圧倒的自然摂理の前では、信者でなんでも何者でもない私も祈りを再生する一択になる場合の妄想
大きな白い建物の中、大小・2D3D・多色な作品が展示されていて、私は決められた順路に沿って箱の中を徘徊する。
人のような人でないような、百合の花のようなそうでないようなオブジェクトが描かれた作品の前に立って、これは聖母マリアを意味する…?と脳内再生する。カトリックの学校にただ通っていただけの、信者でもなんでも何者でもない私というオブジェクトが再生する。全く安い思考回路。
例えば、
今突然に地震が起きて、それまで遠く高くに見えていた白い天井が急接近してきて、私は全く身動きが取れなくなったとして、どうしてさっきあのペットボトルのお茶を飲みきってしまったんだろうとか考えながら、漏れ入ってくる光の先に多分この作品を観ることになる。
作品を視界に捉えたその瞬間、私は手を合わせて(腕が折れていたら脳内で)信者ではない私の真なる祈りを再生する。白い瓦礫の中で緩やかな強いやすらぎを得るために再生する。