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【連載】ラジオと散歩と味噌汁と(13/15)

13.調和

 三度目の訪問。
 なく追い返されると覚悟していたが、意外にも義母は暖かく迎えてくれた。
「味噌桶を置いて帰られたから、必ず取りに見えると思ってましたよ」

 私は先日逃げ帰った非礼を詫びた。

 改めて仏壇に線香を上げて手を合わせた。今度は何とか君の笑顔を直視することができた。
 この写真は私が撮ったもの。なんともいえない表情も、あの日の服装も覚えている。
 今日の私をずっと覚えていてね、と言った君の笑顔だ。

「雅人さんだったわね。疲れているみたいだけど、ちゃんと眠れているの? きちんと食事してるの?」
 とお茶を勧める。義母の優しい言葉が、胸に迫る。私の名前を覚えていてくれたことも嬉しい。
「先日は、ごめんなさいね。せっかく冴子を訪ねてきて下さったのに。気が動転してしまって……」
「いいえ。僕の方こそ混乱させるような話ばかりして……」
「ろくに話も聞かないで追い返したらダメだって、冴子に叱られてしまいます」
 どうしてだか分からないが、義母は私を受け入れてくれたようだ。

「冴子には結婚を望んだ男性がいたらしいの。病気が分かって諦めたらしいけど。もしかして、それはあなただったのね」
「どうして私だと?」
「雅人さんが一所懸命に説明する姿を見ていたら、冴子の選んだ相手はきっとこんな誠実な人だろうなって……」
「……そうですか」
 義母は胸に込み上げるものを抑えるように、お茶を一口飲んだ。
「確か亡くなる二ヶ月前ぐらいかしら、『誰にも連絡しなくていいの?』って尋ねたことがあったんです。そうしたら、辛うじて自由になる左手で顔を覆って、『うん』ってむせぶんですよ。大泣きされるより辛くて……。それが忘れられなくて……」
 義母は目頭をハンカチで押さえた。私は歯を食いしばる。

 義母が落ち着きを戻すのを待って、
「あれ、冴子さんが使っていたものですか?」
 と仏壇の横に置かれた黒いSONYのラジオを指さした。
「そう。冴子はいつもベッドの脇に置いて聞いてたわね」
「あれ、もらえませんか?」
「壊れてるけど、それでいいの?」
「はい」

 そうなの?。義母はげんな顔で私を見たが、ふと思いついたように、
「そうそう。ラジオで思い出したけど、一年ほど前かしら、封筒の宛名書きを頼まれたことがありました。誰に? って聞いたらラジオの番組へのリクエストだって言うの」
「リクエストですか」
「ええ。『あの人のことは、本当にいいの?』って聞くと、まぶたをきつく閉じて……じっと涙をこらえて……。本当に不びんで……」
 また義母は鼻をすする。

「ごめんなさいね。私が止めてと言ったの申し訳ないけれど、もう一度、冴子のこと、話して頂けませんか?」
「はい、もちろんです」
 君を言うのに、先日の『娘』から『冴子』に変わっていることに気づいた。義母の中でどんな葛藤があったのか、私には思いも及ばない。それでも私の話を聞く気になってくれたことが嬉しかった。

 私は、君と再会した時点から順を追って話した。
 義母はじっと耳を傾けている。もう途中で話を遮ることはなかった。流産と発病のくだりでは嗚咽おえつを漏らした。私も堪えきれなくなって、時々声を詰まらせた。

 話し終えた後、しばらく沈黙が続いた。

 やがて義母は、
「よかったわ。冴子は一時でも幸せな時期があったのね。薄幸のままで人生を終えた訳ではなかったのね」
 と頬の涙を拭いた。

 義母は、私の話を信じてくれたのか、信じようと思ってくれたのか、それは分からない。だがどちらにせよ、一歩踏み出した。
 ありがとう。ありがとう。義母は私の手を取って、何度も礼を言った。

「もう一つ頂きたい物があるんですが……」
「何でしょう?」
「この味噌樽なんですが……」
「それは、あげるも何も、それはもうあなたの物ですよ。冴子との思い出の品でしょう」
 義母は形見という言葉は使わなかった。私も決して使うことはない。そう、これは冴子との思い出の一つだった。

 帰る前に、もう一度君の遺影に目をやる。澄み切った笑顔が切ない。
 君は、冴子はもういない。認めたくないが、そのことを事実として受け入れなければならない。苦しいが、そうしないと私は前に進めない。

「何度も来てもらって、辛い思いさせたわね。ごめんなさいね。よかったら、またいらして下さい」
 義母の言葉は、私への救済だ。目頭が熱くなった。

 義母は見送りながら、
「主人も雅人さんの話、聞きたがると思うわ。よかったら、またいらして下さいね」
 と頭を下げた。

<続く……>


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来戸 廉
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