見出し画像

【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】リスト (13)

13.

<昭和四十三年七月十九日>

 同じクラスの安藤夏美は、お父さんの仕事の都合で引っ越すことになった。二学期からは別の学校に通うのだそうだ。
「好きな男の子がいたら、打ち明けてみたら」
 随分さばけたお母さんらしい。

 杉本隆は、放課後、大野美枝子に呼び出された。
「何だよ」
「なっちゃん、夏休みに引っ越すの」
「先生から聞いた」
「なっちゃん、隆君のこと、好きなんだって」
 嫌な予感が的中した。

「好きな女の子、いるの?」
「いいや」
「だったら、いいじゃない。なっちゃん、夏休み限りで、よそへ行っちゃうんだから、気持ち受け止めてあげて」
「そんなこと言われたって、僕、どうしていいか分かんないよ」
「嫌いだとか、他に好きな子がいるとか、兎に角、彼女を傷つけるようなこと、言わなければいの」
「そんなの、やだよ」
 美枝子は隆の手に手紙を押しつけた。
「約束よ、いい?」
 返事も聞かずに美枝子は走り去った。

 その時になって、隆は美枝子のことが好きなんだって気づいた。

 二十二日、終業式の後。
「なっちゃん、待ってるから」
 美枝子に腕を引っ張られ、半ば引きずられるようにして校庭の隅に連れて行かれた。夏美は下を向いたまま待っていた。
「ほら」
 美枝子が背中を押す。

「押すなよ」
「ほら、男でしょ」
 促されて一歩前に出ると、隆はいきなり頭を下げた。
「ごめん、僕、好きな子がいるんだ」
 夏美は目を丸くした。
「……」

「僕、ミーちゃんのことが好きなんだ」
「バカ、何てこと言うのよ」
 美枝子は思いっきり隆の背中を叩いた。
「ごめん。なっちゃんのこと、可愛いし、優しいし、嫌いじゃないけど。本当にごめん」
「何、言ってるのよ」
 美枝子は隆の背中を叩きながら泣き出した。

「ううん、いいの。正直に言ってくれて、ありがとう」
 夏美はにっこり笑った。隆はほっとした。
「元気でね。向こうでも勉強頑張ってね」
「手紙、書くわね」
「うん、僕も手紙出すよ」
「私も、手紙出す」
 美枝子は未だ隆の背中を叩きながら泣いている。
「何、泣いてるんだよ」
「バカ……」
「痛いから、止めろよ」

 隆は、美枝子の涙の理由が分からなかった。

<昭和五十一年十月二日>

 高松美枝子は夜勤明けで帰宅途中だった。この街にはどうしてこんなに大勢の人がいるのだろう。この街に住みだしてもう早五年。いまだに慣れることができない。

 杉本隆は電車を降りて、駅前の信号が青に変わるのを待っていた。美枝子は交差点に差し掛かった時、道路の向かい側に立つ青年の姿が目に付いた。
 あっ、あれは……。
 十年ぶりだった。顔もすっかり大人びて、背も随分伸び、髪型も変わり、少年期の面影は全くない。だが、なぜか直ぐに杉本隆だと分かった。

 目が合う。はっとして慌てて目を伏せるが、隆の視線を感じた。隆も自分に気づいたと分かった。
 ――こんな所でばったり会うなんて。
 美枝子は運命的なものを感じた。信号が変わり、うつむいたまま歩き出した。一歩踏み出す度に鼓動が高まる。息が苦しくなって顔を上げると、目の前に隆の顔があった。はっとしてたたずんだ。

 しばし黙ったまま見つめ合っていた。
 ――父のことがなかったら……。
 美枝子は居たたまれなくなった。
「ごめんなさい」
 美枝子は逃げるようにその場を立ち去った。隆は美枝子を引き留めたかったが、何もできなかった。待ってくれ。その一言が出ない。

 隆は歩き出した。追い掛けるか否か迷っていた。
 ――この機会を逃したら、二度会えないかも知れない。
 横断歩道を渡り終えた時、隆の腹は決まった。
 ――追い掛けよう。
 きびすを返して走り出した時、隆は右折してきた車に気づいた。

 一方、美枝子は道路を渡りきった所で立ち止まっていた。
 ――あの頃は二人ともまだ子供で、運命の波に翻弄ほんろうされた。でも今度は逃げてはだめ。
 美枝子が振り返ったのと同時に、急ブレーキの音がして、隆が車にはねられるのを目にした。

 道路に倒れて頭から血を流す隆。美枝子は駆け寄って何度も声を掛けた。うーん。隆はうめいた。意識はあるようだ。
 美枝子は応急処置を施しながら、
「救急車! 救急車を呼んで下さい!」
 あらん限りの声で叫んだ。

 救急車が到着すると、自分が勤務する佐野病院に運ぶように隊員に指示した。隆は頭から出血していて緊急を要する。対応出来る病院でうちの病院が一番近い。美枝子は救急車に同乗し、電話で病院のスタッフと連絡を取った。美枝子は今日のシフトを把握していた。外科も脳外科も腕のいい先生がいた。

 救急車の中で美枝子は隆の手を握って励ました。大きな手だった。
「隆、しっかりして!」
 隆の目が薄く開いた。
「隆」
 美枝子が見えたのかどうかわからない。だが口角が少し上がったように見えた。
「頑張って。もう少しで、病院に着くからね」
 美枝子が手の甲をさすると隆が握り返してきた。力強い手だった。

 その時美枝子は、今後何があろうとも決してこの手を離すまいと誓った。

 誰に何と非難されようとも……。

 この先どんな困難が待ち受けていようとも……。

<終わり>


よろしければサポートお願いします。また読んで頂けるよう、引き続き頑張ります。