破れもんぺの歌~短歌「長崎、八月のうた」
炎天の五島灘ゆく甲板に 破れもんぺでしゃがみこんでた
(歌誌「月光」65号「長崎、八月のうた」)
はじめて歌誌に歌を投稿した。
「長崎、八月のうた」の一首である。
これは父から聞いた原爆の記憶である。
父は長崎、五島の生まれである。昭和14年生まれだから、その「時」は6歳。
このもんぺのひとは、父の叔母である。
原爆投下後、多くの浦上の信者が、親類縁者を頼って五島に引き上げてきたという。
この叔母もその一人だった。
この女性の名をもう父は覚えていないのだが、
美しい人だったと記憶している。
この人は息子二人を原爆の光のうちに一瞬で失った。
そしてこの五島の島にひとり、船で運ばれてきた。
数か月か前に、夫を戦病死で亡くしていた。
寡婦となり、子どもたちをしっかり育てんば、と足を踏みしめていたところだったろう。
八月の太陽の下、この五島灘をいく甲板の上で、彼女は何を思っていたのか。
美しき叔母であること残像にのこりて肌に浮かぶものなに
(歌誌「月光」65号「長崎、八月のうた」)
島に着き、自身で歩いて降りてきた叔母も、何日か後には床につくようになったという。
そして肌に斑点が浮き出て__やがて息絶えたという。
今も彼女の墓は島にある。夫と子らとともに墓石には名前が刻まれているだろう。
あなたの歌をよませてもらった。
だからあなたの名前を今度は私が記憶するよ。
遥かなる西の海の向こう、静かに眠る大叔母上へ。