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夏の終わりを告げる使者

9 月 7 日、月曜日。その日は朝から急に暑くなったり、ものすごい風が吹いたり、狐が嫁入ったりそんな天気で、電車とアポイントとの間、アポイントと喫茶店の間という、ほんの隙間で感じる温度や湿度が毎回違っていた。私は小さめのバッグに、小さめの便利グッズを詰め込むのが好きで、その日もさっと折り畳みの傘を出して雨を受け、英国紳士が髭をとくための小さなコームを取り出して前髪を直した。在宅が続いてずっとベンチ入りになっていたグッズを使いこなせて満足、どや。久々のヒールで六本木を闊歩した(靴擦れした)。

最近外出が増えてきて、「なんでもない毎日がなんでもなく流れていく毎日」みたいな毎日から少しずつ抜け出しつつあって、突然の蝉爆弾とか、不意に気付いたくちなしの香りとか、指の関節にできた蚊に刺された跡とかがめちゃくちゃ記憶に残るようになった。あー、これ夏やわ、夏っぽいわといちいち夏を数えていた。


社会人になる前は関西の実家にいて、「せっかくやから」と毎回持って帰らされる祖父母の野菜が自動的に夏を知らせてくれていた。鋭角に折れ曲がった胡瓜とか、食べてみないと甘いか酸っぱいか分からないロシアンルーレット的なトマトとか、いちいち夏は探さなくてもそこに在って、共に在った。


その月曜日は、六本木を闊歩した後、靴擦れの足を引きずって家にたどり着いたのが 19 時前。これは結構早い、19 時前に家に着くなんてめちゃくちゃ早い、とテンションが上がった。ずっと在宅で、家につくのが早いとか遅いとか関係なかったのに何と比べたのか謎だが、なんだかすごくホワイトな気分だった。Uber Eatsで麻辣担々麺(パクチー大盛り)を頼んで、TV でも見ながら期間限定のハーゲンダッツでも食べちゃおうか。


ぽち。

TV をつけたら丁度 18 時台と 19 時台の番組の間、看板の女子アナが今日のおすすめ番組を紹介し終わったところだった。録画一覧のボタンを押す前にちょっとトイレ。行って戻ってきたらライブ放送の音楽番組が始まっていた。確か録画してたからまた後で見よ、先に半沢直樹見よ・・・と、森山直太朗大先生だ。これだけ聴いてからにしようと、TV の前に正座した。


別の女子アナが出てきて「今の季節にぴったりの名曲を無人駅からお届けします!」と笑顔でお届けしてくれた。絶対あの曲や、そうその曲、皆さんご存知の「夏の終わり」だ。


透き通る民謡っぽい声とイントロ、奥から手前に流れる線路と木造の駅舎、そしてアコギの森山先生。完璧な画だ。耳が、心が、TV から流れる音と映像をごくごく飲んでいる感じ。ああ、たまらん。

久々の外出で五感が敏感になっていたせいか、A メロに重なる遠い鈴虫の声も捉えられる。あー、もう夏も終わりか。


「途方に暮れたまま 降りやまぬ雨の中 人影のない駅で」


夏の終わり、夏の終わりが今告げられた。


9 月になった日から、夕方電気をつけるのが早くなって、朝クーラーが寒くて目を覚ますことがあって、何となくそうかなと思っていたけど、やっぱり夏はもう遠のいていた。私は急に、夏の終わりを数え始めていた。


2 番に入ってあんまり歌詞を知らないあるある。視線がばらついて、あ、この曲って 2003 年の曲なんや、てことはもう 17 年前。17 年前ってことは 10 歳で小学生。お昼はラジオで FM802、夜は NHK からの歌番組で育ったら、そりゃ森山先生との出会いしかない。ラジオで好きな曲がかかったら、勉強机の上にあるラジカセの●REC ボタンを急いで押して、オリジナルコンピレーションアルバムを MD で作っていた。この曲は遠くから徐々に聞こえる音で始まるせいで、DJ が先に曲紹介をしてくれないときちんと録音できなかった。


「あれからどれだけの時が 徒にすぎただろうか せせらぎのように」


奥から手前に流れる線路と木造の駅舎、そしてアコギの森山先生。最初と同じ完璧な画がまた映っ て、からの寄りの画。あ、小雨が降っている。


いや、小雨どころじゃない。どんどんと降りしきっていく中で 2 番のサビは夏の終わり、ではなく夏の祈りを告げた。


突然、鼻の奥にぐっと来た。


突然、私は感動していた。
放課後の部活、25 メートル地点でのターンで、空気を食べすぎてプールの水まで入ってきた時みたいなツーンが来た。私は 6 年間水泳部だったのに、ターンのない短距離の平泳ぎしか得意じゃなかった。


テレビカメラのレンズはもはや水滴と光の反射しか捉えられないほど、雨が降っていた。それは溺れていた。

でも映像がなければまさか豪雨だと全く思わないほど、森山先生の変わらない声が透き通って聞こえていた。試合でプールに飛び込んだ後、それまで聞こえていた雨のような歓声が全く聞こえなくなって、自分の声だけが聞こえていたことを思い出した。あれが聞こえれば、自分は溺れずに前に進めるという謎の祈りを誰かに(自分に?)捧げながら泳いでいた。

元々内気で虚弱体質だった私は、常に内省的で自分の声を心の中で反芻する子供だった。やりたいことや得意なことがこれといってなく、勉強も別にそんなにできない。厳しいカトリックのミッションスクールで、信者でも何でもない私が学んだのは、自分を信じ、自分を信じてくれる人や包んでくれる環境に感謝し、また自分を信じるという、祈り方だったか?


あれだけ自分の内に接し、自然や旬に囲まれ、みんなに助けられてしかいなかった私が、東京に来て日々忙殺され、オフィスとタクシーにこもって光合成もせず、効率を目指し、そして 1 人でヒールを鳴らしている。


在宅の日々でもたげなおした昔のような本当の自分と、祈るように頑張る今の私が混在する日に、たまたま目にした映像と音が、色んな記憶と想いを呼び起こして錯綜させた。それを流れ出させてくれたその歌声と、たまたまの雨に圧倒的に感動して、祈っていた。便秘でたまっていたメンタルうんこを涙で一気に放出した感じ、スパーンと高い秋の空を見上げるような圧倒的爽快感がそこにはあった。


私は(人は?)、計算された効率的な線路の先ではなく、そこに在る事実に偶然性がかけ合わさった交差点の上で感情が揺さぶられ、何かが Update されると思う。でも歩いてきた線路を信じて、出会った交差点に感謝する、そこで見つけた新しい方向に歩くとまた線路と交差点があって・・・を繰り返す人生は、偶然を必然にする引力に祈りながら、色んなことを受け入れていくんだと思う。



・・・よく考えすぎだと言われる。
言われるけれど、夏の終わりを告げられながらの 4 分間、私は久々に人間活動を行った気がした。それはまさに夏の祈りだった。


翌朝、間接視野に入ってきたカレンダーの中では、メダルを着けた動物たちが表彰台の上で笑っていた。こんなにそうじゃない 8 月のカレンダーはないだろうな・・・あ、私の家の中は 8 月で止まっていた。


9 月 8 日、火曜日。カレンダーをめくって、9 月になった。
森山直太朗は、夏の終わりを告げる使者だった。私は、感動して思わず夏を祈る信者だった。


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