小皿が7つくらい出た。それで皆食べ始めた。初のジャジャンミョン。日本で食べたことがある中国由来のジャージャー麺とはまるで別物。どす黒い色。独特の風味。その時は特に美味しいと思わなかった。外国の料理食べてるなーという具合。ジャジャンミョンは胃にどしっと来た。僕はお腹いっぱいになったが、残すのが嫌なので小皿を全て食べた。そうしたらまた小皿に盛って出された。それを見て女の子と先生は、良く食べるね君~とびっくりしながら僕用にジャジャンミョンをもう一つ頼んだ。違うんだけどなー。
腹12分目位になって苦しかった。
韓国にいる時は好き好んで食べなかったが、日本に帰ってから、思い出すと食べたくなる。
インスタントのジャパゲッティはジャジャンミョンの味を良く再現してあると思う。
“ジャージャー麺×スパゲッティ=ジャパゲッティ”
店を出て、J-STATIONの隣のコンビニGS25の前でコーヒーを飲んだ。韓国のコンビニの前には大抵プラスチックの机と椅子、パラソルが置いてある。これは良いと思う。
その後、GS25の横の階段を下りてJ-STATIONに入った。何人か韓国人の20代位の男女がいて、机を囲んでわいわいレクリエーション的なものをやっていた。みんなに挨拶した。当時僕は24歳だったが、皆僕より若く見えた。実際は同じ位の年だったが。
それで、教室の中で先生と話をした。
先生:住むところは決まっているのか?
僕:決まってません。
先生:じゃあ、ここに通ったらいい。住む場所は見つけとくからいくらくらいがよい?
僕:安ければ安いだけいいですが。月300000ウォンとか。
先生:じゃあ、明日からこっちに住みなさい。家は探しとくけど、間に合わなかったら私のマンションにしばらく住んだらいい。
僕:・・・わかりました。
という事で明日からの生活が決まった。大丈夫かなあという思いもあったが、ここにいる生徒たちの様子からして、大きく騙される事は無いであろう。と楽観的に考える事にした。
それで、教室にいた韓国人の男の子と話したり、教室の本なんかを眺めていたら、日本人の若い子達が入って来た。どうやらここは、日韓交流スペース的な役割もしているらしい。
それで、入って来た日本人と前からいた韓国人が親し気にじゃれ合っていた。
学生ノリだなぁと少し照れ臭い気持ちになった。J-STATIONってネーミングもなぁ。
それで、その日本人と在日韓国人の人達と軽く話した。花子という女の子が結構ぐいぐい来る男っぽい子だった。
その時出会った中で今でも付き合いがあるのは、花子とハクサン先生位だ。先生とは3年位前に大阪で会ったきりになっているけど、また韓国に行くときは食事でもしようと思っている。
それで、みんなで街をぶらぶらしようという事になったので、僕もご一緒させてもらう事にした。
何か転回が早いなーと思っていた。
つづく。。。