【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】リスト (11)
11.
<平成二十六年十一月二十九日>
事態が急速に動き出した。発端は坂下亜由美に掛かって来た一本の電話だった。
亜由美の電話が鳴った。液晶画面に『緑風園』と表示された。
――緑風園?
知らない登録先だった。この携帯は祖母のお下がりだ。しばらく無視していたが、鳴り止みそうにないので恐る恐る電話に出た。
「はい……」
「山村美枝子さんの携帯でしょうか?」
「はい。そうですが、美枝子は七月に亡くなりました」
「えっ」
電話口で息を呑む気配がした。
「あなたは山村美枝子さんのご家族の方ですか?」
「はい。美枝子は祖母です」
「では、美枝子さんのご主人は、いらっしゃいますか?」
亜由美は警戒した。
「失礼ですが、どちら様ですか?」
「あっ、どうも失礼しました。亡くなったと伺って、年甲斐もなく、動揺してしまいました。この度はお悔やみ申し上げます。私、緑風園という老人ホームの、高橋と申します」
「ご丁寧に、ありがとうございます。祖父は別に住んでおります」
「それでは、お父さんかお母さんは、いらっしゃいますか?
「父でしたら、七時には戻ると思いますが……」
「分かりました。ではその頃に電話させて頂きます。詳細はその時に話させて頂きます。では失礼します」
用件だけ言って、電話が切られた。亜由美は携帯を見つめながら、
――おばあちゃん、老人ホームに入る積りだったの?
――いや。でも自分は病気だったんだから、じゃあ、おじいちゃんを……?
あっ、そうか。亜由美はこの閃きを早く誰かに話したくて仕方がなかった。
大輔の帰宅予定時間近くになると、亜由美は玄関まで出て待ち構えていた。
「ねえ、ねえ。お父さん、聞いて。おばあちゃん、おじいちゃんを老人ホームに入れる積りだったみたい」
「どうしたんだい、藪から棒に。最初から話してくれないと分からないよ」
「実はね、今日老人ホームからおばあちゃんの携帯に電話があったの」
玄関から居間まで行く時間も惜しみながら、自分の推理も交えて話した。
「それで、その人がそう言ったのかい?」
「ううん。私には、何も話してくれないの。お父さんかお母さんはいませんかって。子供だと思って馬鹿にしてる」
「だって、先方にすれば仕方ないさ。伝えるだけじゃなくて、何か判断を求めることが、あったかも知れないじゃないか」
先日の川崎市立図書館以来、亜由美には一向に出番が回って来ない。
――だとすると今度も用なしか。
あの時は精一が過分に小遣いをくれたから、亜由美としては二匹目の泥鰌を狙いたいのだが……。
「別に、子供扱いしたわけじゃないと思うよ」
大輔は、亜由美の不満顔の下までは推し量れなかったようだ。
七時かっきりに電話が掛かってきた。
「お父さん、来たわよ」
「もし、もし。坂下ですが……」
「山村美枝子さんの息子さんでしょうか?」
「はい、義理のですが」
「私、緑風園という特別養護老人ホームで、事務を担当しております、高橋俊彦と申します。今日は当院に入居されています、田原八重子様の件でお電話致しました」
「すみません、その田原八重子さんは、どういう方ですか?」
「山村さんからは、義理のお母さんと伺っていました」
「義理の母ですか?」
「そうです」
「それで、どういう用向きですか?」
「はい。私どもでは、年に二、三回の頻度で、入居者の健康状態などを、保証人の方に連絡することになっています。山村美枝子さんは、田原八重子さんの保証人になっておられましたので……。ですが、お亡くなりになったと伺いましたので、別の方を登録して頂く必要がございます」
「分かりました。一度、お話を伺いに参ります。住所を教えて頂けますか?」
次の日、亜希子が帰宅するのを待って、朝食の場で昨夜のことを報告した。この頃は、亜由美も早起きして参加している。
「その人、父のお母さんってこと?」
「話からすれば、そうなるな。いずれ、その人の戸籍を調べれば、お義父さんとの関係ははっきりするさ」
