全摘上等!~短歌「ロスト・ブレスト」
全摘上等 スパッと切って下さいよ こちとら乳やる赤子もないし
「あっさりとしてるね あんた」と後ずさり 後ろ崖なら落ちるよセンセ
(歌誌「月光」68号「ロスト・ブレスト」
この品のない歌・・・。「ロスト・ブレスト」というタイトルを見て、中城ふみ子さんのような哀切な歌を期待した方には申し訳ない。ただ、これも診察室のリアル。
恰幅のいい、ベテランの男性医師。細胞診の結果が出る前だったが、彼は私に「乳癌」の可能性を告げた。最初の検診から、一年経って、しかもMRIまで撮ったので、私はある程度覚悟してそこに座っていた。
「癌の可能性があります。」
ああ、やはり・・・。
「どのような段階でしょうか?初期だといいんですが」
「手術は必要です」
「部分切除で済みますか?」
医師は私のほうに向き、左胸を指差した。
「いや、実はど真ん中から広がってんだよねえ。全摘だね。」
ああ、そうなのか。私は応えた。
「そうですか。分かりました。スパッと切ってください。」
「えっ・・・」
先生が一瞬、怯えたような顔をした。キャスター椅子で後ろずさった。
「あんた、あっさりしてるねー。普通もっと動揺するよ!」
「いや、赤子もいませんし、使ってませんので。残してもろくな事ないですから!」
先生はもしかしたら慰め、励ます言葉を用意していたのかもしれない。少し拍子抜けしたようにパソコンに向き、検査の結果が出る日を告げた。
診察室を出て、ぺたんこ靴のかかとを鳴らして、神田川沿いのアパートに帰る。ベッドに腰かけて、「我ながらかっこよかったんじゃない?」とひとりごちていた。しかし急にことの重大さに気づき膝からくずおれた。
癌だよ!おい!
温泉に入ってきゃらきゃら笑う日常も、もう私には戻ってこないのだ。
それよりも、もしかしたら本当にことによると、かもしれぬ。
暮れ始めた部屋で私は放心していた。
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