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【スト6】#20 「なんで負けても楽しそうなの?」と君は言う


「なんで負けてるのに楽しそうにしてるの?」


とある日の対戦後にそんな質問を投げられた。
その日の戦績は10勝50敗ぐらいだった。当然負けているのが自分である。
時間にしたら4時間位は闘い続けていたかな。
それだけの時間闘い続けたのだ、当然の疑問だろう。
良い機会なので「なぜ負けても楽しそうなのか?」を考えていく。


1.質問の意味を考えてみよう

「なんで負けてるのに楽しそうにしてるの?」の質問、というか疑問か。
この疑問を投げてきたお相手の考え方としたら「負け=つまらない」がベースにあるのだと思われる。

格ゲーは特殊な場合を除き、必ず勝敗が決まるゲームである。
闘いを始めたら最後、勝利者となるか勝利者の足元で泣く敗北者がうまれる。勝ちと負けは嫌でもやって来る。
当然、お互いが勝ちを目指してプレイしているので、勝ちを掴み取るのが目的だ。目的を達成する瞬間というのは嬉しさがこみ上げてくる。
そうなると「勝ち=楽しい」の感情になるのは自然だよね。

では「負け=楽しい」と言っている人に対して「負け=つまらない」と思っている人は何を思うのか?たぶん、頭の中がハテナでいっぱいになっているだろう。人は理解できない物や事柄に対して恐怖を抱いてしまいがちだ。
つまり「なんで負けてるのに楽しそうにしてるの?」の疑問を投げてしまうのは相手を理解できないから理解する為に出てきた疑問なのかもしれない。
この質問/疑問に応えるには自分自身が「負け=楽しい」をきちんと説明できる様にしないとならないだろう。



2.なぜ負けても楽しそうなのか

改めてこの質問を考えてみると難しい。一言ではまとめられないので
分割して考えてみるとしよう。

最初に考えるのは「勝ち=楽しい」は絶対なのかどうか?だ。
例えば、対戦相手が放置プレイしていたとしよう。もちろん何も攻撃をしてこないので自分が勝つ。
もう一つの例えとして、対戦相手が全く同じ動きしかしてこないbotだとしよう。当然同じ行動しかしないのならインパクトやらなんやらで手痛いお仕置きをして勝つことは難しくないだろう。
さて、この2つの例えは字面だけ見れば勝ちであり「勝ち=楽しい」の式に当てはまる。

だがどうだろう、コレが楽しい感情に繋がるのだろうか?
個人的にはコレは楽しくない。勝ったけど、勝った内に入らない…そう言いたい。
実体験として、リリーでランクマッチを楽しんでいた頃、後1勝でプラチナ昇格という時に放置プレイヤーと当たった事がある。
当然勝利してプラチナへと昇格したわけだが、なんだかモヤモヤした。
目指していたプラチナランクへの到達と勝利が同時にやってきたのに
嬉しいという感情はやってこなかった。
この事からも自分の中では「勝ち=楽しい」は絶対ではないと考える様になった。




次は「負け=つまらない」について考えてみる。
確かに負けたらつまらないという感情はやって来る。
やって来るが、つまらないという感情のみがやって来るのだろうか?
例えば、お互いに1ラウンド取っていて残り体力が弱P1発でKOされる寸前まで激闘を繰り広げている状況だとする。惜しくもやられてしまったが、ゲーム内容的にはどちらが勝ってもおかしくないものだった。
負けではあるものの「惜しいー!悔しいー!もう一本!」と前向きになる事は無いだろうか?
もう一つの例えとして、対戦には負けてしまったが、練習していた難しいコンボを何回かゲーム中に当てる事が出来たとしよう。
コレは自分がコンボ練習を頑張った成果が現れた良いことだと言える。
出来なかった事が出来る様になった。コレは成長している。
成長している事は喜ばしいと思わないかい?
そんな喜ばしい事も負けたら感じる事はできないのだろうか?
「負け」というのは過程を楽しむ余地を全て無くしてしまうのだろうか?