■
亜希子は精一と一緒に緑風園を訪ねた。最寄りは瀬谷駅だった。
「お父さん、そこって、お母さんが事故に遭った歩道橋がある駅じゃない?」
「そのようだな。と言うことは、あいつ、その何とかという老人ホームから帰る途中だったってことか」
「みたいね」
緑風園は、純和風の名前に似合わず洋風のホテルと見まがう、鉄筋コンクリート構造の四階建ての建物だった。ロビーに足を踏み入れた途端、
「随分高そうな老人ホームね」
亜希子は感嘆の声を上げた。
「そうだな」
精一は同意を示しながらも、田原八重子の入居費用はどうしたのだろうかと、そればかり気になっていた。
亜希子が受付で来意を告げると、高橋が出てきて二人は応接室に通された。そこで一通りの説明を受けた。
緑風園は介護付有料老人ホームで、医療機関とも連携しているため、亡くなる寸前まで入所が可能とのことだった。費用は入所時に一括で払い込まれているので、追加の費用は発生しないとのことだった。
費用の出所が気になったが、精一は田原八重子の保証人変更登録の手続きをした。
「お会いになりますか?」
面会室で待っていると、職員が車いすに乗せて田原八重子を連れてきた。
「こんにちは」
二人が挨拶すると挨拶を返してくるが、八重子の表情に動きはなかった。
亜希子は職員を部屋の隅に呼んで、
「八重子さんは、認知症ですか?」
と尋ねた。
「はい。九十歳過ぎた辺りから、大分症状が出ています」
「母のことは、分かったんでしょうか?」
「多分。美枝子さんには、笑顔で話していらっしゃいましたから」
亜希子が八重子の側にしゃがんで、
「八重子さん、息子の隆さんですよ」
と言うと、隆の名前に一瞬だったが、はっきりとした反応を見せた。
「お父さん、大丈夫よ」
亜希子は、じっくり時間を掛ければ親子の関係を取り戻せるだろうと思った。
■
田原八重子の戸籍を調べると、長男がいることが分かった。名前は杉本隆。離婚後、元夫は既に亡くなっていた。
「あっけなく謎は解けたわね」
「いや、あっけなくも何も、そもそもお義母さんは、謎解きとか考えていなかったと思うよ。ただ事故で亡くなったから、こんな予期せぬ形になっただけでね」
「俺が、杉本隆だったってことか」
「そうですね。両親の離婚後、隆少年は母方の姓を名乗ったんでしょね。石井雅子さんが言うように『両親が破産して夜逃げ同然で故郷を出た』のなら、名前を変えて心機一転を図った気持ちも理解できます」
「都築には、あいつは『お呪いだ』って言ってたそうだ」
「亜希子、お前も言っていたじゃないか、『この頃、お義父さんが、生き生きしてきた』って。お義母さんが望んでいたのは、そういうことじゃないでしょうか。お義父さんが。無気力なったり、自暴自棄にならないように、最後にちゃんと解答まで用意してあるなんて、やはりお義母さんらしいですね」
「本当にね」
亜希子は今更ながら父への母の愛に感じ入って声を潤ませた。
「隆を隆司、それに読み方も、タカシからリュウジへ。少し調べたんですが、戸籍には読みは記載されないから、どう読んでもいいらしいです。それに戸籍の名前を変更するには、家庭裁判所の許可が必要なんですが、通称を長期間使って実績を作っておくと、申し立てる際に通りやすいらしいです。まあ、そこまで当時の隆少年が、考慮していたとは思えませんが」
精一は、大輔の話を一々頷きながら聞いていた。
大輔は、直截的なところがあり、人の心情に対しての配慮が少し足りない面があるが、直情型の自分とは違い、論理的に物事を考える。そういう点で、精一は大輔を苦手に思いながらも一目置いている。
「お父さん、どうするの?」
「何をだ?」
「本当の名前が分かった訳でしょう」
「でも山村精一として、四十年近くあいつと一緒に、歩いてきたからな。今更何も変わらないさ」
――おじいちゃんが杉本隆だったんだ。
亜由美は、祖父と両親が話しているのを聞きながら、美枝子から預かった手紙をいつ精一に渡すかタイミングを考えていた。
<続く>