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【ショート・ショート】ある秋の日の公園

 昨夜の雨が嘘のように、空は晴れ渡っている。雨に洗われた空気が一層透明感を増したようだ。
 早秋の公園は昼下がりでも少し肌寒い。
 久しぶりに訪れた公園の芝は、汚れを流して輝いている。山側に樹々が繁り、海側に芝生が養生されていて、その中を小径が通る。他には余計なものは何もない。そこが私が気に入ってる理由でもある。
 葉を落として軽くなった樹の枝々の間から日が射して、芝の上に日溜まりを作っている。その中にベンチが一つ。確か二ヶ月ほど前には、まだ樹の下に日差しを避けるように置いてあった。
 私はそれに腰掛ける。表板の、夏の灼けるような熱さとは違う温さが、適度に服を伝って体を暖めてくれる。

 ふっと見やると、向こうから老夫婦が歩いてくるのが目に入る。二人はゆっくりを歩を進めて、ベンチの前で立ち止まる。
 あっ。私はそれと気づいて脇に動いて席を空けた。ここは二人の指定席のようだ。
 夫婦は軽く会釈を返して腰掛けた。いつも、二人で今の時間ぐらいに公園を散歩して、このベンチで休んで、それから家に戻るのだろう。むつましげな二人を見ていると、心がなごんでくる。
 私は二人の人生に勝手に思いす。
 夫は会社員、妻はOLで、恋愛結婚。大病をすることもなく( 二人とも杖を使うこともなく、足取りもしっかりしていた )、長い人生を共に歩いてきた。一所懸命に働いて、住宅地に一戸建てを持った。子供は二人。女の子と男の子が一人ずつ。もう子供達は独立して、或いは結婚して家を出たのだろう。広くなった家を持て余しながらも、子供達が孫を連れて帰省するのを楽しみにしている。
 そして、いずれどちらかが欠けて……。それでも散歩は続けるのだろうか。


 私にも描いた未来はあった。あの人との生活を夢見ていたこともあった。
 あの日まで……。

 あの人の父親は小さな町工場を経営していた。父親は息子に跡を継がせる積りはなかったそうだ。
 しかし突然父親が病にたおれ、あの人は従業員の生活を守る道を選んだ。選ばざるを得なかった。あの人は会社を辞めた。あの人は慣れない仕事に追われて余裕をなくしていたし、私は私で自分を取り巻く環境の急激な変化に付いて行けなかった。あの人との間で小さないさかいが絶えなくなった。
 以前のように毎日は会えなくなって、二人の思いにずれが生じているのが分かっていた。だけど私はそのずれを修復しようとはせず、涙と共に流されていった。

 久しぶりにあの人に会った。
 そして、いつもデートで別れる時と同じようにホームまでは二人笑いながら歩いてきた。
「それじゃあ」
「うん」
 あの人は胸の辺りでそれと分からないほど小さく手を振る。私はそれを見ながら滑り込んできた電車に乗り込む。
 いつもならあの人は直ぐに背を向けて出口の階段に向かうのだが、今日に限ってなかなか立ち去ろうとはしない。いや、そればかりかステップに片足を掛けて乗り込むような素振りさえ見せる。
 あの人が思い直して足をホームに戻した途端、ぷしゅっと圧縮空気が注入される音がして唐突にドアが動き始める。すーっと半分ほど閉じた位置で一旦止まり、少し間を置いてどすんとドアは完全に閉まる。未練を断ち切るように。

 どちらからともなく窓に手のひらを当てる。ガラス越しに二人の手のひらが重なる。その瞬間、たったガラス板一枚、本の数ミリ隔てただけだけど、あの人が留まる世界と私が進む世界が違うことに気づいた。
 いや、嘘だ。私は今初めて気づいたんじゃない。
 あの人もそうじゃないかしら。お互い気づかないふりをしていただけで、今はっきりとしただけだ。
「僕には君が必要だ」
 あの人のその一言で、私が今向かおうとしている世界から元いた場所に戻ることはできた。でも、それは全く同じ場所じゃない。これまでにいたため息の分、流した涙の分だけずれていた。


 あれから二回目の春を迎え、あの人と一緒にいた時間より、別々に過ごした時間の方が長くなった。
 私はうに独り寝の寂しさにも慣れた。

 老夫婦はまだ休んでいる。その頭上に暖かな日差しは燦々さんさんと降り注いでいる。

 私はそっとベンチを後にした。



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