個人的にはNOと言いたい。所謂「負けても得るものがある派」だ。
負けるという事は負ける理由が存在する。格ゲーにおいての負ける理由は何だろう?上位帯での闘いがどうなのかは体験した事がないので何も言えないが、少なくとも今の自分が居るゴールド帯での負ける理由は「自分があらゆる事ができないせいで負ける」が主な敗因だと感じる。
ここで言いたいのは負ける理由は相手にあるのではなく自分にあるということだ。

対戦相手は基本的に全員格上と仮定して闘っている。
そもそも格下と判断できる材料が何も無いのだ。ランクのポイントが下であっても、キャラの理解力が相手の方が上だとしたらわからん殺しもされるだろう。格上のミスが少ない格ゲーマー…ソレが闘い続けている相手の正体だ!…って考えたら、勝つのは難しいよね。
言い方を少し変えると「負ける理由が確かにあるよね」になる。
そして「負ける理由が確かにあるよね」とは決してキャラ性能や相性を理由に
負けを肯定して良い言い訳ではない。

「キャラ性能で負けた」「相性的に負けた」「運ゲーで負けた」
これらが本当の敗因になるのは相当やり込んだ者同士の闘いで起きるものだと考えている。
例えば、キャラ性能が良いとされているキャラを自分が使っていたとして
相手が自分の使っているキャラに対して相性が悪い(自分が有利)と闘ったとする。自分が負ける道理が無い!と思っていたのに負けてしまったら?
「運ゲーで負けた」と言うのだろうか。本当に運だけで自分は負けて
相手は運だけで勝ち続けているのだろうか。
逆の立場で考えてみよう。相手が高性能キャラ相性使用、自分が相性不利キャラで闘って勝ったとしよう。相手はソレに対して「運ゲーで負けた」と言う。そんなん納得できるかー!?いいや、できないね!

こちとら一生懸命コンボ練習毎日して、ちょっとでも反撃できるようにキャラ事の対策勉強して、緊張で震える手を落ち着かせながら闘って勝ちをもぎ取ったんだもんね!それを運ゲーの一言で済まされちゃあたまらんぜよ!
…って言いたくなりませんか?
そしてこうも思うはず「君が負ける理由は確かにあるね」と。

そう。負けた時の理由を相手に負わせる他責思想は恐ろしいことなのだ。
自分の改善点や知らない情報などを得る機会を失ってしまうのだ。
勝っても当たり前、負けても得るものが無い、そりゃそんなの続けていたら
「負け=つまらない」の考えになりますよね。
ただ、その考え方をしているのは自分自身で選んだことでわ?

そして、そんな考え方を自分がしてしまう事を一番恐れているのだ。
フレンド対戦、ランク対戦、身内対戦、何でもいい
全力で闘ってギリギリで負けた。そんな時に自分の口から出てくる言葉が
「キャラ性能で負けた」「相性的に負けた」「運ゲーで負けた」になるのが嫌だ。
だから「負け=つまらない」以外の楽しみを見つけ出そうとしているんだ。
そして自分に言い聞かせる「負ける理由が確かにあるよね」
その理由とは「自分があらゆる事ができないせいで負ける」
つまり負ける理由は相手にあるのではなく自分にある



3.負けても楽しそうな奴の正体

格ゲーは本当に難しいゲームだよ。
時間をかければ必ず上手くなれる!とも言い切れないし
強キャラ使えば誰でもマスターになれる!なんて到底無理だし
これだけ覚えればOK!な事も難しくて挫折しそうだし
ほーんと大変なゲームだよ。だから気に入った。
簡単に勝てないからこそ勝てた時の喜びは大きい

練習の成果を出せた時の自分を褒めてあげたい
強くなろうと悩んでいる自分が愛おしい
やはり格ゲーには格ゲー特有の面白さがある。

ただ、その面白さにたどり着くハードルが他のゲームと比べると高い。
座学で学んで
練習で動かして
本番で挑戦してみて
復習で改善点を見つける
そんな事を繰り返していくゲーム
こりゃ大変だ。
やる事いーっぱい!

だから負けて不貞腐れている暇がない
闘いの中で掴んだヒントを忘れる前に早く練習したい!
長時間のムチに耐えて耐えて耐えて
一欠けらのアメをありがたく頂戴する人物

もしかしたら負けても楽しそうな奴の正体は
誰よりも勝ちたがり屋さんなのかもしれない



つまり「なんで負けてるのに楽しそうにしてるの?」の質問の答えは



「勝ちたいから」




長々と書いたけど答えはシンプルだった


君はどうだい?



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