【ショート・ショート】おーい
「おーい」
呼んでしまってから、家内がいないことを思い出した。父親が手術するからと、昨日から実家に帰っている。仕方ない。立ち上がり掛けた時、娘が顔を覗かせた。
「呼んだ?」
「いや、かあさんがいないのを忘れていた」
「じゃーん、これでしょ」
娘が新聞を差し出す。背中に隠し持っていたらしい。
「ああ。すまん」
「おーい」
あっ、またやってしまった。重い腰を上げた途端、またもや、娘。
「はい、これね」
差し出す灰皿を受け取りながら「すまんなぁ」とボソリ呟く。私は怪訝な顔をしていたらしい。
「何?」
娘がいたずらっぽい目で聞く。
「いやな。お前、何にも言わないのによく分かるなと思ってな」
「そう分かってるんだったら、ちゃんと用件言ったら。お父さん、ずーっとそうよ」
「だけど今更なあ」
「お母さんがね、お父さん、困るだろうからって、出掛ける前に幾つか教えてくれたのよ。それにいつも、『おーい』、『おーい』って聞き慣れてるしね。気づいてないでしょけど、お父さんの言い方には、ちょっとした癖があるのよ」
「そうかな」
思い浮かべてみるが、自分では分からない。
「それからねぇ」
戻りながら娘が付け足す
「ん?」
「『おーい』だけじゃなく、偶には『すまんなぁ』もね。お母さん、きっと喜ぶから」
「そうだな」
段々家内に似てきた娘の後ろ姿を見送りながら思う。
そのうちに、娘を「おーい」と呼ぶヤツが現れるだろう。俺はそいつを許せるのだろうか。
吐いた紫煙が乱れた。
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