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乳癌患者となりて候~短歌「ロスト・ブレスト」
秋陽さす 硝子の窓に光は溢れ 乳癌患者となりて候
(歌誌「月光」68号「ロスト・ブレスト」)
これは告知を受けた翌日のことである。
一晩一睡も出来なかった。
癌告知がショックなのではなかった。
何回も検査を繰り返し、
もうある程度覚悟していたからだ。
しかし父母にどう話すか、で悩んだ。
「言わない」という選択肢も考えた。
しかし、手術で何かあった時、それはそれで済まされるのか。
たった独りで、入院やその後の抗癌剤治療を乗り越えられるのか。
乳癌検査のことはあまり詳しくは話していなかった。
両親ともに大腸癌を経験しているので
癌の知識はある。
しかし娘の発病を聞くのは辛いだろう。
職場の仲間には、粛々と説明した。
迷惑をかけてしまうのは申し訳ないが
とにかく進行する病のため、
手術出来るタイミングで休ませてほしいとお願いした。
寝不足と懊悩の中、オフィスで仕事を続ける。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
家になんて言おう。父は嘆き、母は泣くのか。
ふと目を上げると、11月の秋の陽射しが、オフィスの窓に溢れていた。
気が付いた。部屋が、明るい。
その時、ふと、「主の恩寵」という言葉が浮かんだ。
「恩寵」、お恵み、グレース・・・。
細川ガラシャの「ガラシャ」も「恩寵」の意だ。
私の身体の中で、温かいものが広がっていった。
そうだ。これは「主の恩寵」だ。
私の乳癌はたまたま区の検診で見つかった。
本当にふと、受けたのだ。
しかもたまたまその病院に新しく赴任した先生が
首をかしげながら「大丈夫だと思うけど」と言いながら組織診をしたのだ。
しこりもない癌だった。
乳管の中で砂をこぼしたように癌細胞が広がっていた。
よく検診に、ふらりと行ったものだ。
そしてその先生の判断も。
よくぞ見つけてくれました!と拍手喝采すべきものなのだ。
私の身体が入れ替わったわけではない。
もともと癌細胞と一緒に何年も生きてきた。
しかし、ここに「ある」と気づかされ、病に名が付けられた。
そして私は「乳癌患者」となった。
この秋の陽光に満たされた部屋のなかで
名付けられた患者の私。
しかしそこまで導かれた。
「私は助かったのだ」
「主の恩寵」、何かの大きな力が私を包んだよう。
そうだ。嘆く話ではないのだ。
喜びに満たされて寝不足の気怠さが吹き飛んだ。
父母にはその夜、こうして切り出した。
「喜んでください。これは神様のおめぐみです。
見つからないものが見つかり、
私は助けられたのです。」
11月のはじめの秋の日。
明るい光の中、あのじんわりと身体をつつむ温かいもの。
それは私を守護する天使が傍らに来て、囁いたのかもしれない。
「よかったね。これは、主の恩寵です」と。