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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】『クール・ストラッティン』、再び (3/8)

主な登場人物
石井健一(プー):ジェイQの元メンバー。サックス担当。プロのサックスプレーヤー。
川口景子(ママ):ライブハウス『ジョイ』の経営者。
笠井三郎(サブ):ジェイQの元メンバー。ピアノ担当。ガンのため死亡。
安田久雄(ジョージ):ジェイQの元メンバー。ドラムス担当。安田運輸株式会社社長。
米田正志(マーシー):ジェイQの元メンバー。ベース担当。トラックの運転手。運輸会社勤務。
マスター:ライブハウス『ジョイ』の元経営者。病気のため引退。川口景子に後を託す。

3.バンド結成

 時は1975年。

 大学の入学式の翌日のことだった。
 石井はキャンパス内を歩いていて声を掛けられた。入部しないかと誘う。
「やるんだろ、音楽」
 中背で小太りの男は石井が持っていたサックスのケースを指さした。少し肌寒い陽気だったが彼は薄ら額に汗をかいている。石井が頷くと、
「そんなに広くはないけど、練習場所もあるよ」
 と言いながら石井の返事も待たずにすたすた先を歩いていく。石井は遅れないように付いていった。
 軽音楽部の部室は学生会館の一角にあった。四十畳ほどの部屋の片隅にグランドピアノが一台ぽつんと置かれている。彼は入部受付の担当者に石井を預けて外へ出て行った。学部と名前を名簿に記入し二ヶ月分の部費を払っただけで入部手続きは終わった。

 次の日から教室へは行かず部室へ直行する日々が始まった。決まった時間に練習があるわけでもなく、気に入った仲間と組んで好きな音楽をやれる、いたって縛りの緩いクラブだった。そんな空気がとても心地よかった。

 石井がテナーサックスを始めたのは高校からだった。中学の時思いを寄せていた女子を追って入部した吹奏楽部でテナーを任されたのが切っ掛けだ。二年の時ジャズに出会いソニー・ロリンズに陶酔とうすいした。何度も繰り返しレコードに針を落とし擦り切れるまで聴いたものだ。

 石井はリードをケースから取り出し口に含んで湿らせる。その間にマウスピースをネックに取り付けた。柔らかくなったリードをマウスピースに取り付ける。それからネックを本体に差し込んでストラップで首からぶら下げた。マウスピースの位置を調節してチューニングを終える。それから基礎的な運指を一通りやって、ロングトーンとスケール練習に入った。

「へぇーっ、君だったんだ」
 一時間ほどのウォーミングアップを終えた頃、背中から声を掛けられた。振り返ると先日の彼が立っている。彼はピアノ前に座ると、
「ちょと、音、出してみてよ」
 と言った。石井は彼の言い様にかちんと来たが、気を取り直してコピーしたばかりのソニー・ロリンズの『セイント・トーマス』を吹き始めた。

 音の流れに、彼がさおさしてきた。出過ぎることもなく、隠れ過ぎることもなく、ピアノは控えめにリズムを刻みながら、メロディを追っていく。レコードでは、ドラムソロになるところを、彼はピアノソロに変えた。キーを叩く指が踊る。音の波がうねり弾けた。
 石井のアドリブは、正確にはアドリブではなく、アドリブのコピーだ。覚えている限りのフレーズを繋ぎながら、演奏を続けた。再びピアノにソロを渡す。鍵盤の上で跳ねる指。上体を揺する度に飛び散る汗。ピアノの合図でメロディに戻る。石井は目配せして終わらせた。

 どれくらいの時間が、過ぎたのだろう。レコードでは七分弱の演奏だが、石井には一時間以上に感じた。
 力んだつもりはなかったが指はこわばり肩で大きく息をついていた。彼は汗だくの顔をハンカチで拭いている。
「僕、笠井三郎。教育学部一回生。サブでいいよ。君すごいね」
「俺は、文学部一回生、石井健一。君こそすごいよ」

