見出し画像

【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】『クール・ストラッティン』、再び (4/8)

主な登場人物
石井健一(プー):ジェイQの元メンバー。サックス担当。プロのサックスプレーヤー。
川口景子(ママ):ライブハウス『ジョイ』の経営者。
笠井三郎(サブ):ジェイQの元メンバー。ピアノ担当。ガンのため死亡。
安田久雄(ジョージ):ジェイQの元メンバー。ドラムス担当。安田運輸株式会社社長。
米田正志(マーシー):ジェイQの元メンバー。ベース担当。トラックの運転手。運輸会社勤務。
マスター:ライブハウス『ジョイ』の元経営者。病気のため引退。川口景子に後を託す。

4.スカウト

 石井が『ジョイ』に出演するようになって早二年が過ぎていた。石井は大学生活三年目の秋を迎えていた。相変わらず大学には行かずライブハウスと自宅とを往復する毎日だった。どう足掻あがいても単位が足りず留年は確実だったが、大して気にもしていなかった。
 景子は大学生になった。『ジョイ』へも薄く化粧をして来るようになった。このバイトも四年目。店を持つのが夢だという景子は夜遅くまで店にいることも多くなった。アパートを借りて一人暮らしを始めたのもこの頃だった。


 ある日。開演一時間前の店にぶらりと男が一人で入ってきた。店内を見回してステージから一番遠いテーブルに座る。男は注文を取りに来たマスターに、
「店の責任者にお会いしたい」
 と言った。自分がそうだと答えると、
「サックスの石井さんと話がしたいのですが、終わった後、紹介してもらえませんか」
 と頼んだ。差し出された名刺に、マスターは男を二度見した。

 マスターと男の話はしばらく続いた。

 石井は帰り際にマスターから呼び止められた。石井はメンバーを見送って店に戻った。店内の灯りは一角だけ残して落としてあり、席には見知らぬ男が座っていた。

「プー、こっちだ」
 マスターの呼び掛けに応じて石井が近づくと、男は立ち上がり名刺を差し出した。
「私、青木と申します」
 そこには全国的に有名なジャズバンドの名が書かれており、そのマネージャーというのが男の肩書きだった。現在バンドは全国ツアー中で今は九州内を回っていると言う。
「単刀直入に申し上げます。うちのバンドに参加する気はありませんか?」

「えっ、私が、ですか」
「そうです。先程のあなたの演奏を、聞かせてもらいました。実は、サックスが近々辞めることになりまして、代わりを捜しているんです。もちろん何人か候補者はいます。だが、あなたのスタイルが、うちのバンドに一番合っていると、私はそう思ってます」
 漠然と思い描いていたプロになるという夢が、現実となって降って湧いてきた。しかもいきなりメジャーデビューだ。石井は、マスターを見る。マスターは小さくうなづいた。

「ご家族やバンドのメンバーの方とも、十分話し合ってください。九州のツアーが終わるのが一週間後です。時間が無くて申し訳ありませんが、それまでにご回答いただけませんか」
 男は立ち上がった。
「いい返事を期待しますよ。あなたにとっても、決して悪い話ではないはずですよ」

 男が去った後も石井は名刺に目を落としていた。

「あの時は嬉しさよりも、迷いや不安の方が大きかったかな」
「私も気が動転して、皆に酷いこと言っちゃった」
「でも、誰も口に出さなかっただけで、いつか終わるって、皆分かっていたはずだよ」
「プーさんはどうしてプロになりたかったの?」
「自分でもよく分からない。強いて言えば ”血” とでも言うのかな」
「血?」

「そうだ。俺もつい先日、お袋から聞いたんだが、親父も若い頃、プロを目指していたんだそうだ。昼間アルバイトしながら、夜はバーやクラブで演奏する、そんな毎日だったらしい。その頃、お袋と知り合って、一緒にむようになったんだそうだ。母もカフェの女給をやっていたが、何せ食えなくて、布団から家財一切合切質屋に預けたこともあったらしい。仕事が決まると、サックスと黒いスーツを質屋から出して、終わるとまた質草にする生活だったそうだ。俺を身籠みごもった時、お袋は随分迷ったらしいが、意を決して別れを切り出したそうだ。問い詰められて理由を打ち明けると、親父はすっぱり音楽を諦めて、普通のサラリーマンになる道を選んだんだそうだ」

「親父はそのことをずっと俺に黙っていた。いや隠していた。俺が高校に入ってサックスが欲しいと言った時、親父は中古を扱っている店に連れて行って、自ら選んでくれたんだ。変な癖が付くと後で直すのが大変だからと、正しい呼吸法とアンブシュア(マウスピースをくわえるときの口の形)を叩き込まれた。普通ならその時に、そんなことができたのも、かつてそういう世界にいたからなんだって、誰にでも気づくよな。でも俺は、サックスが手に入ったことが嬉しくって、他のことまで頭が回らなかった。親父が死んだ後、母からそんな話を聞かされて、自分の馬鹿さ加減をのろったよ。親父は何も言わなかったけど、自分が諦めた道を息子が歩くことに、途惑いと同時に喜びを感じていたそうだ」

「俺がプロになるって宣言した時、親父は何とも言えない、悲しそうな目をしたんだ。もっとも親父に反対されても、俺は決心を変えるつもりなんかなかったから、その理由なんか考えもしなかった。自分の血が俺にも色濃く流れているのを感じたんだろうな。自分の果たせなかった夢を俺に託したのかも知れない。色んな思いを胸に仕舞い込んだままっちまったから、本当のところは分からないけどな」

