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読書感想文「継続するコツ」


本ではなくて、坂口恭平さんのnoteのマガジン「継続するコツ」を読んだ。


坂口恭平さんのことはいつかは忘れてしまったけど、何かのきっかけで知って以来、躁鬱大学、まとまらない人、自分の薬をつくる、いのっちの手紙、苦しい時は電話して、cook を読んだ。

坂口恭平さんの考え方を知ってから、すごく感化されて、何というか馴染んで来た感じがする。


noteを初めてからずっと、心の中に「どうせいつかは飽きてやめる」という諦めの感覚みたいなものがあって、続けることへのハードルの高さ、自分への信頼のなさ(悪いことではなく、自己理解的なニュアンス)を抱えていた。

そんな時にふと思い出して、「継続するコツ」を読むに至った。
読んでみて今感じていることを書き残す。




私は、文才などない。てか、どうやらnoteを続けることと才能は全く関係がないことがわかった。何かを継続できている人は、才能があるから続けることができるのではなくて、シンプルにやりたいから続けているということなんだろう。

私も、さながら自分のnoteの編集長として、日々取材し(何かを感じ)、文章化し、ビジュアル素材を集め(写真を撮り)、ヘッダーをデザインし、記事として発行し、雑誌のように積み上げている。その一連の流れと生まれたものを眺めることなら、めちゃくちゃ楽しい。
この楽しさだけで継続していきたいなって思った。

一方で、「スキを増やしたい」「毎日更新したい」「反響のある、誰かのためになる記事を書きたい」「いいことを書きたい」「ホッとするあたたかなことを書きたい」「小さな幸せを書きたい」「ライフハックを書きたい」「示唆に富んだことを書きたい」「論破したい」という思いで書き始めると、途端に萎える。自分起点という軸がブレると一気に義務感に支配される。でもそういう感情が生まれるのもまた事実。だから、楽しくないなーと少しでも思ったら、サインと受け取って一旦その記事はやめるようにしようと思う。

坂口さんは書く時間を決めて取り組んでいたけど、私は時間が決まっていると拘束されているように感じてしまい、それだけでやる気がなくなるタイプ。だから私は書く時間を決めない分、機動力を上げようと思う。スマホでもPCでもどこにいても書くし、ネットがなければ手元のメモに残すし、写真もいいのが撮れなければ夫など周りの人が撮った写真を拝借する。


私にとってのnote継続=自分が心地よく楽しく作りたい!と思ったものを、その時々の勢いに任せて生み出し続け、記事を増やしていくこと
と定義づけたい。
自分が発行する雑誌(note)は、自分の心身から生まれたものだけで満たしたい。
毎日更新してもいいし、何にも感じられない日は何もしなくていい。
記事にしたい!という気持ちが持てない時はいつまでも待ってもいいかもしれない。

生きている限り何かを感じ続けるだろうから、死ぬまで継続ということになるのか?まあそれは無理だろうな。
noteを発行することが楽しくなくなったら、そのことをまた書くとしよう。






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