 意気投合した二人は、そのまま夜の街に繰り出した。


 まもなくしてサブはジョージを連れてきた。
「彼は安田久雄君。君と同じ文学部一回生。ドラムス担当だ」
「女の子にもてるんだろ」
 よく日に焼けた、がかいのいい、大きな声でよく笑う男だった。高校の時ロックバンドでドラムスを叩いたことがあると言う。体力的には何の問題もなさそうだった。

 ベースは軽音楽部以外から募集することにした。二、三日してマーシーが部室に現れた。開口一番に、
「俺、経済学部一回生で、米田正志って言います。ポスターで見たけど、『未経験者、歓迎。お酒、飲み放題』って、本当?」
 と聞く。石井は反対したのだが、本気で集めるにはこれくらいのインパクトが必要だとジョージが問題の文言を入れた。ほら見ろとばかりに石井がサブの脇腹を小突こづく。サブは、
「まあライブハウスで演奏できるようになれれば、可能性はあるよ」
 と曖昧に答えた。
「可能性か……」
 マーシーは少し迷っていたが参加の意志を告げた。彫りの深い甘いマスク。体は細いが何より指が長い。上背もありベースの扱いに手こずることはないと思われた。ただ全く経験が無いのが気になったが、
いかつい野郎ばかりじゃ女性客は逃げちゃうぜ」
 とジョージが押し切った。

 動機は余り純粋とは言えないが、ともあれバンドが誕生した瞬間だった。

 リーダーはサブ、バンドの名前は『ジェイQ』とした。ジャズ・カルテット、略してJQ。何の変哲も無い名前だったが、特に誰もこだわりはなかった。ただ余りに文字数が少ないからと『J』だけはカタカナにした。

 それからというもの、昼夜を問わず練習に明け暮れる生活が始まった。ほとんど素人同然だった二人も半年過ぎたあたりから次第に様になってきた。


「この曲を、レパートリーに加えようと思うんだ」
 ある日サブが持ってきたのがソニー・クラークの『クール・ストラッティン』というレコードだった。
 石井はレコードジャケットを一目見て気に入った。
 黒いタイトスカートからすらりと伸びた脚。闊歩するハイヒール。上半身は写ってないが、つんとすました顔が浮かぶ。将に、クール・ストラッティンかっこよく気取って歩いている、いい写真だと思う。
 当時のジャケットデザインは凝ったものが多く、それがよかったら演奏も素晴らしいと云われた。取り分けこれはその典型だと思った。

 サブはアルバムタイトルにもなっている『クール・ストラッティン』という曲の譜面を配った。レコードではトランペットが加わったクインッテットでサックスもアルトだったが、それを『ジェイQ』に合わせて書き直してあった。
「譜面ぐらい読めなくっちゃ。プロを目指すんだったら、絶対必要だよ」
 面倒くさがる石井にサブはピシリと言った。プロという響きが心をくすぐる。石井がプロを意識し始めたのはこの頃からだ。
 数日間の練習の後、メンバーが通しで演奏した。満足のいく出来になっていた。そして全員一致でこの曲をライブの最後に演奏するナンバーに決めた。


 10月。近隣の大学が共催したジャズフェスティバルが市民会館ホールで行われ、『ジェイQ』はそこでデビューした。彼らの演奏は大好評だった。気をよくした四人は次なる演奏の場を求めていた。
 そんな折りサブのつてで『ジョイ』というライブハウスに出演できることになった。月に二、三回。不定期ではあるが演奏させてもらえる。その上終わった後に食事と酒にありつけるという。それが何よりも嬉しい。サブはマーシーとの約束を果たせてホッとしていた。

「プーさんと初めて会ったのは、この店の前でよね。ホントおかしかったわ」
「ちぇっ、つまらないことをいつまでも覚えているんじゃないよ」
「私、あの時は笑いすぎで、お腹の筋肉が痛くなったの、今でも覚えてる」

