【ショート・ショート】携帯電話
「……それで我が社の対応としては、どのような案が考えられるのかね」
杉山取締役の質問が会議室に響く。高田がライバル視している同期の松山課長のプレゼンが終盤に差し掛かっている。
この結果で、次の営業部次長が決定すると噂されている。部内発表の形を取っているが、ほとんどの重役が出席する事実上の昇進試験である。高田は、全勢力を注ぎ込んだ今回のプレゼンには十分自信があった。
――これなら勝てる。
密かにほくそ笑んだその時、胸の携帯が震えた。そっと取り出して発信者を見ると息子の名が表示されている。
――あれ程、会社には掛けてくるなと言っているのに。
先日、小遣いをせびる電話が掛かってきたとき注意したはずだ。高田は心で舌打ちしながら、電源を切った。
「次は、高田君」
プレゼンは成功裏に終わった。高田は、十分な手応えを感じた。資料を片付けていると、石山営業担当常務に肩を叩かれた。
「ご苦労さん。多分大丈夫だろう」
「ありがとうございます」
「ただ重役会議で正式に決定するまでは、呉々も慎重にな」
その時、会議室のドアを小さく開いて、若宮という女性課員がおずおずと顔を出し、高田を呼んだ。
「課長、奥様からお電話が入っているんですが……」
高田は若宮を一瞥して、
「はい、心得ております。それでは、常務失礼します」
会議室を出て行く石山の背中に一礼すると、若宮を睨むように見た。
「済みません。酷く慌てていらっしゃって。急いで呼んで欲しいっておっしゃるもので……」
高田は、若宮を残して早足で席に戻った。
「もしもし」
高田が保留中の受話器を取り上げると、取り乱した妻の声が飛び込んできた。
「克彦が大変なの、克彦が……」
妻は泣き崩れる。
「克彦がどうしたんだ、落ち着いて話せ」
妻と父を伴って警察に行くと、霊安室に案内された。
白いシーツを掛けられて横たわっている塊が一つ。案内してくれた初老の警官が、シーツの端をめくる。妻が喚いて、その場に崩れた。高田は、父に妻を外に連れ出すように頼んだ。
高田は、変わり果てた息子の青白い顔を見ても、感情が凍り付いたようで全く動かなかった。頭の一部が妙に醒めている。それを高田は不思議に思った。
どれほどの時間じっと側に突っ立っていたのだろう。
警官の咳払いで我に返った高田は、息子に手を合わせた。
「お悔やみ申し上げます。お悲しみはいかばかりかと、お察しいたします」
「……」
「こんな時に何ですが、これも職務でして。場所を変えて、少しお話を伺えませんか」
「……ええ……」
高田は、小さな薄暗い部屋に案内された。
「警察は、少年3名を容疑者として逮捕しました。札付きの不良共でして今取調中ですが、どうも……」
息子は不良に絡まれたが、隙を見て逃げたらしい。だが捕まって人気のない所に連れ込まれ、そこで抵抗されてカッとなった一人が息子を刺したということらしい。
――何で、こんなことに……。
「……通りで少年達が揉めていたのを目撃した食料品店のおばさんの話では、……」
その場に会社員風の男性もいたそうだが、関わり合いになるのを恐れて、見て見ぬ振りをして逃げたらしい。やり場のない怒りがこみ上げてきた。高田の握りしめた拳が震える。
人の良さそうな顔の警官の説明が続く。
「……連れていかれた少年が、なかなか出てこないので、心配になったおばさんが……」
様子を見に行ったら、不良達は逃げた後で、血だらけの息子が倒れていたそうだ。腰を抜かしたおばさんが、這うようにして店に戻り、亭主が慌てて警察と救急車を呼んだらしいが、到着した時には既に手遅れだったらしい。
何で、もっと早くに。せめて連れ込まれた時に警察に連絡してくれていれば……。
唇が切れて血の味が口の中に広がる。
「……息子さんの手には携帯がしっかり握りしめられていました。瀕死の状態で電話をかけようとしていたようです……」
――そう言えば、あいつから電話が入ったのはいつだ……。
高田は確認しようと携帯の電源を入れる。警官の言葉が遮った。
「……掛けた相手を調べてみましたが、高田さん、二度ともあなたのようです……」
「二度?」
着信履歴を確認すると、一度目から20数分後に二度目の着信があったようだ。
――あの時対応していれば……あるいは……。
「終わった……」
高田の手から携帯電話が滑り落ちた。
「えっ、何がですか?」
警官が尋ねたが、高田は呆然としたままだった。
落ちた衝撃で携帯電話がリダイアルされたらしい。
廊下を隔てた霊安室で、携帯の呼び出し音が鳴り響いた。
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