「いいわね、男って。バカじゃないかってあきれるほど、夢に向かって突っ走ることができて。時々うらやましくなる時があるわ」

 そして、青木との約束の日が来た。

 石井は未だ迷っていた。独りで悩んでいた。決断したのはライブが始まる直前だった。
 ライブが終わった後、石井はメンバーを集めて先日の話をした。

「突然のことで、みんなにはすまないと思う。だけど、俺、挑戦してみたいんだ」
 石井は頭を下げた。
「数日前から考え込んでいたから、何かあると思ってたよ。やれよ。プーならできるよ」
 サブがすかさず言った。
「俺たちも応援するよ」
 ジョージもマーシーも賛成してくれた。

「じゃあ『ジェイQ』はどうなるのよ?」
 景子はメンバーに詰め寄った。
「そうだな、これで解散だな。プーの代わりを捜してまで、続けるつもりはないよ」
 サブが淡々とした口調で言う。
「そんな簡単に終わりにしていいの? このメンバーでプロになるって道はないの?」
 景子は、メンバーを見渡した。
「僕の力量ではプロは無理だと思ってる。それに、いよいよ授業が忙しくなってきて、ライブも少し控えようと考えていたところだ。四年生になると教育実習が始まるし……。いい引き時だよ」
 サブは自分に言い聞かせるように何度も何度も頷いた。

「ジョージさんは、どう思うの?」
 景子は諦めない。
「うちは運送屋だからな。後を継がなくちゃならないから、初めからそんなこと考えてないよ」
「マーシーさんは?」
「アマチュアだから、そこそこやれたんだと思う。結構いい思いもさせてもらったし、この辺りが潮時かな」

「それでいいの? みんな、本当に、それでいいの?」
 景子にはメンバーの煮え切らない態度が我慢できない。
「今までやってきたのは、何のため。プロになるためじゃなかったの。挑戦する前から諦めて、それでいいの?」
 三人は黙っていた。景子はそんな態度にも苛立ちを隠せない。
「私、そんなの嫌だ。まだ終わりになんか、しないでよ。もっと続けてよ」
 メンバーの誰一人として自分を責めないのが石井には辛かった。景子のきびしい言葉が反って有り難かった。

「滅多にないチャンスだ。逃す手はないよ」
 それまで黙って皆の意見を聞いていたマスターがおもむろに口を開いた。
「何よ、マスターまで……」
「うん。景子ちゃんの気持ちもよく分かるよ。夢を追うのは若さの特権だからね。だが一方で、夢だけじゃ食っていけない現実もある。夢に突き進むのも、それを諦めるのも、どっちも勇気のいることだ」
「でも……」
「うん、そうだね。でもね、先生になるのも、就職するのも、家業を継ぐことも、決して楽な道じゃない。みんなチャレンジなんだ。それぞれ進む方向は違っても、それぞれが一所懸命頑張っていれば、それでいいんじゃないか」
 マスターはさとすように言った。
「でも、やっぱり『ジェイQ』がいなくなるの、寂しいよ……」
 景子は唇を噛みしめた。

「懐かしいわね。私も若かったから、一方的にみんなを責めちゃって。悪いことしたわ」
 言葉とは裏腹に景子は笑った。ほおにえくぼができる。景子は心持ち顔を上に向けて目を宙に彷徨さまよわせた。あごからのど元の稜線に薄く脂肪が付いて柔らかなラインを描いている。
 ――いい年の重ね方をしている。
 そう思った刹那せつな、欲情が込み上げてきた。石井はそれを抑え込むようにグラスを傾ける。カチンと氷が乾いた音を立てた。

「あっ、ゴメン。気づかなくて」
 景子は手を伸ばしてグラスを受け取った。残った氷をカウンター越しに流しに捨てる。一杯に伸ばして無防備になった胸から腰にかけての線がひどく官能的だった。
「もう、じろじろ見ないの。若さをひけらかす年じゃないんだから。感じ悪いわよ」
 石井の視線に気づいた景子がにらむ。
「いや、何も若さだけが女性の魅力じゃないよ」
「何よ、見てほしい時には、全然見向きもしなかったくせに!」
 景子は新しいグラスをちょっと乱暴に置いた。水割りが波立って氷が揺れた。

「マスターとのこと、ちっとも聞かないのね」
 景子はいきなり核心を突いてきた。
 尋ねたいことも山ほどある。しかしジョージ達は明らかに避けている様子だった。空白の時間を埋めるためには避けては通れぬ道だが、今はえて踏み入る勇気はない。
「聞いて欲しいのか?」
「ううん」
 景子はうつむきがちに首を横に振った。

「その気になったら自分から話す、昔からそうだろう。それまで待つよ」
「よく知ってるのね、私のこと。少しは見てくれていたんだ」
「やけに突っかかるなぁ。何か気に病む事でもあるのか?」
「ううん、違うの。今だって、プーさんと一緒の時間だもの、楽しいに決まってる。だけど悲しいのよ、もう若くないんだってことが。気持ちのままに突っ走れない自分が、もどかしいのよ。昔だったら何も考えずに、好きな人の胸に飛び込んで行けた。だけど今は行動する前に考えてしまう。相手の迷惑とか世間体とか、そんなことばかり気にしてる」
 景子は眉を曇らせた。

「俺だってそうさ。黙って抱き寄せればいいものを、何だかんだと理屈を並べて」
「難しいのね、男って」
「分からないのは、女も一緒さ」

 ――若かったんだなぁ。
 記憶の扉を開くとおりとなって沈んでいた思いや感情も一緒に舞い上がる。そしてそれらは直ぐには落下することなく長い間心の中を漂うことになる。
 石井はおもはゆさを覚えながら解散ライブの夜に思いをせた。

<続く>


いいなと思ったら応援しよう!

来戸 廉
よろしければサポートお願いします。また読んで頂けるよう、引き続き頑張ります。