あの年のあの春の。ー消えたはミサと寄席の灯也~天神亭日乗 1
口 上
千代田の名城、その堀端沿いに外堀通りがありまして、つつっと抜けて飯田橋、右に折れれば九段の社、左に折れて道沿いにひときわ賑やか神楽坂。今じゃ島田は揺れないけれど、肩を揺らして袖摺坂、通い通わず抜け詣り、毘沙門天にお手てをあわせ、赤城神社の鳥居を拝む。さてそこからは道細く、だれが呼んだか「奥神楽坂」語呂も悪くて馴染まねえ。町中華屋を流してゆけば、公衆便所にたどり着く、さてそのあたりが牛込の、天神町と申します。
かつてここらは豊後の国の大友屋敷があったとか。大友宗麟その人の孫なら江戸の切支丹。はばかりながらこの私、来栖微笑と申すもの。はるか長崎五島まで逃げも逃げたる隠れたる、そこまで探しはしませんと言いたくなるほど西方の切支丹の末裔と聞いて育っておりまする。ある夏に、落とし噺に魅せられて、亡き志ん朝に恋をした。矢来の空にかの人の面影追いて逍遥す。
くうねるところにすむところ、天神町よりいただきましたるこの亭号に、荷風散人なぞりたるごと浅草に、通い詰めたる思いものせて、「天神亭日乗」ここに記します。
二月二十六日(水)
今年は2.26が、灰の水曜日。カトリック教会の暦、四旬節の始まり。イエスの受難物語の始まりの日。
この日を皮切りに、復活祭までの四週間、信徒たちは痛みを感じつつ時を過ごす。
灰の水曜日はその名のとおり、水曜日に行われる式だが、復活祭の四十日前とか、「我々人間は土に還る」ことに思いをいたすため灰を使う、とかいろいろあるようだが、よく分からない。小さい頃から神父さまの大きい親指で額に灰で十字のマークを記されるのは、なにやら秘密の黒魔術の儀式のようで、すこし楽しいのである。とはいえ、年度末にさしかかるこの時期、なんだかんだと定時に仕事は上がれず、ここ何年かはミサに出ていなかった。
しかし今年はなぜか、額に灰を受けたい衝動にかられ、朝のミサの時間を調べた。
朝七時。広いイグナチオ教会の聖堂。冷える。もちろん人もまばらである。
恙なく式は進行し、李神父から額に十字を受けた。久しぶりの感覚に幼い頃の夜の教会を思い出していた。その時、壁際に主任司祭の英神父がローマンカラーで佇んでいることに気づいた。
マイクの前に立った英神父が静かに語りだした。
「皆さんにお知らせがあります。明日からの公開のミサをすべて中止します・・・」
―――パードレ?パードレ?これが最後のミサになるのですか?
切支丹時代の先祖の女の子が私とシンクロしたようだった。かつてこんな風に神父たちの背中をせつなく見つめたことがあったような。
鏡の向こうに黒い灰の十字架を額にかかげた女が映っていた。それはまぎれもなく令和二年二月のある日の就業前の私。灰をぬぐって手を洗い、職場の重い扉を開けた。
三月三日(火)
上野 鈴本演芸場 夜席。いつも通り、後ろの扉から入る。平日の夜席はたしかによっぽどの売れっ子でないと満席になることは難しい。勤め帰りにふらっと寄る、同好の士がある程度集まるもの。しかし、今日は「つばなれ」、客が十人いるかいないか。鈴本でこんな状況は初めてだ。前から二番目の席に座る。でもこれでは席亭にも師匠方にも申し訳ない。本当にお座敷遊びのようだ。小菊さんの「吉原へごあんな~い」を実体験しているよう。
隅田川馬石師匠の「粗忽の釘」。そそっかしい大工が主人公。寄席でよくかかる噺ではある。今日は広い鈴本の空間で、馬石師匠の手のひらがひらひらと、かんな屑になって舞っていた。
三月五日(木)
浅草演芸ホール 夜席。修道女KとA氏と水口食堂で腹ごしらえして入場。さすが浅草、7割程度の入り。我々のお目当ては三遊亭白鳥師匠。本日は名作「座席なき戦い」。コロナ後の今思うと懐かしい、山手線の座席争い。白鳥師には三題噺で作られた名作が多くあるが、この一席もおそらく若手が手掛けていき、のちのち残っていく一作だろう
トリは古今亭志ん輔師匠。「二番煎じ」。師匠志ん朝の香を嗅ぎたくて、と言えば、志ん輔師匠には申し訳ないが、あの名人について一生懸命稽古をした、その若き日の師匠の姿も透けて見える。芸の確かさ、明るさに、我々一同もはなやいで、浅草の暗い夜、またホッピー通りで杯を重ねる。
三月十五日(日)
新宿 末廣亭 夜席。橘家文蔵師匠の芝居。浅い出番の文蔵師はパチンコ帰りの気怠い感じで「道潅」などの軽い噺をさらって去るが、ここは流石に大トリ。「鼠穴」が始まった。談志が得意にしたというが、何だか少し暗く感じて、私にはすこし苦手な噺。しかし文蔵師の長講をこの時期見られたことに満足。千秋楽の再訪を心に誓う。新宿BERGで密な中、一人ビールを呑む。
三月二〇日(金・祝)
三月の三連休の初日。橘家文蔵師匠の末廣亭夜席の千秋楽。桟敷席の一番前に通された。沢山の人であふれている。少し高い末廣亭の桟敷は客席が見渡せる。皆が笑顔。ああ、桃源郷みたい。皆が笑っている。
アサダ二世の登場の前に、二階が開場した。次々席が埋まっていく。すごい。満席だ!
お待ちかねのトリ、文蔵師匠がアジテーションしたあと、ゆっくりと高座につく。相変わらず格好いい。
マクラに、明治の頃の女義太夫の隆盛を語りだす。
「寝床」だ!
文蔵師匠、千秋楽がこんな満席になるの、予想してた?それで「寝床」をとっておいたの?皆が師匠の噺を聞きたくて、決死の覚悟でやって来た。そこで客が逃げだす「寝床」をかけるなんて。やっぱりカッコいいよ、師匠!笑い声に包まれて、でもどこか戦前の回想シーンを見るように、ぼんやりと哀しい予感を感じていた。
四月六日(月)
三月下席からの落語協会の真打披露興行。この興行は千秋楽を迎えないまま、東京の寄席は四月六日より全館休業となった。
※歌誌「月光」65号(2020年11月発行)掲載