 景子との出会いは、この店だった。そこでアルバイトしていたのが、景子だった。景子は当時17歳の高校二年生。花も恥じらう(かどうかは別として)乙女だった。

 何度目かのライブの日。石井は店に入ろうとするセーラー服を見掛けた。石井が卒業したK高校では登下校時の飲食店への立ち寄りは禁止されていた。彼女の制服はK高校のものではないが市内の大方の高校の校則は同じようなものだ。どんな小さなトラブルにせよ軌道に乗り始めたばかりのバンド活動にけちを付けたくなかった。
「君、高校生だろ。こんな所に来ちゃダメだよ」
 石井は柄でもないなと思いながら注意した。即座にお下げ髪は不満を露わにする。
「私、ここで働いているんです。プーさんより、私の方が古いんだから」

 石井がいぶかしげな顔をすると少女はさっとお下げをほどく。そしてポニーテールに束ね直して、その先を丸めてお団子にしてヘアピンで止めた。
「あっ」
 石井は言葉をんだ。いつもカウンターの中でてきぱき働いている女性が現れる。石井がひそかに好意を抱いていた女性だった。
「どう、わかった?」

 声も話し方も変えている。石井は彼女を年上だとばかり思っていた。
「女は魔物なのよ」
 彼女はいたずらっぽく笑う。すると両頬にえくぼができて、あどけなさを覗かせた。石井はこの落差に戸惑いを隠せなかった。
「私、景子。川口景子。現在、二年生。よろしくね、プーさん」
 景子はドアを開けて招く。石井は憮然ぶぜんとした顔で脇を抜けた。

「おう、早いな」
 マスターが前掛けで手を拭きながらカウンターから出てきた。四十路を過ぎた今もヒッピー風に髪を伸ばして鼻の下にひげを蓄えている。石井は黙ったままペコリと頭を下げた。真っ黒に日焼けした顔が、
「元気ないなぁ。どうかしたのか?」
 と首を捻る。それを見て景子はまた笑った。

 ライブ中、時折目が合うと、景子はカウンターの中からウィンクを投げてよこした。
 ――ちぇっ、面白がってやがる。
 揶揄からかわれていると分かっていても、その度に少しときめく自分が情けない。結局その日は今一つ調子に乗れないまま終わった。
 アンコールで『クール・ストラッティン』を演奏するサブが景子を熱い目で見つめていたことを、その日始めて知った。

 この日以来、石井は景子をぐっと身近に意識するようになった。声が弾む、沈む。顔が輝く、曇る。そんな景子の仕草一つひとつが目に付き、気になる。その都度その視線の先に誰がいるのか、やきもきした。自分がこれほどまでに悋気りんきが強いとは思ってもみなかった。
 しかし意地でも無関心を装う。絶対に自分からは気持ちを明かすまいと決めた。


 石井は大学二年生になった。ライブでやるようになって半年が経ち演奏に余裕ができるようになっていた。

 70年代半ばから80年頃。その頃、世は正に空前のジャズブームを迎えた。全国至る所でジャズコンサートが行われ、複数のグループが参加する大規模な野外コンサートも催された。また著名なジャズ・ミュージシャン達も次々と来日した。
 ジャズ喫茶も雨後の筍のように、あちこちにオープンした。ライブハウスも御多分に漏れず、このブームにあやかった。ライブハウスの演目はジャズ一色に塗り潰された。しかし国内のプロは引く手数多あまたで、地方都市の小さなライブハウスでは中々呼べない。スケジュールもギャランティーも合わない。そこで学生バンドにも声が掛かることになったが、それでも十分に客が入るほど世の中が浮かれていた。

 『ジェイQ』にも追い風が吹いてきた。『ジョイ』を中心に目まぐるしい日々を送っていた。サブは苦手なスケジュール管理や打ち合わせなどで疲弊ひへいし、学業やバンド活動に時間を取れなくなっていた。
 見かねた景子が『ジェイQ』のマネージャーになることを宣言した。
「大学受験、大丈夫なのか?」
 メンバーの心配をよそに
「こう見えても、成績いいのよ」
 と胸を張った。

 石井にすれば、バンドのためにはサブが音楽に専念できるのは喜ばしいのだが、一方で景子がサブと二人でいるのを見るのは面白くなかった。
 石井は、気持ちに上手く折り合いを付けられずにいた。

<続く>


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来戸 廉
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